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世界を翻訳する! リチャード・パワーズ『黄金虫変奏曲』

リチャード・パワーズの『黄金虫変奏曲』について。

リチャード・パワーズは、1957年生まれのアメリカ人作家です。非常に情報量が多い作品を書く知的な面を持つ一方で、それに劣らないくらいの情熱もある、ものすごくパワフルな作家です。
2019年に日本語訳が出版された『オーバーストーリー』がピューリッツァー賞を受賞したり、バラク・オバマ元アメリカ合衆国元大統領が絶賛したことで日本でも話題になりました。
また、音楽への造詣も深く、それをテーマにした作品も幾つかあり、僕にとっても非常に重要で日本語訳が出版されると必ず読む数少ない作家の一人です。

今回紹介する『黄金虫変奏曲 (The Gold Bug Variations)』は、遺伝暗号の解読を巡って3人の男女の物語が、バッハ作曲のゴルトベルグ変奏曲の構造にのせて語られる大長編です。(日本語訳は、二段組の850ページ!)
タイトルは、暗号を用いた推理小説の先駆けとも言われる、エドガー・アラン・ポー作の『黄金虫(Gold Bug)』と、バッハ作曲の『ゴルトベルグ変奏曲(Goldberg Variations)』を組み合わせた駄洒落になっています。

『ゴルトベルグ変奏曲(Goldberg Variations)』と『黄金虫変奏曲 (The Gold Bug Variations)』

あらすじは、過去に遺伝暗号の研究をしていレスラー博士の過去を、ある男女が解読しようとする中で、DNAや音楽、歴史、美術などなど、様々なテーマが熱く語られる!と言った話だったような気がします。正直な所、一回読んだだけでは理解できていない部分が多く、このような作品を34歳で書いたリチャード・パワーズには脱帽です。

ゴルトベルグ変奏曲は、始めに提示されるアリア“ARIA”の最低音で奏でられる非常にシンプルな32音から成る低音主題に基づいた変奏曲となっております。『黄金虫変奏曲』では、このシンプルな低音主題の上で非常に豊かで幅広い表現が行われていることが、DNAが僅か4つの塩基の組み合わせで複雑な生物の情報を表せることと符合しています。

ところで、楽譜に書かれた音楽を演奏すると言う行為は、楽譜から得た情報を解読し、そこに意味を見出す行為とも言い換えられるように思います。ただ、音楽の解釈には正解というものがありません。
この小説に登場する博士もDNA研究で得た膨大な遺伝暗号から、何とか意味を読み取ろうとします。DNAは人間の誕生の基礎となる部分ですので、人間が存在する意味は?と言う問いにつながり、両方とも答えを出すのが非常に難しいです。

リチャード・パワーズは、“ナイン・インタビューズ”という本の中で、“生きると言うのは、ある意味で世界を読むこと”と語っています。世界というテキストをどのように自分にとって意味のあるものに翻訳するか、それが“生きる”ということなのだと思います。音楽を解釈することも、遺伝子暗号を解読し意味を見つけようとすることも、全て“生きる”ということで、世の中の情報をどのように自分にとって意味のあるかたちに翻訳するのか!ということがこの小説のテーマになっているように思いました。

『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』と、リチャード・パワーズの現代音楽小説『オルフェオ』

物語の終盤にわかるのですが、レスラー博士は科学界から離れた後、作曲をしていたとのこと。(バッハの創作態度から大きい影響を受けたアルバン・ベルクをパクったとのこと。バッハの変奏であるベルクの変奏!?と言うことかもしれません。)
DNAの研究というのは日々飛躍的な進歩を遂げています。ただ、進歩の中で理性で捉えられる領域が広がれば広がるほど、人知を超越した領域があるということを意識せざるを得なくなるように思います。そのような人知を超えた何かを捉えるには、音楽という抽象的な表現が相応しい!という考えの下でロマン派音楽は誕生したということもあり、博士は作曲に手を染めたのかなーと思いました。

話は変わるのですが、先月(2022年5月)に翻訳をテーマにした、トロンボーンとエレクトロニクスのための『宇宙翻訳』という作品が日本初演されました。この曲は、トロンボーンが語る言葉を同時に鳴るエレクトロニクスが同時翻訳をしているというコンセプトの下で書かれました。ただ、この同時翻訳には欠点があり、話していることを誇張しまくります。例えば、冒頭でトロンボーンが半音の上行形を4つ奏するのですが、同時翻訳のエレクトロニクスは、無茶苦茶幅広いグリッサンドの上行形に翻訳します。このように、大まかな内容は変わらないけど、本来の演奏を無茶苦茶誇張したかたちに翻訳をする!という作品になっています。コミカルで分かりやすさを目指した軽い作品ですので、シリアスで長大な『黄金虫変奏曲』と同時に紹介するのは気が引けるのですが、良ければお聴きください!
それにしても、“翻訳”というのは、面白いですねー。

《宇宙翻訳 "Universal Translator" 》for Trombone and electronics
玉木 優委嘱作品
演奏:玉木 優(トロンボーン)


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