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1ヶ月半の災害ボランティア能登へ:Vol2


前回は災害支援に行くまでのマインドとどうして災害支援に行くことができたかをお伝えしました。

今回は、実際の活動内容と現地の状況と感想
Ep1:立ち上げの3日間
1月4日から石川県に入り翌日には七尾市にて活動していました。
1月5日まだ立ち上げの時期で当初集まっていた人数は7人、入れ替わりも激しく数日後には4人で活動したりしていました。
一般ボランティアの募集をせずに開始していたので、2tトラックや4tトラックの物資を捌くので必死でしたし、来た物資を全て受け入れるのがチームの方針だったので18時頃活動が落ち着いたと思ったら急に来た4tトラックの搬入で20時になったり、仕分け場所を考えながら整理して気がついたら22時になったり、翌日は自分達の活動に不十分な所があり20時のミーティング後に活動してたら夜1時超えたり、この時期の活動時間は12時間以上が当たり前だったのをよく覚えています。でもこの3日間の準備が出来たので1月7日から被災者向けの物資の配布が出来たと考えています。
そうなんです、5日から拠点に入り7日には物資の配布をしているんです。これにはボランティア団体が行ってきた災害支援の活動や、皆さんの物資の支援、ボランティアさんの参加、仲間の活動のおかげです。
そんな数人で物資の搬入と仕分けをしていました。
また、当時の被害状況としては七尾市までは渋滞もほぼ起こらずに行く事が出来ましたが、路面状況は非常に悪く舗装もほとんどされていませんでした。そのため、所要時間は長くなり、金沢から七尾市までのナビの到着時間では1時間半で着くところ2時間ほどかかりましたし、道路に亀裂が入っているのが原因で同じ場所で6台パンクしている車見かけたのを覚えています。
再開しているお店は近くのコンビニくらいで僕らが拠点にしていた複合施設で開始しているお店は一つもなく。学生も全然いない、自衛隊や警察の車がよく通ることや救急車のサイレンが良く鳴っていたのをよく覚えています。

Ep2:やること・役割が明確になった3週間
立ち上げでその場の活動に精一杯だった後に地元ボランティアの参加などもあり少しだけ落ち着き、夜には大富NOという大富豪とUNOを混ぜた遊びができるようになってからは少しずつ自分達が次に何をすれば良いかを考え始めました。
この時期の活動は支援する内容が広がり、避難所及び個人宅へのニーズ調査・拠点での物資の配布・各地へ物資の配達・能登町での炊き出し・被災した支援チーム内の友人宅片付けを行っていました。
内容が広がることにより大変になるのが常駐組への負担でした。ボランティア参加への希望や物資についての質問、各団体からの鳴り止まない電話、バックオフィスで動いてくれている人たちとの共有や情報の交換、各活動からのフィードバックの量。日の入らないホールで活動している事もあり常駐組の一人が明らかに抑うつ状態になっていってるのもわかりました。
なので少しでも早く起きて少しでも朝日を浴びて「あさんぽだね」と話しながら拠点の周りを歩いたりして息抜きしたのも思い出です。
それでもまだまだやる事が多く、キャパオーバーのため話し合いの時に少しだけ言い方が強くなることもありましたが、自分達でシステム化を仕組み化を考えながらなんとか過ごしていました。
例えば「今回は物資の配布の時に人が押し寄せたから整理券を配布しよう。」「整理券に並んで複合施設にも迷惑がかかるから整理券の配布と物資の配布の日を分けて混まないようにしよう。」「少しずつ避難所から家に戻り始めているから被災家屋の片付けのニーズ調査を始めよう」「ニーズ調査はグーグルフォームで管理しよう」と毎回起きている現象から次どうすれば良くなるかを考えていました。
そんな活動が出来たのは地元ボランティアさんだけでなく全国から来てくれるボランティアのおかげです。
また、こんなスピード感で立ち上げ的な活動した仲間達なら他の事もなんでもできるだろうと思いました。

Ep3:違う団体で見る奥能登の被害状況の深刻さ
災害初期で連絡した二つのボランティア団体、はじめに関わらせていただいた団体の人からのレスが早く、しばらくしてから連絡していた団体からお返事があり、せっかく繋いでいただいたご縁なのでもう一つの団体で活動を始める事にしました。ここでの活動も3週間を考えていましたが、インフルエンザがあり5日間活動が出来なかったので約2週間の活動になりました。
活動場所は能登町であり、七尾市より北に属しています。この頃になると七尾市の道路も舗装され初めていて少しずつ復旧しているのは感じていましたが、能登町に向かって行くと路面がまだ舗装もされていなく、能登町に入ると倒壊している家の数や土砂崩れの量が物凄く増えたのを覚えています。
そんな災害場所として厳しい状況で炊き出しをメインにニーズ調査の同行や物資の配布など行いました。
炊き出しは行ったことがなく、実際に配布していると「ありがとう、本当にありがとう」と言われるのがとても嬉しかったです。被災地としてかなり厳しい状態だからこそ感謝の思いも強く感じました。

今回の震災をきっかけにどんな備えをしていればいいかを考えていました。
よく言われる3日分の食事や水は勿論ですが、それ以外にあると安心だなと感じたのはガソリンの携行缶、ポリタンク、ポータブル電源やカセットコンロなどです。
ガソリンの携行缶はガソリンスタンドがやっていない場合があるため、水を溜めておくポリタンク、充電するためのポーダブル電源、ご飯を温めるためのカセットコンロはあると便利だなと感じました。ポータブル電源は放電してしまうので普段から使わない場合はもしもの時に使えない場合がありますがアウトドア好きの人は是非検討してみて下さい。

全体を通して災害支援には行って良かったと本当に思ってます。微力ながらありがとうと言われた事もそうですが、災害支援を通じて出来た仲間もたくさんいます。
長期的な活動ができるボランティアさんは重宝されるのでそんな方が居たら是非周りにボランティア団体と繋がっているか連絡を取ってみて下さい。
最後まで読んで頂いた方、ありがとうございます。
今後は旅について綴っていきますのでよろしくお願いします。

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