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吸うは易く吐くは難しい

ベートーベンやモーツァルト、シューベルト。

むかしの作曲家はどうやって音を生み出していたんだろう。

いまだとituneやspotifyや、音源がそこらじゅうで流れていて聞きたい曲を探せば、唄えるし踊れるし。録音技術がない時代に想像を膨らます。

ある時期、iphoneを紛失し3ヶ月ほどスマホを持たなかった。SNSからも離れ、なんとも快適な日々だったが、一つだけ音楽がすぐに聴けないストレスがあった。特に移動中の自転車や犬の散歩中に。

僕はそもそも音痴で、リズム感がないので、頭の中に流れている曲をパッと表現できない。手元にスマホかPCがないと、音がだせない(笑)

そんなとき、沖縄の伝統楽器、三線を習う機会があり1年程続けてきた。すると、単純に発見したのが、楽器を弾けるとどこでもいつでも音が生み出せるのだ!あたりまえのことだけど、すごーく新鮮で、僕の中では大発見だった。

三線は、クルチ(黒木)やユシギ(イスノキ)など沖縄の木材でつくる。職人がむかしながら、1本1本手作りで仕上げていく過程も好きで、生材のユシギを1本購入し、乾燥中だ。

でもやっぱり三線は弾いてなんぼ。唄ってなんぼ。カラダヒトツと1本の棹、これだけで唄って踊れるんだから、ほんと素晴らしい。

楽器作りや、家づくり、むかしながら手で作るってどういうことなんだろう?手で作ることが重要ではなく、手があること、カラダがあることで、やっと使えるとか作れるとか、そういうことに興味があるのかもしれない。

哺乳類は魚類、両生類、爬虫類、と4つ足に進化をとげる過程で陸上で生活に適応するための筋肉を新く誕生させた。それがいま僕たちが呼吸をするために使っている横隔膜だ。心臓のように意識せずとも動き続けた鰓呼吸の時代とは違い、吸うも吐くも意思によって操作することができるようになった。その結果、呼吸というものに上手い下手が生まれることになった。

"吸うは易く吐くは難しい"

昔の人はよくカラダを観察していたなぁと思う。大工をしていると、無意識に手元に集中し息が詰まっていることがある。そういう時は大抵、横隔膜が突っ張っていて全身が硬くギコチない動きになっている。そういう時は横隔膜へ意識を戻し、なが〜く息を吐いてみると力が抜けてヒトツヒトツの動作がカラダとうまく調和する。昔からある仕事唄というのは、このリラックス呼吸法を作業中にしかも皆で共有する取り組みだったんだと思う。ほんと、すごい発明だよね。

カラダをよく観察し、カラダの内側に意識をもっていく。そして柔らかく優しく呼吸の波打ちを意識すると、ココロとカラダが調和していく。浜辺で波打ち際に溶けていく感覚と同じように。カラダヒトツで世界を遊ぶこと。そこには魅力的で常に惑わされる何かがある。

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