見出し画像

「スピードアクター」小笠原瑛作(おがさわら・えいさく)ロングインタビュー「僕は負けて強くなった。今勝てないキッズの希望の星になりたい」(REBELS公式インタビュー 2017.7.31公開)

キックボクシング&ムエタイプロモーション     REBELS(レベルス)オフィシャルインタビュー   

小笠原瑛作(おがさわら・えいさく)クロスポイント吉祥寺所属

 <プロフィール> 1995年9月11日、東京都武蔵野市出身。168cm・55kg(試合時)。クロスポイント吉祥寺所属。小学5年からクロスポイント吉祥寺でキックを始め、M-1ジュニア45kg級、KAMINARIMON45kg級など様々なジュニアのタイトルを獲得。2011年7月18日、REBELS(レベルス)でプロデビュー(15歳)。第2代REBELS52.5kg級王座、初代REBELS-MUAYTHAIフライ級王座を獲得。2016年12月よりKNOCK OUT(ノックアウト)に参戦して5連続KO勝利中(2017年9月時点)。


小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)インタビュー 

「僕は、負けて強くなった。『負けキャラ』の希望になりたい」

  2017年9月6日「 REBELS.52」(後楽園ホール)でキャリア初のメインイベントを務める小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)。
 抜群のルックスと「現役美大生キックボクサー」として注目を浴びる小笠原瑛作だが、ここに至るまでの道のりは決して平たんではなかった。
「僕はアマチュアでデビューから10連敗した『負けキャラの瑛ちゃん』でした(苦笑)。プロでも、大事な試合で負けたり、何度も挫折しましたけど、努力を続けてここまで来たんです」

 小笠原を10年間指導してきたREBELS代表でクロスポイント吉祥寺の山口元気会長は言う。

 山口会長「瑛作は『天才』ではないですけど、努力を継続する才能があります。今、ジュニアで勝てない子供たちの『希望の星』だと思うし、この1年で急成長しましたけどまだ成長過程にある。今、軽量級キックボクサーは実力ある選手が揃っていますけど『伸びしろ』は瑛作が一番かもしれない」

 急成長を続ける最注目の軽量級キックボクサー、小笠原瑛作とはどんな選手なのか。現役ムエタイ王者ワンチャローンをKOする快挙を達成した6月の試合や、これまでの足跡、そして現在の胸中に迫った。

インタビュー・撮影 茂田浩司


<ワンチャローン戦、激闘の末に現役ムエタイ王者を戦闘不能に追い込んでのKO勝利!~2017年6月17日 KNOCK OUT>

 誰もが驚く快挙だった。2017年6月17日の「KNOCK OUT」で小笠原瑛作は現役のルンピニースタジアム認定スーパーフライ級王者、ワンチャローン・PKセンチャイジムと倒し倒されの大激闘を展開し、戦闘不能に追い込んで5ラウンドTKO勝利を収めたのだ。
「ギリギリの勝利でした」
 小笠原は開始ゴングと同時に得意のパンチ&ローキックで攻め込んだ。
「最初からパンチとローで攻めたら『効いてる』という感覚があったんです。さすがにワンチャローンは顔に出さなかったですけど、ちょくちょくそういう感じが伝わってきて」
 開始から1分半で最初のダウンを奪い、さらにギアを上げて攻め込んだが無情にも3分間が終了。1ラウンドKOの目論見が外れて、小笠原は動揺する。
「『1ラウンドで倒し切れる!』と思ったんですけど、仕留められませんでした。1ラウンドが終わった時は、スタミナを全部使っちゃった~、と焦りましたね(苦笑)」

 山口会長「コーナーに戻ってきた時、みんな『これは村越(優汰)戦(2016年7月30日、RISE)のパターンか?』と思ったんです。最初から飛ばして、仕留めに掛かったのに仕留め切れず息が上がってしまった。本人も弱気な顔になってましたね」

 息も整わないまま突入した2ラウンド。ワンチャローンは猛然と反撃し、息の上がった小笠原にバックブローを打ち込んでダウンを奪い返した。
「あのダウンで『終わった』と思った人もいたでしょうね。会場に来てたお父さんは、僕の性格も知ってるし『いつものパターンか』と頭をよぎったと言ってました。自分でも『1ラウンドであれだけスタミナを使って、あと4ラウンドも動けるのか』と不安な時にダウンして(苦笑)。ヤバい、と」
 2ラウンドが終わり、インターバルでコーナーに戻ってきた小笠原に、山口会長は「3ラウンドは自分から攻めるな」と指示を出す。

 山口会長「瑛作の頭の中は『早く倒さなきゃ!』だけだったので、一度落ち着かせたんです。自分から攻めずにジャブを突いて、ローを蓄積させて、一度しっかりと作り直せ、と。そうしたら落ち着いたんです」

 3ラウンドに小笠原がペースを取り戻すと、4ラウンド開始直前、山口会長がこの試合を決めた「ひとこと」を言う。

 山口会長「セコンドのみんなは『気持ち、気持ち!』と叫んでいたんですけど、気持ちの勝負になれば数々の修羅場を経験してきたワンチャローンの方が遥かに強いですよ(笑)。
 どうしようかなと思った時、瑛作が『自分大好き』なことを思い出して(笑)。瑛作に『怖い顔をしろ。自分は大丈夫だ、全然疲れてないぞ、と強い自分を演じろ!』と。それがハマりましたね」

 小笠原は「強い自分を演じろ!」の言葉で、再び闘志を奮い立たせた。
「僕は人に何かを見せるのが好きで、大学で演劇を学んでますし、元々自分大好きですし(笑)。試合の時は入場から『カッコいい自分を見せる』って理想像があって、会長に『強い自分を演じろ、相手を睨んでいけ!』と言われて、バチン、と気持ちが入った部分がありましたね」
 4ラウンドの途中、ローキックを蹴り続けてきたダメージで自分の足を痛めるアクシデントもあったが、ここで冷静に攻撃をパンチ主体に切り替え、ワンチャローンから2度目のダウンを奪うことに成功。
 さらに、最終5ラウンドに小笠原が渾身のローを叩き込むとワンチャローンの足が動かなくなり、相手陣営はタオルを投入。小笠原は現役ムエタイ王者、それも最難関の軽量級王者をキックルールでKOする快挙を成し遂げた。

 この勝利は単なる1勝ではない。小笠原瑛作が10年間キックボクシングに打ち込んできた集大成と言えるものだった。
「小学5年でクロスポイントに入会して、会長やタイ人の先生から教わってきたムエタイの技術で勝てたことは大きいですし、嬉しいですね。今まで教わってきたことが本場の選手に通用すると証明できましたし、自信になりました」

 山口会長は「3ラウンドで立て直せたこと」を高く評価する。
 山口会長「これまでなら失速して負けるパターンでした。でも、あそこで踏ん張れたのは高橋(ナオト)さんから教わったパンチや、和田(良覚)さんや野木(丈司)さんのフィジカルトレーニングの成果だと思いますよ。瑛作はどんどん詰めていけば詰めていくほど伸びる子だと分かっているので、より良い練習環境作りは惜しみなくやってきて、その成果を見せてくれましたね」

 小笠原は、こう振り返る。
「あまり知られていないですけど、僕はアマチュアで全然勝てなくて『負けキャラの瑛ちゃん』と言われてたんです(苦笑)。ジュニアのタイトル歴を見て『鳴り物入りで上がってきたんでしょ?』と言われるんですけど、全然そうじゃないです。だから、今、ジュニアで勝てない子がいたら、コツコツと努力しているといつかムエタイのチャンピオンにも勝てるよ、と伝えたいです。『天才』ではなくても、努力を積み重ねたら勝てるようになることを僕が見せていきたい」

<負けキャラの瑛ちゃん~アマチュアデビューから10連敗の屈辱>

 小笠原がクロスポイント吉祥寺に入会したのは小学5年生。兄弟喧嘩で3歳上の兄(裕典(ゆきのり)。現WBCムエタイ日本スーパーバンタム級王者)に勝てず、見返すために近所のクロスポイントに入会した。
「試合は怖くて、出るつもりは全然なかったです。武蔵野市という土地柄もあるんですけどヤンキーがいないんですよ(笑)。街中でトラブルになったこともないですし、友達同士で喧嘩になりそうになれば『そうだよねー』と相手に合わせます(笑)。平和に生きてきたので、格闘技で必要な『勝ちに行く』という気持ちが元々なかったです。
 でも(山口)会長に『試合に出たらディズニーランドに連れていってあげるよ』と言われて、アマチュアの試合に出てみたんですけど、やっぱり気持ちの強さがなくて、最初は全く勝てなかったです」


 アマチュアではデビューから負け続けて10連敗。ただ、それはクロスポイント吉祥寺の育成方針も関係していた。
 山口会長「ウチは、ジュニアには『試合に勝つための練習』ではなく、まず『キックを好きになって、楽しんで続けること』が第一だと考えています。僕はスパルタに対してものすごく抵抗があるんです。好きだからこそ、大人になってからも続けられると思うんで。瑛作は子供の頃、本当に小柄だったので『試合で負けても気にするなよ。今は体が小さくて負けてるだけだから』と言い続けました。基本の技術を身につけておけば、体が同じぐらいになれば勝てるよ、と」

「続けることって大切ですね。何よりも続けられた理由として楽しかったし、強制で『やれ』と言われてやってたわけじゃないんです。お母さんは『逆に、どこまで負け続けられるのか、記録を伸ばしてみなよ』って言うし(笑)。お父さんは格闘技大好きですけど『辞めたかったらいつでも辞めていいよ。でもお前がやることは応援するよ』って。試合で負けると『負けちゃったねー』って、車の中でどんよりしながらも『いつか、お前が勝ってチャンピオンになったら、漫画になるようなストーリーが出来るんじゃね?』って。今、僕がこれだけプロで勝つようになって、お父さんも嬉しいんじゃないですか(笑)。
 だから、嫌な気持ちではなかったですね。ジムに行けば、先輩たちが『おお、瑛作来たかー』って迎えてくれて、可愛がってくれましたし。辛いことも一杯ありますし、負けたらボロクソに言われて、この『ガラスのハート』が割れる時もありますけど(笑)。でも、格闘技をやってきて、少しずつ気持ちも強くなってきたかな、と感じることはありますし」

 それにしても勝てなさすぎるな……。連敗街道を走る瑛作少年を見て、山口会長は一つのアドバイスをする。
 山口会長「基本的な技術は高いのに全然勝てない。それで一度試合を見に行って『昔の俺と同じだな』と思って『サウスポーに変えてみな』と言いました。右対右だと体の大きな相手の圧力に押されますけど、サウスポーで強い左ミドルを蹴れば圧力を押し返せるんで。瑛作はサウスポーに変えてから勝ち出して、ジュニアのタイトルを獲るまでになったんです」

 また、この時期にジュニアの大会で活躍する「天才少年」たちを見て、山口会長は「瑛作は天才型じゃない。じっくりと育てよう」と決めたという。
 山口会長「瑛作の場合、極端に小さくて体格差で勝てなかったですけど、那須川天心君はどんな体格差も克服して勝ててしまう。天心君は空手で大きな子とバンバン試合してきてましたし、彼が中学生の時、高校生の瑛作と体格が違うのに試合したら普通に押してましたからね。彼はやはり天才です。天才が努力しているんだから、これ以上強いものはないです。
 でも瑛作は天才ではない。だからコツコツと努力して、一つ一つ積み上げていくしかないです。プロでも連勝して『自分は元から強いわけじゃない。努力で強くなってきた』ことを忘れた時、コロっと負けてしまう」

<瑛作の最大の武器は「素直さ」。トレーナーが変わると、試合のスタイルまで変わる>

 小笠原自身、自らが「努力型」であることを自覚している。
「僕の場合、本当に階段を一歩一歩上がってる感じがあって。天心とか今のジュニアのチャンピオンはドーンとひとっ飛びする『天才』ですけど、僕は一つ一つ積み重ねてきて今があるんで。アマチュアで10連敗した後も、すべて良かったわけじゃないです。プロになってからも、気持ちの部分や技術や体力面で一杯負けを経験しました」


 15歳でプロデビューするといきなり9連勝。だが、そこで待っていたのは「塩試合の瑛作」という批判だった。
「10戦目まで『お前の試合は面白くない。KO出来ないし、塩だな!』と言われ続けました(苦笑)。首相撲が得意だったので『近づくとすぐ組み付く。お客さんも身内もシーンとしちゃったよ!』とイジられて、勝っても『ミスター判定』でした(苦笑)。先輩たちに『いつか倒すコツが掴めるようになるよ』と言われても『本当にそんな日が来るのかな?』と思ってました」

 そんな「塩試合」の時期も成長のためには必要だったと山口会長は言う。
 山口会長「瑛作の良さは素直さで、その都度、教えられたことをしっかり身につけてきたんです。トレーナーがパノントンレックという現役時代は膝主体の選手だった時は首相撲主体になり、パヤックレック(ターちゃん)に代わるとフィームー(テクニシャン)。前蹴りを蹴って、距離取って。
 トレーナーが今のウーさんになると、前に出てパンチとローです。完全に変わってしまいますけど、だから瑛作は今、首相撲が出来て、フィームーで距離が取れて、パンチとローで倒せるようになった。歴代のトレーナーと一緒に、今の自分のスタイルを少しずつ作り上げてきたんです。
 それにプラスして、高橋ナオトさん(ボクシング元日本2階級王者)に教わると急にパンチが良くなり、和田さんや野木さんのフィジカルトレーニングで体も強くなった。瑛作の最大の良さは素直さと吸収力。それを考慮に入れると、もの凄い可能性を秘めた子だな、とつくづく思いますよ」
 
 この「素直さ」、小笠原自身の感覚は「人の目を気にするから」という。
「人の言葉とか、すごく気にするタイプなんです。学校では『いい生徒』でいたいし、両親には『いい子供』でいたい、友達にも『お前、いい友達だよな』と言われたいからいい友達でいる(笑)。
 ツイッターとかSNSでも、変な発言して嫌われたりは嫌なんで慎重です。ジムでも、会長が僕のことを見て何か話してると『なんて言ってるんだろう?』って気にして、練習を滅茶苦茶頑張ったり(笑)。
 だから、タイ人の先生に教わる時は気に入られたくて、先生の教えを忠実に守ってやってきた部分はありますね。最初の先生に首相撲を徹底して教えられて『塩漬け』の試合して、二人目の先生にテクニックを教わり、会場も『上手いね~』という反応で(笑)。今のウーさんには気持ちの部分で『倒せ!』って。で、倒した方が会長もウーさんも両親もファンも喜んでくれて、その辺から『倒す意識』で試合するように変わってきました」


<負けを経験するたびに、もう一段階強くなった>

 2017年7月31日現在、プロ戦績は29戦26勝(14KO)3敗。この中で印象的な試合として、小笠原は「3敗」を挙げる。
「負けるのは嫌ですけどね(苦笑)。負けたら、タイ人の先生や会長とかみんなにボロクソに言われて居場所がないし、人生、見てるものが全部灰色ですよ(苦笑)。僕は楽しいことが好きだし、キツいことなんか本当は好きじゃないですけど、やっぱり勝たないと楽しく生きられない。嫌な競技を選んじゃったな~、なんて思ったりもするんですけど。
 振り返ると、僕は『負け』が分岐点になっているんです。9連勝して、初めてベルトを巻いて(REBELS-MUAYTHAIフライ級王者)、10戦目で加藤竜二選手のバックキックで失神KO負けして。その次はカンボジアでの試合で、最初に相手をボコボコにしたんですけど、ボディを効かされて倒されました(苦笑)。会長とタイ人の先生に『ボディで負けるなんて!』とボロクソに言われて。
 その後から12連勝して、RISEバンタム級次期挑戦者決定トーナメント決勝戦が村越(優汰)選手との試合でした(16年7月30日)。『勝てば次は天心戦』が頭にあって『ここはバッチリ倒さないと』って倒し方とか考えてて。今、考えたらメンタル的なものが上手くいかなかったし、連勝するうちに『負けることへの恐怖』もあったんです」
 村越戦では1ラウンドからパンチで攻勢を掛けたものの、村越のボディ攻めで失速。3Rに陣営がタオルを投入してTKO負けとなった。

 山口会長「油断ですよね。12連勝でみんな『村越戦は余裕だ』と見てたし、僕は大田区総合体育館のクンルンファイトとの合同興行の準備で忙しくて瑛作を全く見てなかった。僕も『大丈夫だろう』と思ってしまった。もちろん村越選手が瑛作より強かったという事です。ただ、瑛作の良さは『負け』をきっかけに、もう一段強くなるところです。村越戦で負けて、瑛作は一段階気持ちが引き締まったし、僕やトレーナー陣もそうです。
 村越戦があったからワンチャローンに勝てたんですよ。ワンチャローン戦の1ラウンドが終わってコーナーに戻ってきた瑛作の顔を見てみんな『村越戦のパターンか?』と思った。でも瑛作はそこで踏ん張りましたから」

 1年前の村越戦から何が変わったのか。
 村越戦の敗北の後、山口会長から「ある指令」が出されたという。


「僕が村越戦で負けした1週間後、T-98(タクヤ)さんが会長に『野木トレに行ってきます』と言ったら、会長が僕を見て『アイツも連れてけよ!』って。気持ちが落ちてて、行きたくないと思ったんですけど『嫌です』なんて言えず(苦笑)。T-98さんについていって、階段ダッシュして、キツすぎてゲロを吐いた(苦笑)。それが最初です」
 ボクシングの白井具志堅ジム、野木丈司トレーナーが主宰する「野木トレ」。その過酷な階段ダッシュには白井具志堅ジムのボクサー以外にも八重樫東、所英男、KANAら競技や団体の枠を超えた豪華メンバーが顔を揃え、メンバーの中から大雅(K-1 WORLD GPスーパーフェザー級王者)や比嘉大吾(WBC世界フライ級王者)ら、次々と王者が誕生している。
 小笠原はこの1年間、そんなメンバーと切磋琢磨してきた。
「周りのメンツが凄いです。世界チャンピオンが二人いますし、その中で自分が負けたら居場所が無くなります。『これだけのメンバーと練習してる』と自信にも繋がって、勝てば、所(英男)さんや世界王者のボクサーが『おめでとう』と言ってくれます。『ここのメンバーの一員でいなくちゃいけないし、恥ずかしい試合は出来ない』という自覚につながってます」


 中でも、同い年の比嘉大吾には刺激を受けているという。
「白井具志堅ジムの若いボクサーたちがみんなを引っ張るんですけど、中でも大吾君は一番速いし、彼の中でプロとして『世界を獲る』という自覚が世界挑戦の前からあった。それで『自分もこんなところで止まっていたらいけない。近づかないと』と思うようになりましたね。
 参加した頃は全然先頭集団に付いていけなかったですけど、今は結構先頭の方で走るようになりました。今でも行くのが嫌ですし、当日朝にカーテンを開けて雨が降ってると『シャー!』ってガッツポーズが出るぐらいキツいです(苦笑)。でも、やり切ると、確実に返ってくるものがありますから」


 小笠原の必死の努力に、山口会長も「愛のムチ」で応えた。
「村越戦でボディで負けたのに、その次の試合(REBELS.46)が工藤選手というボディ攻撃の得意な選手と試合を組まれて(苦笑)。でもその試合で勝ったからこそKNOCK OUTに呼ばれましたし。そういう僕のストーリーを会長が考えてくれて、ポイントポイントで出してくれてるのかなって」

<苦悩の末に受けたワンチャローン戦でKO勝利。これから、小笠原瑛作はどこへ向かうのか?>

 今年6月のワンチャローン戦、小笠原にとってはリスクの高すぎる試合だった。「倒し倒され」の激闘を繰り広げるワンチャローンは、タイの人気選手であり、現役の王者。だが、日本でのワンチャローンは「那須川天心にバックキックでKOされた選手」。それだけに、勝っても負けても那須川と比較されて小笠原の評価が下がるだけ、という結果に終わりかねなかった。


「KNOCK OUTからワンチャローン戦のオファーが来た時、会長に『俺は断った方がいいと思う』と言われて。僕も、天心と比べられるだけし、弱い相手じゃないし、はっきり言ってリスクしかない。で、最初『やりたくないです』と会長に言って断ったんです。でも、KNOCK OUT側はやらせようとするんですよね。
 そんな時、ウーさんだけはすごく盛り上がっていたんです。『お前なら絶対に勝てる!』って。ウーさんはタイでワンチャローンを教えてて、元の生徒と今教えてる僕の試合を見たかったと思うんです。ウーさんは僕が勝つと、飛び跳ねて、超喜んでくれるのでそれがすごい嬉しくて。だから、ウーさんのために頑張って試合しようという気持ちもあって試合を受けました。ウーさんに伝えたらすごく燃えてて『勝ったら凄いことだぞ!』って。
 信頼するウーさんに『勝つ姿を見せたい』と思いましたし、やると決めたら『天心があれだけの勝ち方をしてるけど、自分は何かそれを超えるものを見せたい』と思ったし。ネガティブになっても仕方ないんで『いい試合が出来るんじゃないか』とワクワクに変えて、練習量を増やして臨みました」

⇩小笠原瑛作vsワンチャローン、煽りVTRと試合ダイジェスト

 結果は見事な5ラウンドTKO勝利。これでKNOCK OUTでは、旗揚げ大会から実に4連続KO勝利をマークした。
「試合後の反響がこれまでと全然違いました。ある意味、倒し倒されの激闘になって結果的に良かったのかな、と。試合前から『僕は天心みたいな倒し方は出来ない』と言ってましたけど、違う倒し方になりましたし、お客さんも『感動した』と言ってくれて、よかったかなと思いますね。
 本当に、負けなくてよかったです。そういう意味でKNOCK OUTのマッチメイクはエグいな、と(苦笑)。でも、勝ったら返ってくるものも大きくて、結果的にはやってよかったです」

 そして、山口会長は新たなテーマを小笠原に与えた。それは「自分の価値を高めること」。そのための舞台がホーム、REBELS。小笠原にとって初の世界タイトルマッチ、そして初めてのメインイベント起用である。

●2017年9月6日、東京・後楽園ホール「REBELS.52」
 メインイベント:ISKA・K-1ルール 世界バンタム級王座決定戦 小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)対 ジョヴァンニ・フランク・グロス(フランス)

 ISKAの世界バンタム級タイトルを保持するのは、オリエンタルルール(ヒジなし)が那須川天心、ムエタイルールが志朗。小笠原がK-1ルール王者となれば、この二人と肩を並べることになる。

 山口会長「ワンチャローンに勝って、さらにステップアップをはかるいいタイミングですよ。メインをやると選手の意識は変わります。前座でどんなにいい試合があっても、メインがつまらなかったり、お客さんの期待に応えられない試合だとそのイベントが駄目になる。興行はメイン次第です。
 瑛作はそういうメインイベントの責任を果たすべき時期に来てて、一度経験させたいと思っていました。KNOCK OUTだと第一試合や第三試合をやらされちゃうんで。あの子は、目立つ場でやる方が力を発揮できるタイプです。目立たない場よりも『自分ひとりを見てくれる場』だと、期待以上の力を発揮する。今回は瑛作が思う存分、目立つ舞台を用意したんで、これでさらにもう一段階、選手として上がってほしい。
 プレッシャーはかなりのものですよ。あの梅野(源治)選手がセミで、瑛作がその後のメインイベントで『興行を締める責任』を果たせるのか。瑛作にはこのプレッシャーも利用して、跳ね飛ばしてほしい」

 当の小笠原も、今回の「初メインイベント」には驚き、そして試合に向かう気持ちがより高まったという。
「めちゃくちゃモチベーションが上がりました! これまでの試合よりもさらにハードルをグッと上げてきて、会長はそういうストーリーをズバッと作ってきますよね(笑)。僕をメインに選んでくれて、とても大事な1戦になりました。これを乗り越えたら、自分はまた成長できるし、一皮剥けて、階段をまた一つ上がれると思うので」
 ただし、ことさら「メインだから」という意識は持たずに「等身大の自分」で勝負する。それは過去の敗北から学んだことだという。
「メインだからといって、格好をつけて、ひっと飛びした戦い方は僕には出来ないので。これまで積み重ねた、等身大の自分でやって、さらにステップアップした試合をする、というだけですね。
 メインの自覚もすごくありますけど『いい試合が出来なかったらどうしよう?』や『メインの仕事が出来なかったらどうしよう?』は抜きにして、シンプルに、等身大の自分で仕事をして、それが結果につながればいいかな、と。ワンチャローン戦もそう考えて結果につながったんで」

 今回のタイトルマッチは「ISKAのK-1ルール」。ヒジ打ちなし。また、現行のK-1ルールとも違い「掴んだら、ワンアタックはOK」(山口会長)という。

 山口会長「瑛作は元々、KNOCK OUTに出るまでヒジなしルールでやってきたので問題ないです。瑛作はこれからタイのベルト(ムエタイ王座)を視野に入れていくのもありだと思うし、パンチでも倒せるからREBELSではヒジなしルールでやっていくのもいいと思うし。
 彼はより輝く場所にいた方がいいんですよ。本人も目立ちたいし、その方が力を発揮する。ルールにこだわらず、一番輝く舞台で勝負させたい」

 よく話題に上る「那須川天心戦」についても聞いてみると、山口会長は「今はまだその時期じゃない」という。

 山口会長「瑛作に言うのは『天心君とやりたいと言えば言うほど、相手はやりたくなくなるよ』と。今は、瑛作自身のブランド価値を高める時期。価値が高まり、向こうから『やりたい』と言われる立場にならないと。

 小笠原にとっても「天心戦」には特別な思いがある。だからこそ「いつ、どの舞台でやるか」にこだわりたい。
「僕は別に『天心とすごいやりたい!』ではないです。僕の性格上、ある意味ではやりたくない。ただ、格闘技が今、一般向けに知られてない中では、実力もないと駄目だと思うんですよね。本物でなければ認められないと思うんです。
 その意味で、同じ階級で、同じ日本人に天心がいちゃうんで『やらないといけない』と思うし、天心を倒さないと自分が本物になれない、と思っています。僕が今よりももっと輝いてくれば、ファンの人から余計に『天心との試合が見たい!』っていう声が上がるだろうし。
 ファンの人の間に『8月のKNOCK OUTで天心とやるんじゃないか?』と言う声もあったんですけど、僕はただ単にやるだけでは意味がないと思っています。
 天心は天才で、子供の頃から鳴り物入りで来ましたけど、そんな『天才』を、コツコツと『努力』を積み重ねてきた僕が倒せたらストーリー性があると思うし。今、ジュニアの試合で何もできない、弱い子供たちにも夢を与えられるだろうし。
 その意味でも、天心はグッと行ってますけど、僕ではまだ知名度が全然足りないです。だからタイミングは今じゃなくて、もっと盛り上がったところでやりたい、という気持ちがありますね。
 僕はキックボクシングをもっと盛り上げたいし、一般の人にもっと知って貰って、一般のスポーツに並ぶぐらいに持っていきたい。
 今までスポーツを見たことのない人が、僕の試合を見て『すごい感動した』と言ってくれたり、喜んでくれたりするのを見ると、何か特別な力が格闘技にはあると思うし。


 昔のK-1はすごく色がありましたよね。須藤元気さんは須藤さんの、魔裟斗さんには魔裟斗さんの。佐藤嘉洋さんや武田幸三さんも、この曲が流れたらこの人が出てくるって。イメージとキャラクターとすべてが立ってて、そんな『役者』さんたちが並んで戦うから感動するし。日本人はそういうのが大好きなのかな、って思うんですよ
 そういう『役者』はたくさんいた方が盛り上がると思うし、今だと、天心は天心の立ち位置があるし、武尊さんは武尊さんの立ち位置がある。僕は僕で、早く僕の立ち位置を確立したいです。今、ネットでも『天心対武尊が見たい』ばかり言われるじゃないですか。もし『那須川天心対小笠原瑛作』が組まれても『あ、やるんだ。でもここまで来たら天心対武尊が見たい』と言われてしまう。それではダメなんで『小笠原瑛作がやるの? 早く見たい!』ってみんなが思うようにならないと。そう言われるようになるまで僕が頑張っていければ。
 将来の目標は、俳優です。舞台もまだ2回ぐらいしか立ったことがなくて、突き詰めていくと『違うな』と思うかもしれないですけど。キックをやる前から和太鼓もやっていますし、何か自分の体を使って人前で表現することが出来たらいいな、と。そこはやっているうちに固まってきて『これだ』というものが出来てくると思うんで。
 まず9月6日、初めてのメインイベント、初めての世界戦で会長やファンの人に『瑛作がメインで良かった』と言って貰えるように頑張ります」 (了)

<インタビュー後の小笠原瑛作> 9月6日のREBELS.52で判定勝利を収めてISKA世界王座獲得。ただ、ダウン寸前まで追いつめながらも相手の苦しまぎれのバックブローで2度ダウンを喫する苦しい展開に。ダウンを2度奪い返して勝利したものの、小笠原は「もっと楽に勝てると思ってました。これが等身大の自分。もっと強くなります」。山口会長は「一からやり直しです」

⇩ 2018年4月のインタビュー。多摩美術大学を卒業し、キックボクシング漬けの生活に。

⇩ 2018年10月のインタビュー。フィジカルトレーニングの成果で別人のような体に! 

最新の大会情報や小笠原瑛作の出場試合の情報はこちら ↓↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?