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潤羽るしあさんの件/人の本質を突いた3つの名言

注※ この記事は中の人等に関する話題を多く含んでいます。

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.

Be careful of your words, for your words become your deeds.

Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.

Be careful of your habits; for your habits become your character.

Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

ー Mother Teresa ー

マザー・テレサが残した名言です。
日本語にするとこんな感じです。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

■表裏一体
上記の名言には2つの意味があります。
ひとつは
考え方に気を付けないとそれは言葉として出てしまい、言葉として出しているものは行動に出てしまう事があり、行動として続けているものはいずれ習慣となって、習慣になっているものは性格として定着して、その性格が貴方そのものを形作って、貴方の運命を決める事に繋がりますよ、
という意味です。

もうひとつは
考え方を変えて、言動に移して、それを頑張って継続させていけば、貴方の運命を自分で変えていく事ができますよ、
という意味です。

本質的な意味としては同じです。けれど最初の方は注意喚起としての捉え方、後者の方は考え方や行動次第で自身の運命を良い方向に変えて行く事ができますよという応援としての捉え方です。

物事には表の面と裏の面があって、それはただ見え方が違っているだけで本質としては同じという事が多いです。注意はひっくり返せば、応援としての本質を持っている事があるというのを説明する際に、僕は分かりやすい名言として上記のマザー・テレサの言葉を使う事があります。

■VTUBERという表裏一体の存在
ここには色々な意見が存在すると思うので、あくまでも僕個人の考えという前置きをしておきます。
VTUBERは表に見えている外側のキャラクターの部分と、その中の人という内側の部分で構成されています。同じような存在としてアニメのキャラクターがありますが大きく異なるのはアニメのキャラクターは演じている声優さんの人間性が殆ど反映されていないけれど、VTUBERはキャラクターに中の人の人間性が多く反映されているという点です。完璧な台本が存在しにくい配信というものが主な活動場所であるVTUBERは、中の人の普段の生活が垣間見えたり、過去こんな事があったという様なエピソード等も中の人に沿っています。
これはホロライブの人物紹介の説明文などを見るとよくわかりますが、ざっくりとした概要の設定のみで、所謂人物年表の様な細かい部分は敢えて設定されていないと思われます。これは設定しない方が矛盾なども生じにくいですから例えば「学生時代こんな事があった」という様なエピソードも、配信と共にどんどん付け足されていく感じです。どちらかというと中の人に寄り添う割合の方が大きいかもしれません。

僕は35Pでスバ友です。さくらみこの表側のキャラも勿論好きですが、中の人の発する言葉や雰囲気や行動や性格が好きな割合の方が大きいと思います。同じように大空スバルの中の人の発する言葉や雰囲気や行動や性格が好きな割合の方が大きいです。メタ的な発言というか、ぶっちゃけて言ってしまえばよくある中の人の実際の容姿が見えてしまっとしても、余程キャラと乖離していなければショックは受けないと思います。例えば予想していたよりも容姿が好みのタイプでなかったとしてもよっぽど許容範囲から離れていなければ応援しなくなるという様な事はないと思います。同じように性格やキャラにしても余程かけ離れていなければ同様です。

少し話が逸れましたが、僕の場合、VTUBERを推す際に表側に出ている部分も中の人もセットになっています。ただし、セットですが割合は中の人寄りという事を上記では説明したかった感じです。
なので仮に推しキャラが何かの理由で引退して、中の人が別の活動を始めたとしたら、その活動を応援する可能性は高いと思います。
可能性は高いですけれど100%と言い切れないのは、表側と裏側の部分が切っても切り離せない関係でセットになっていて、実際そんな事があった際にどのくらいの違和感を自分が感じるかわからないからです。


例えば上記のベンツ、約800万円です。これを中身のエンジン、走行性能が全く同じだけど外側が別物の商品に、同じ800万円を出すかどうかと問われると答えはNoです。ベンツというブランド、見た目もセットでの800万円という価値がこれには付けられています。ロレックスなどの腕時計でも中の機械は同じだけど外側が別物だと今の様な価格では売れないでしょう。
ものによりますが所謂ガワの部分も合わせての価値で判断されるという事です。だから仮に今同じ形でセットになっているものが、別々に分かれた際にそれを同じと見れるかと言えば見れません。逆も然りで中身は全く別物だけど外側は一緒ですというのもそれはもう別物です。最近騒がれている潤羽るしあさんの問題も同じかと思います。

■潤羽るしあ
件の騒動はファンの方だけでなく私の様に推しではない者にも広く知られる規模になっています。そして今日、寝落ちして目覚めてからTWITTERを開いたらトレンドにコレコレさんの名前があがっていて、もしかしてと思って確認すると中の人に関するツイートが散見されました。要約するとみけねこさんという中の人と思われる方が2月22日の猫の日に、自身のYOUTUBEチャンネルを開設し、みけねこさんのツイッターで今後に関する事を匂わせるツイートがあったというものでした。

今後どういう進展を見せるのかはわかりません。カバー社がどういう対応をするのか、まだ協議中かもしれませんし、もう結論などが出ているのかもしれません。

■言葉ではなく行動がその人を表す
冒頭に出したマザー・テレサの名言と、タイトルのもうひとつの名言がこれです。そのままのストレートな言葉で、人間性はその人の行動に表れているというものです。

「僕はキレイ好きです」
こう公言していたとしても僕の部屋を訪れて目にした光景が、掃除されていない乱雑な部屋だった場合、見た人は僕をキレイ好きな人とは思わないでしょう。
「ごめんなさいもう遅刻しません」
でもその後も何度も遅刻していたら、多分また遅刻すると思われると思います。

僕は会社で営業の管理職をしていた頃に業務の性質上、売上見込みの報告を多くの社員から受けていました。人によって、言っている事と行動が一致している人や、言っている事と行動が乖離している人が居ました。そういった言動の不一致が見られる人の場合、報告を受けてもその通りには受け取らず対応をしてきた結果として予算の着地をズラさずに結果を出すことが出来ました。

潤羽るしあさんの件はVTUBERという表裏一体が大きな特徴としてある存在と、言動の不一致というものが絡んだとてもカオスな問題だなと感じました。そして僕らが思っている以上にこの業界に影を落とす出来事なのかもしれません。
僕は少し前の記事で「ホロライブに感じるリスクマネジメントへの疑問/信頼という漠然とした大切なもの」という記事を書きました。

そこで「安心して推せる」という事がVTUBERには重要ではないだろうかという様な事を書きました。この潤羽るしあさんの件はVTUBER全体の信用性という部分で大きな影響を与えて、VTUBERそのものへの信頼性を失わせるひとつの影になって新規で入ってくるファンを減らしたり、既存のファンを離れさせたりする可能性もあるのかなと感じます。
これは結果として今までスパチャを投げていた人が投げなくなったり、グッズを買う人が減ったり、配信者にとっても直接的に波及する可能性もあるかもしれません。

■キルケゴールの言葉

アイドルは直訳で偶像という意味です。信仰の対象で、ファンは信者と同一視される場合もあります。

信仰が信仰として成り立たなくなる時というのは、信者が思考をし始める時とデンマークの哲学者のキルケゴールが書いています。正しくは「思弁が終わる。まさにそのときに信仰が始まる。」というものですが、逆説的に見ると信仰が終わるのは思考が現れる時という意味になります。

今回の件でVTUBERのファンが「私たちが推しているものは一体何なのだろう」と考え始めた時にこのまま信じても良いのだろうか、そう考えた際にVTUBERとの距離が開いてしまうかもしれません。

極端な例えですが、熱心なファンにとってその対象は神の様な存在です。だからこそコメントを拾ってもらえるだけでとても嬉しかったり、その存在だけで拠り所になったりする部分も否定できません。その根底には「信仰」があって、信仰とは信じて見るという意味の組み合わせです。
対象が信じられなくなった時にその存在の価値は揺らいでしまうかもしれません。
「私が推しているあの人ももしかしたら」
そういう漠然とした不安や思いは抑え込もうとしても膨れ上がりやすかったりします。そう考えると何を基準に判断したら良いのかわからなくなったりもします。

■終わりに
前述した様に、僕は大事な判断をする際に、その人の人間性を、言葉よりも行動で見る様にしています。もしこの記事を読んだ方の中で、今回の潤羽るしあさんの件や、それ以外の何かで、自分の推し活に疑問をもったりしていたらこれまで推してきたその人の行動や、今どんな事をしているか、それを基準に考えてみても良いかもしれません。
過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉があります。人にとって良いものでもそれが過剰すぎると却って毒にもなるという意味の諺です。例えば、食べるという事は生きていく中で欠かせない事ですが、食べ過ぎればそれは翻して体を悪化させる要因にもなるという感じです。物事は程々が良いよね、という言葉です。信じすぎるのも考え物ですが、何も信じないのもそれはそれで寂しい感じがします。


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