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【253日目:毎日ご質問回答】社会に共同体意識を持たない人はどういうプロセスをたどりますか?

ご質問ありがとうございます。

社会に対して共同体意識がどうしても持てない時期を過ごしたことがあるので、この質問の答えは自分の実体験に基づくものになります。まず、社会に対して、共同体意識が持てない人でも二つに分類されると思います。一つは仲間がいるパターン。もう一つが仲間がいなく孤立しているパターンです。

いわゆる一般社会に対して共同体意識がなかったとしても、地縁、仕事、趣味などを通じて、自分が共同体意識を持てる仲間や居場所がある人は、実は社会に対して、共同体意識を持っている人に入ります。

なぜなら、社会というのはクラスターつまりブドウの房の様な集まりなので、その人の考える一般的な社会に共同体意識がなくとも、小さなクラスターである仲間に共同体意識があれば、それがどんな組織であろうとも社会に対して共同体意識を持っていることになるからです。多様性を受け入れる社会と盛んに言われていますが、いわゆる反社会的組織も地元のお祭りの中心で繋がっていた昭和の社会の方が、その意味だけに関しては多様性が受け入れられていた社会であると客観的に言えると思います。良い悪いは別です。

もう一つの社会に対して共同体意識を持たず、仲間もいなく孤立している人は、とても苦しい年月を過ごすことになります。いわゆる、お酒が友達と口に出している人の中にもこういう方がいるように思います。まず、何が苦しいのか、私の実体験を元にお話しいたします。

孤立しているし、社会に対して共同体意識を持てない人であっても、何とか自分が自然に所属できる共同体を探すことに躍起になります。しかし、基本的に社会に対して共同体意識がないため、会う人すべて体の反応として敵とみなし、交感神経が自律的に動き、戦闘態勢となり、言動も行動も相手に対して攻撃的になります。しかし、なぜ、自分がそういう行動、言動を取ってしまうのか、じっくり考える時間も持てず、自己肯定感を削り取られていく毎日という感覚で生きていきます。

もしかしたら、こういう時こそ、精神科医や心理カウンセラーの方にお話を聞きに行けば何か前に進むきっかけが得られるかもしれませんが、基本的に人を信用していないので、お金を出して、そんなことをする気持ちになれません。社会が悪いんだ!と自分が悪いんだ!の葛藤の気持ちが反芻され、夜もよく眠られなくなり、酒量も増えていきます。もういいやと自分の人生を投げ出す気持ちさえどんどんと生まれていきます。

じゃあ、なぜ今ここに、社会に自分の居場所を見つけ、共同体意識がたっぷりとある自分がいるのか。一番大切な一つのきっかけだと考えているのが、客観的な自分と主観的な自分を切り離す科学的思考を思い出し、実践したことです。その科学的思考の基礎を徹底的に教わったのが大学の恩師の中村先生です。そう、孤立して共同体意識が全くないと思っていた自分でも、つまり自分の中の知識、経験などを探っていくと、その時の共同体のそばにいた誰かに支えられ得たものであると次々と分かってくるのです。そうか、自分は一人ではないのだと。

過去の自分をまずは主観的でもいいから言語化していく作業は、数年単位の時間はかかりましたが、私がしっかりと共同体意識をもって生きてきたことを明確にしてくれました。しかし、すべてを思いのままに操る魔法の杖は現実にはどこにもありません。地道な積み重ねが、人との信頼を作り出し、幸福感を作ります。現実がどのような状況でも、意識だけは自分で自由にコントロールできる状態がとても大切なのだなと最近つくづく思います。今後もやりたいことがたくさんあるので、尾っぽの先まであんが詰まった鯛焼きの様な時間を紡ぎ、人生を全うしていきます。自身の過去は捉え方を変えるだけですべて財産になります。

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