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「実録あしたのジョー」KOUMA(コーマ)「本物の格闘技、ムエタイとの出会いが、自分の人生を新しい道に導いてくれた」(2018年4月、REBELS.55)

キックボクシング&ムエタイプロモーション REBELS(レベルス)

KOUMA(こうま)インタビュー

 昨年6月のREBELS.51で炎出丸(クロスポイント吉祥寺)をKOし、REBELS−MUAYTHAIスーパーバンタム級王者となったKOUMA(ウィラサクレックフェアテックス荒川ジム)。今大会では挑戦者にKING強介(ロイヤルキングス)を迎えて初防衛戦に臨む。
 どんな相手、どんな試合展開でも必ず前に出てKOを狙うKOUMA。そのハートの強さと、この階級屈指のハードパンチャーぶりはよく知られているが、格闘技を始めたのが26歳、プロデビュー時にすでに28歳と、若年化が進むキック界では異色の存在でもある。
 しかし、格闘技を始める26歳まで何をしていたのか。「元暴走族」と聞くが、その年齢まで暴走していたわけでもあるまい。高い身体能力を活かして他競技に打ち込んだ後、格闘技に転向してきたのか。
 KOUMAにたずねると、彼は淡々とした口調で「格闘家以前」のことを語り出した。

「自分、19歳から23歳まで少年刑務所にいたんですよ」

聞き手・撮影 茂田浩司

プロフィール (2018年4月時点)
KOUMA(こうま)
所属:ウィラサクレックフェアテックス荒川ジム
生年月日:1984年12月17日、33歳
出身:東京都荒川区
身長:163cm
体重:55㎏(試合時)
戦績:15戦13勝(7KO)2敗、ラウェイ1戦1分
タイトル:REBELS−MUAYTHAIスーパーバンタム級王者、前WPMF日本スーパーバンタム王者


暴走族に入り、荒れた十代を過ごす「成人式は塀の中でした。丸坊主で行進して『自分は何をやってるんだろう?』」

 KOUMAは東京都荒川区生まれ。普通の会社員の家庭に生まれ、普通に育った。
「三人兄妹で、ウチの姉ちゃんはめちゃくちゃ頭が良いんですよ。成績が優秀で、国からの奨学金を貰って学校に行って今は学校の先生です。でも、自分と双子の兄貴は頭が悪いんで『双子だから脳みそ半分ずつだ』って言われてました(笑)」

 子供の頃から運動は得意で、スポーツでも活躍していた。
「運動神経は良かったですよ。小学校では短距離、幅跳びとかずっと1位でした。スポーツは学校のクラブ活動で、野球とかサッカーをやってて。中学でもクラブ活動でサッカーをちょこっとやりました。ちょうどW杯のフランス大会かなんかあって。プレースタイルは今の戦い方とまったく同じで、荒削りでした(笑)。昔の岡野(雅行)みたいにひたすら走って『足が速いだけじゃん』っていう。兄貴はサッカー推薦で高校に行きましたよ。今は結婚して子供もいて、トラックの運ちゃんをやっています。
 自分は高校に一瞬行ったんですけど、すぐ退学になりました(苦笑)。喧嘩とかバイク通学したり、髪型もパンチパーマで(笑)。16歳ぐらいから暴走族に入って、そっから変わった人生を歩んだというか」

 十代は荒れに荒れて、やがて少年刑務所へ。
「喧嘩もあったんですけど、昔みたいな土手でタイマン張って、みたいなことはなかったですね。暴力というかバットとかそういうので傷害事件を起こしたり。
 16歳から19歳までは鑑別所や少年院に入ってました。逮捕されて半年入って、出てきてまた逮捕されて次は1年とかになって。それは暴走行為とか、喧嘩して傷害とかで。それで19歳の時にちょっと大きな事件を起こして、そっから4年間、少年刑務所に入ってたんですよ」

 自業自得ではあるが、19歳から23歳という人生で一番充実し、楽しい時期を少年刑務所で過ごしたことで、KOUMAの人生観は変わった。
「受刑生活は厳しかったですよ。丸坊主にして、番号で呼ばれて、行進したり。成人式は塀の中で『俺は何をやってるんだろう?』って。一番きつかったのは、食べたいのに食べれなかったことです。少年刑務所の中は食事の量も全然足りなかったですし。
 でも、その4年間で反省して、精神論で鍛えられたと思います。あの時の生活が全部今に生きてるな、って、自分で正当化してます(笑)。いつも『あの生活に比べたら』っていうのがあるし、役立ってるって思いたいし、今も格闘技やってると、あの経験は活きてるな、って思う部分はあるんですよ」

 刑期を終えて出所した時、KOUMAは24歳になっていた。
「特にやりたいこともなくて、プラプラしてました」
 その2年後、KOUMAは人生を変える大きな出会いを果たす。

ステゴロじゃ負けねえだろって思ってたら全然かなわない。『なんだムエタイって!?』。地下格闘技のオファーは断りました。一緒にされたくなかったんで。

 26歳の時、総合格闘技をやっている友人に誘われてウィラサクレックフェアテックスジム荒川に遊びに来たところ、成り行きで入門することになってしまう。
「友達に『遊びに来れば』って言われて、見学に来たんですよ。そうしたら『また来なよ』って言われて、次に行ったらアマチュア大会の出場者に自分の名前が書かれていたんです。『あれ?』って言ったら、タイ人の先生に『大丈夫、勝てるから』って訳の分からないことを言われて(笑)。『じゃあやるしかないじゃん』って入門しました」

 それまで、KOUMAは格闘技にまったく興味がなかった。周囲が格闘技ブームに夢中になっていても、冷めた目で見ていたという。
「格闘技のカの字も知らなかったです。みんな、K−1とかDynamite!とかHERO’Sとか流行ってたっていうけど興味がなくて。ここに来るまで総合とK−1の違いもわからなかった(笑)。素人中の素人だったんです」

 少年刑務所の中でも格闘技は人気だったが、KOUMAは一切見なかった。
「みんなテレビで格闘技を見て『山本KIDがうんたら』とかよく喋ってましたけど、どうでもいいな、と思って自分は本を読んでました。全然興味なくて。
 悪いことやってるヤツにありがちなんですけど『自分たちの方が強い』って思ってましたから(笑)。真面目に格闘技をやってるヤツらよりも『オレらの方が強い』っていう、子供っぽい意識があったのかもしれないですね」

 だが、ウィラサクレックフェアテックスジムに入門し、ムエタイを体験して、KOUMAは現実を知る。
「やってみたら、普通の子がめちゃくちゃ強かった(苦笑)。普通に『ゲームセンターにいたらカツアゲされんじゃないか』って感じの子にボコボコにされました」

 ごく普通の子にまったく歯が立たず、その屈辱感が逆にKOUMAの闘志に火をつけた。
「格闘技って面白いな、と思ったんすよね。それまでは『ステゴロじゃ負けねえだろ』って思ってたのが、やってる子はめちゃくちゃ強い。『なんだこのムエタイっていうのは!?』って思って、面白くなってきて、タイ人の先生たちに色々と教わるようになったんです」

 元々、身体能力が高く、体も頑丈。タイ人トレーナーに鍛えられて、KOUMAはアマチュア大会で連戦連勝を飾る。
 その頃、人気のあった地下格闘技大会からもオファーを受けたが、KOUMAはきっぱりと断った。
「ちょうど地下格闘技が流行ってた頃で『出ないか?』って誘われましたよ。自分の周りには地下格闘技で活躍してる子もいたんですけど『そこは違うな』と思って、一切、見にもいかなかったです。
 自分なんかタトゥー入ってるんで『格闘技をやってる』と言うと『アウトサイダーですか?』なんて訳の分からないことを言われて(苦笑)。それもすごい嫌でしたね。
 人気があるみたいですけどアマチュアだし、プロとは全然レベルが違うんで。一緒にされたくないんですよ。プロでやってる選手はみんなそういう思いはあると思いますよ」

 アマ大会の実績をひっさげて、2013年1月、28歳でプロデビュー。これまでプロで15戦して13勝しているKOUMAには「今でも思い出す」忘れられない試合がある。
「アマチュアでほとんど負けがなくて、プロでもデビュー戦から6連勝したんですよ。で、7戦目にめちゃめちゃ戦績の悪い相手と組まれたんですよ。自分なんか無敗なのに、相手は6敗とかしてて『なんでこれと試合を組むの? 練習しなくても勝てるでしょ』って思いがあって。全然練習しないで、体重だけ落として、試合まで当時付き合ってた彼女とイチャイチャイチャイチャしてました(笑)」

 KOUMAは「スパーリングぐらいの感覚」。だが対戦相手はKOUMAの6戦全勝、うち6戦目はタイ人選手をヒジで切っての流血TKO勝利という戦績と好戦的なスタイルを恐れ、十分に研究して試合に臨んできた。
 その結果、KOUMAは判定負け。しかも、アゴの骨を折られるという屈辱的な敗北を喫した。

「自分が突っ込んだところに相手の前蹴りがモロにアゴに入って、全身に電撃みたいのが走ったんです(苦笑)。『やべえ、これ歯が折れたな』って思って、それが2ラウンド目で。3ラウンドやって判定負けして、控え室に戻って歯を触ってみたらアゴごと動くんですよ(苦笑)。
 相手の選手が控え室に挨拶に来て『恐かったです』って言ってました。きっと死ぬ気で練習したんでしょうね。周りには『ドクターに見せた方がいい』と言われたんですけど、負けたショックもあって『大丈夫、大丈夫』って勝手に彼女と帰っちゃいました。
 で、次の日に歯医者に行ったら『アゴが折れてる』って、そのままお茶の水の医科歯科大に緊急入院して手術しました。骨が2か所折れてずれちゃったんで、今でもアゴにチタンプレートが入ってます」

 プロ初黒星を喫し、勝負の厳しさを知り、KOUMAは気持ちを入れ替えた。
「周りには『負けた方がいい。負けを覚えないと強くならないから』って言われてましたけど、自分は『弱いから負けるんだろ』ぐらいの思いだったんですよ。でもそこで負けて、アゴを粉砕されて『やめようかな』とも考えたんですけど。やっぱちょっとテングになってたんで練習内容を変えて、試合までの調整も全然変えたし。ターニングポイントになりましたね。
 結構、今でもあの試合のことは思い出しますよ」

KING強介君となら熱い殴り合いができる
最終的な目標はムエタイの世界ベルト。自分なりのサクセスストーリーを作っていきたい。

 来たる4月27日(金)、東京・後楽園ホールで開催される「REBELS.55」では、REBELS−MUAYTHAIスーパーバンタム級王座の初防衛戦に臨む。対戦相手は、ハードパンチャーで鳴らすKING強介。
「強介君は同い年で、同じ身長で、まあ体重も同じ、タイプも同じじゃないですか。西のKOUMA、みたいに思ってて(笑)。前回のREBELS.54は会場で見てて『面白い選手がいるな、ちょっとやりたいな』って思ってたんですけど、その時は別の選手とやるオファーがあったんであまり意識しないで『いつかやるんじゃないか』と思ってました。
 そうしたらすぐ組まれて(笑)。やっぱいいっスよね。
 前の試合(17年11月、M−ONE)では浜本キャット(雄大)君とやって判定負けしたんですけど、全然かみ合わなくて(苦笑)。正直、自分のパンチがバンバン入って、キャット君の顔もボコボコだったんですけどムエタイのポイント的なもので負けちゃったんで。それもキャット君のテクニックなんですけど、その場でソロバンを叩きながらサラリーマン的な試合されてちゃったな、って(苦笑)。
 強介君は大阪から出てきて『のし上がってやろう』っていう気持ちが前の試合でも伝わってきたし『倒れたら負け』で来ると思うんで、自分もそれに応えるような、変な駆け引きなしの熱い試合をしますよ。『今、ポイントを取ってるから足を使って下がろう』なんていうのはないと思うし(笑)、強介君とならお客さんを喜ばせる試合が出来ると思うんで」

 KOUMAは今、バイクショップの店長をしながら、朝・晩とハードトレーニングに明け暮れている。睡眠時間は4時間ほど。それでも「充実している」と笑顔を見せる。
「自分は練習する時はいつも一人です。ここはプロも僕一人なんで、朝はタイ人の先生とここで練習して、仕事をして、終わったら夜中に墓地の横にいい坂があるんで、一人でダッシュして追い込んでます。
 クロスポイント吉祥寺とか三ノ輪(ウィラサクレックフェアテックスジム本部)は『みんな仲良く』でやってますけど、リングの中は一人じゃないですか。(試合中に)セコンドが『相手、ボディが空いてるよ』なんて言ってもシカトです(笑)。先生には悪いですけど、現場で血を流してるのは自分なんで。応援に来てくれるお客さんも見えてなくて、自分は相手だけを見てるんで。
 自分は自分を信じてるんで。
 練習とかスパーリングはちゃんとムエタイの動きもするんですけど(笑)、試合になるとリングに放たれた獣みたいに本能で戦うんで。軍鶏(シャモ)とか闘犬ですよ。犬も人間の言葉なんて分からないんで。
 最近よく、会見で『ぶっ倒してどう』とか言う選手が多いじゃないですか。ガンガン行くっぽく言ってて、試合になると行かなかったり、なんかダイコン感あるんスよ(笑)。自分は論より証拠で、全部試合で見せるんで。
 自分にとっては今の環境も合ってるんでしょうね。選んだ環境じゃないから逆にいいのかもしれないです。自分の人生をそのまま導いてくれた感じのジムなんで」

 KOUMAは現在33歳。「終わり」を見据えながら、より大きな夢を描いている。
「やれるのはあと2、3年だと思うんですけど、最終的にはムエタイの世界ベルトに挑戦したい、っていうのはありますね。ウチのジムでは『WPMF』のベルトは特別なんで、WPMFの世界ベルト。もちろんラジャ、ルンピニーもやれるなら挑戦してみたいですよ。自分はトップレベルにどこまで通用するのか、っていう。これまでタイ人と2回やって、2回ともKO出来たんで『噛み合えばパンチが入るな』っていうのは分かったんで。
 ムエタイの世界ベルトを意識しながら、自分なりにサクセスストーリーを作っていきたいですね。やるからには上に上がりたいんで、今年は有名な選手ともやってみたい。
 今、KING強介君の試合に向けてめちゃめちゃ追い込んでますよ。仕事して、練習して、すごく楽しいし、ムエタイと出会って本当によかったです。充実してます」


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REBELS公式ホームページ
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