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自分で考える力を奪ったインターネットの功罪/葉梨法相の件に見る日本が衰退していく理由の一つ

たまにイヤホンのレビューやビジネス記事やモチベーション減衰の考察などVTUVERとは関係の無い記事も投稿していますが、今回もVTUVERとは関係ない記事になります。


葉梨法相の炎上、更迭についてをベースに、今の日本がどうしてこんなに10年前20年前30年前と比べて弱くなったのか等について書いていきます。

最初に書いておくと葉梨法相については僕は深く語れるほど詳しくは知りません。この件の炎上をTWITTERで見ていて感じた事を書く形になります。


■自分で考える力を奪ったインターネットの功罪

現在、岸田政権は記事を書いている11月10日時点では支持率36%という非常に低い支持率を出しています。加えてTWITTERのトレンドなどには頻繁に新しい税制案に対する批判や岸田首相が日本を終わらせる等のワードが日々飛び交います。それらはいいねが数万件ついたり、リプ欄を見れば多くの人が「そうだそうだ、このままでは終わる」「今の政府に任せていてはダメだ」という様なリプが数百、数千件と続きます。


・TWITTERやネットでいくら叫んでも何も変わらない
けれどTWITTERでいくら叫んだところで増税は予定通り行われますし、岸田首相も辞める事もなければ、予定通り首相秘書に息子が任命されます。

ネットでいくら声をあげたところで現実は変わりません。
全ての事柄がそうとは言いませんが本当に強い組織をネットだけで動かすというのは難しいと個人的には思っています。

それどころかTWITTERで一時的に炎上すれば多くの人はそれで
「どうだ、やってやったぞ」
と満足しているのではないかと感じます。
対象のツイートに「そうだ!」的なリプを投げてリツイートすれば『俺もやってやったぜ』的な満足感に包まれている様にも見えます。

もし僕が政府官僚であればTWITTERで数日炎上すればそれである程度鬱憤が晴らされるから、逆に怒りが溜まり続けてデモを起こされたり大きな動きになるよりはよっぽどありがたいと思うかもしれません。
そして今回の葉梨法相の炎上の様にある意味政府にとっては
”どうでもいい”
”いくらでも替えが効く”
そういう炎上にはすぐさま対応して国民の声に応えている感を演出する事ができます。


・自分で考えているのだろうか
そして葉梨法相の炎上でも問題視される発言があった、という事だけがフォーカスされて葉梨法相が有能な人材なのか、結果を出してきた人なのか、今後の法務省に必要な人材なのか、といった議論は僕が見た限りでは見かける事がありませんでした。
こういった動きというのは国益を考えた際にとてもリスクだと感じます。
葉梨法相については繰り返しになりますが、そういった人材なのかというのは検証や調査はできていません。
ですが既に事実上の更迭の発表が11月11日にありました。

TWITTERでは発表ニュースのリプ欄に「当然の結果」「確かに地味な仕事」「葉梨は用無し」といった感じのリプが続きます。

結果だけ見れば葉梨法相の炎上が起きなければ更迭という結果は無かったのは間違いないでしょう。そういう意味ではSNSなどで騒いだ我々の行動が招いた結果といっても差支えないと考えられます。


もし仮に葉梨法相が有益な人材であった場合、企業でわかりやすく極端に例えるとこんな感じでしょう。

A社の利益の半分を稼いでくる有能営業部長の鈴木さんという人が居ます。ある時その鈴木さんが社内で「自分以外は売上もってこないのか」と愚痴をこぼしました。その声を聞いた周りの社員が「失礼すぎる!」「鈴木を許すな!」と騒ぎ始めました。
その騒ぎを受けて社長は「これはまずい」と利益の半分を持ってくる鈴木さんを解雇しました。

構図としてはこれと同じ事が起きています。
この例で言えばその先に待つ未来は倒産または会社縮小です。

”確かに問題発言だった”
”しかし本当に解雇すべき人なのか?”
”あの発言が出た原因も考えるべきではないのか?”
”モラルや正義、人格は要素として大切だけど結果や成果とは別軸なのではないか?”

と言った所に考えが及んでいない状態です。

今の日本ではそういったシーンをちょこちょこ見かけます。


・有名人がそうだと言ったら正しいと思ってしまう

自分で考えない、というのは実は楽です。著名人、または自分が支持してる人が批判するとそれが正しいと思ってしまうのも楽だからです。
頭の良い人、色んな人から支持されている人だから正しいだろう、きっと、というのも同じ状態です。
有名どころで言えばひろゆきさんが支持されているのも一部こういった人達を取りこめているというのがあります。そしてこれは国民性の問題まで繋がっていきます。

よく言われる言葉として
政府のレベルは国民のレベルが反映される
というものがあります。

そういう意味では世間の評判通り岸田政権が無能だとしたら日本人も全体で見ると無能という事の表れになります。仮にそうだったとしても現状そうなのであればそれは現実として受け入れるのが最善です。「そんな事はない」と叫んだところで自体は何も好転しません。変えられるのは未来だけで現在と過去は変える事はできません。

物事には共通点というものが存在するケースがあります。
例えば仕事で多用される「改善」という事も広い意味では今の状態よりも未来をよくするという事です。そういう共通点があるものというものは同じ手法が通用する事が多々あります。
物事には構造上の共通点が多くあり、本質的な構造や仕組みを理解していれば異なるケースでもそれは流用が可能です。スポーツ選手、サッカーでも野球でもなんでも良いですがその道を究めてきた人というのは別の分野でも他人よりも飲み込みや成長速度が早いケースがあります。
これはどういう行動を取れば先に進めるのかという成長や上達の構造を体と頭で理解しているからです。

例えば何故岸田さんが首相になるような結果になったのか、という事を考えれば要因が見えてきます。要因が見えてくれば何をすれば良いのかが見えてきます。全て頭を使って自身で考えていく事が必要です。

民主主義というのは正義や人道が優先されるという良い面に対して、人数が増えすぎるとそういった努力や考える事を怠る多数に引っ張られて悪化するという特徴も併せ持ちます。これは今回の葉梨法相の炎上、そしてこれを書いている時点で彼は辞表提出したとのニュースも入ってきましたが今回の件で実際に日本という国にとってマイナスになったのかは不明ですが仮にマイナス化したとしたらそれを如実に表しているひとつの事例と言えます。

この”自分で考える人を減らした”ものの要因の一つにはインターネットがあると思います。インターネット、特にSNSやニュースなどは情報の早さ等のメリットはありますが影響力のある人の意見に乗っかって自身で考える事を放棄して楽が出来るという面が強いです。勿論全ての人がそうという訳ではないですが。
現実にに0から何かを発信していく人に発信をしない人は利用されるという構図は存在します。

不思議なもので便利になればなるほど、人は考えないで済むシーンが増えます。極端ですが原始の時代であれば1日を過ごすのにも
・どうやって今日の食料を確保するか
・水分はどこから確保するか
・今夜安全に睡眠を取る為にどこで眠るべきか
といった現代では考える必要もない事も考えて知恵を巡らせなければなりません。食料は仕事をした給与で当たり前の様に確保できますし、扶養されていればそれすらも必要ありません。水も蛇口をひねれば出ますしコンビニで安全な水分が確保できます。家があれば安全に睡眠を確保できます。


考える事というのはエネルギーを使います。
つまり楽ではありません。
その代償として正しい道を選んで進めているのか、判断ができなくなります。

気付けば既に力を大きく持っている既得権益を持つ人達の都合の良い進路を進んでいても気付くことはできません。

貴方が、私が、誰かが、満足いく生活を獲得できていないのは、そういった人達に都合の良い進路を進んだ結果という可能性はないでしょうか?

考えて、見極めて、正しい進路を進んでいくというのは個人的にはとても重要な事だと思います。


■終わりに
今回政治色の強い様な雰囲気の記事ですが、葉梨法相を擁護しているという事でも岸田政権を批判しているという訳ではなく、事例として用いた感じです。


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