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二つの顔を持つ グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』

グレアム・グリーンの『ヒューマン・ファクター』について。

グレアム・グリーンは、1904年生まれのイギリス人小説家です。カトリックの倫理を扱った『情事の終り』や『権力と栄光』などが世界的に評価されていますが、映画『第三の男』の脚本や、児童書、戯曲、スパイ小説などエンターテイメント性に富んだ作品も多く書いている幅広い作風を持つ作家です。

今回紹介する『ヒューマン・ファクター』は、後者に属するエンターテイメント性を重視したスパイ小説になります。イギリスの諜報機関で働くロシア側の二重スパイの男が、嫌疑の目を向けられる緊張の中で、苦悩しながらそれらに対処していく様子が描かれた作品で、スパイ小説の傑作として評価されています。
定時に出勤している目立たない62歳の男が主人公で、派手な暴力シーンなどがない非常に静かな作品なのですが、非常にドキドキしながら読める作品になっています。これは、グリーン自身がMI6のメンバーとしてスパイ活動をしていたこともあり、実際のスパイと言うものを知っていたからだと思います。(同じく英国の作家のモームもスパイ活動経験があり、その体験を基にした『アシェンデン』という連作短編がありますが、イギリスの作家はスパイになりがちなのでしょうか??)

ヒューマン・ファクター〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

この『ヒューマン・ファクター』は、“スパイ小説にして純文学”という評価をされることが多い作品です。表面的にはスキャンダラスな二重スパイが描かれていますが、文学的な心理描写、会話などが楽しめる作品になっており、読み進めるにつれてこの作家が常に描こうとしている“裏切り”がテーマであることが分かる作品になっています。
これとは逆にグリーンの純文学作品である作品の多くは、純文学なのだけれど映画的であり、扱っている内容はカトリックの信仰というシリアスなテーマなのだけれど、ストーリーテーリングがミステリー風になっていたりと、引き込まれる作品になっていることが多いです。代表作である『情事の終り』など、妻の浮気相手は誰なんだ!?という展開の中、いつの間にか見事にキリスト教の信仰の話になってるという驚きの小説です。

ヒューマン・ファクター (ハヤカワ文庫 NV 342)〔旧訳版〕

この作家は、二重スパイのように両極的な二つの顔を持った作家と言えます。上記のようにシリアスな小説を書く一方、エンターテイメント性に富んだスパイ作品も書く点はもちろんですが、カトリック作家としてキリスト教の倫理について語る一方で、児童買春もしていたりしています。てっきり超真面目なカトリック作家だと思っていた僕は、グレアム・グリーンの伝記を読んだ際に初めて児童買春の事を知り、“この人に限ってそんなことするはずがない”と無茶苦茶ショックを受けた記憶があります。(夫の浮気が信じられない奥さんみたいですね。)

人間には、矛盾するような様々な面があるのは当然だとは思いますが、創作の中で、その矛盾するような要素を良い形で共存させるというのは、創作者として非常にカッコ良いなーと憧れます。(音楽は抽象的な表現なので、矛盾しているぞ!と言われることは中々ないと思うのですが、”繊細かつ大胆!”とか言われると嬉しいですねー。)

ところで、昨年『32』という作品をリリースしました。この作品は、2019年に初演された“ソプラノと歌曲のための『24 songs』”の中の一曲をデジタルで作成し直したものになります。
グレアム・グリーンが純文学と大衆小説を書き分けたように、”真面目なクラシカルなステージのための音楽”と、“イヤフォンやスピーカーから流れる気軽に楽しめる音楽!”といった二つのバージョンがあります。良ければ聞き比べてください!


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