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Stray catの帰還 hajimari

まさかこのマチにかえってくることになるとはね。自嘲するしかないでしょう。こうなっちゃったんだから。それとも結果として必然?そうなるのかな。 「ふるさとは蠅まで人を刺しにけり」
小林一茶だったかな。時代が変わったせいだろうか、一茶とは違いマチは思いがけないほどやさしかった。オレがその思いに応え、それなりの自分を演じている限りは。 でも‥そう「このまま大人しくなんかできないから、オレなんだろ」 「そこだよ、無理だねそんな芸当は」 「正直なんだ」 「ともいう」
頭の中でバカと陽気な皮肉屋がそんな会話を交わしていた。 人がそんなデリケートな一人会話の時間を楽しんでいるところへ遠慮のない着信音。 いやな予感しかない。ゆっくりと5秒待たせてから受けた。
「戻ってきたんだって。なぜ連絡してこない」
「忙しかったからな。そううっかりとか、ついついっていうの、あるだろ」
「誰から聞いたと思ってる。常市だよ。あいつに連絡して俺にはなしか」
そうか、常の口の軽さはわかってたはずなのに、ガードが甘いなまだまだ。
「こいよ明日にでも。仕事の話もあるしな」
「仕事ってなんだよ。まぁいい気が向いたらとしか言えないがいいか」精一杯の抵抗を試みる。
「ジャイブで3時。お前は遅れるな」
それだけ言うと切られた。それにしてもお前はっていうあたりは相変わらずか。呑気にそんなことを考えていた。


まだ酔いが残る視線の先、通りの向こうにジャイブが見えた。隣のクリーニング屋は全国チェーンの居酒屋に、斜向かいの自転車屋はマンションに変わっていた。変化する時間と変わらない景色、いや取り残されたノスタルジーか。どっちだっていいや。3時はとうにすぎているがまぁいいだろう。
今どき珍しいほどのタバコの匂い。尻の形に合わせてすり減った椅子。コーヒーとジャズ。予想通りだ、ここだけ時間が止まっている。
「カウンターへどうぞ」
“カ”ではなく“ター”にアクセントを置いた独特の発音。マスター仕込みじゃないか、最もカウンターの中から声をかけたのは20歳そこそこの若造だが。
エスプレッソマシンはデロンギからラ・チンバリに変わっていた。あの頃と違い少しは余裕があるようだ。そんなことを考えていると後ろから声がした。

「親父らしいでしょ、最後の道楽って言ってましたけどね」
振り向くとなつかしい顔があった。
「ケンジ?ケンジなの」
「お久しぶりです」
「12年いや15年…そんなものかな、あの頃はまだ中学生いや高校生だったか」
「たぶん、そのあたりです。もうそろそろ30ですから」
あの頃の俺たちと今目の前にいるケンジを無意識の裡に重ね合わせていた。随分と大人に思えた。もちろんそれは今目の前のケンジであって、あの頃のオレたちではない。
「マスターは?」
「現役です。飯綱坂の方に新しい店を出して張り切ってますよ。ちなみにこれが本当の最後の道楽。だそうです」
「なるほど相変わらずいい性格だ。時間があったら寄ってみるよ」
「そうしてやってください、喜ぶと思います。そうだユウキさん、遅れるそうです。なんかトラブルがあったみたいで」
「連絡があった?あいつから?あの俺様が」
返事の代わりにあいまいな笑みが返ってきた。そうか、変わっていないのはオレだけってことなのかもしれない。感傷はそこまでだ。それにしても直接電話してくればいいものを、わざわざここに。あいかわらず自分のルールに頑な性格。基本は変わっていないらしい。少しだけホッとした。もっとも人のことを言えた義理ではないのも確かだ。

変わったといえば常連の姿が見えない。一番居心地のいい椅子に陣取り。あたりを睥睨していたあいつらが。
「ところでペプシとコークはどこ?パトロールか」
「コークは5年前に、ペプシはワンオペで頑張ってくれてましたが去年」
ネコは野良で5〜7年、飼い猫でも15年過ごせたら長生きの部類だろう。あらためて、このマチを離れていた時間の長さを思い知らされた。
「好きでしたもんね、あの子たちのこと。でもいるんですよ後任が」
「まさかミリンダとかファンタっていう」
「候補には上がったようですね。結局はレモンとライムになりました」
ケンジは爽やかな笑顔と黙礼を合図に仕事に戻っていった。気を使われたかな。オレよりずっと若いくせに大人になったもんだ。
「これオヤジのとこのショップカードです」
「お前が作った?」
「えぇまぁ」美術系の話題はケンジに取ってはあまりいい記憶ではないのだろう。まだ引きづっているようだ。会話が途切れた10秒ほどの間を埋めるように陽気な大声が上がった。

「キョースケー!キョースケじゃない」エッだれ?
懐かしい香りがした。名前は知らないがこの香水には覚えがある。
「アリサさん?いや御影さん」
どうやら今日に限ってセンチメンタルな気持ちは長続きしないことになってるようだ。アリサ姉は、ガキだったオレたちの数少ない理解者。
「お仲間のマフィアボーイたちはどうしてるのさ。リョーヘイやカズー、ジョーイチ、ノンタ。それからホラ、シャシリック咥えて、フィリピナから逃げてきたあのハンサムボーイ。あ〜っなんて言ったかね。やだよ歳を取るとさ、ついこの間のことなのにね」
「イーノのことかな。肝心なところでしくじるツイてない男。大丈夫だよ、オレだって久しぶりに思い出した」
「そうそう、あの可愛い顔したのんびり屋さん。聞いたよ死んだんだって」
「そう、どうやら最後の最後までツイていなかったらしい」
「そんなことはないさ、あんたと違ってちゃんと親の会社も継いだし、素敵な彼女と結婚もして、可愛い子どもたちだって」
「それ以上はよそうよ。その話はなしだ」
「まだ怒ってるのかいレイジーボーイ」
懐かしい響き。
「そうともさ、俺はレイジーってよりはクレイジーって呼ばれてたけどね。ソレも遠い昔」
「ところで何しにきたんだい。このマチにもう用はないはずじゃなかったのかい」一瞬彼女の表情が冷たくなったような気がした。視線はオレを通り越して後ろに向いている。嫌な予感しかなかった。ここで焦っちゃだめだ。ゆっくりと振り向いた。予感通りとても嫌な顔がそこにあった。

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