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胸とブラジャーとファッションと…

こんにちは。24hブラのプロデューサーをしているこじみくこと、小島未紅です。

今日は私がブラジャーを作る原点になったとも言える、「胸とブラジャーとファッション」についてお話したいと思います。

転校生はCカップ

小学4年生の時に、私は小学校を転校したのですが、ちょうど時を同じくして胸が突如成長期を迎え、他の子よりも少し早くブラジャーを使用することになりました。

「転校生」「Cカップ」「ブラジャーデビュー」というのは、小学4年性の子どもにとってはなかなかパンチの効いた状況が重なり、モヤモヤとした気持ちを浮かべながら日々過ごしていました。

事件は更衣室で起きてるんだ

そんな日々の中、ちょっとした事件が起きました。
水泳の授業の際に女子更衣室で着替えていると、ある女の子にブラジャーを着けているのが見つかり、冷やされたのです。
普段はキャミソールで目立たないようにしていたのですが、水泳という隠しきれない状況に、私は為す術もなくただただ辛い局面を迎えました。

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励ましてくれる友人ももちろんいたのですが、それすらも恥ずかしく感じ、しばらく一人で更衣室にうずくまっていたことを今でも覚えています。

正直、「私の胸がもっと小さかったら」「なんでブラジャーなんか着けなきゃいけないの」と憎悪の気持ちでいっぱいでした。

これが最初の私と胸の出会いであり、ブラジャーをデビューした時のエピソードです。

はじめての下着やさん

それでもブラジャーは必要なわけで、我慢しながら毎日使っていたのですが、同時に下着屋さんにも行くようになりました。

母が元々下着への意識が高かったこともあり、
「下着は女性のたしなみだからね」
「ちゃんときれいな下着を着けなくちゃだめよ」
と言っては、私をランジェリーショップへよく連れ出していました。

気づけばお店で採寸をすることも、母とブラジャーを選ぶことも当たり前になっていて、ブラジャーデビューの時の苦い思い出もだんだんと和らいでいきました。

「みくちゃんって、いつもかわいいブラ着けてるよね」

時が過ぎ、高校を入学する頃にはDカップまで胸が育っていたわけですが、もちろん毎日ブラジャーを着け、定期的にランジェリーショップへ行っていました。

高校から女子校へ入学し、恥ずかし気もなく何でも言い合える女子校特有の空気感の中で、ふと教室で友達にブラを褒められました

「ほんとかわいい」「どこで買ってるの?」「私も前から思ってた!」

友達の思わぬ言葉に、心の中のトラウマがとけていくのを感じました

(ありがとう…ブラジャー…君のおかげで褒められてるよ私)

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これまでブラジャーや胸には苦く辛い思い出もあった分、顔とか髪とか服とかを褒められるより、喜びに満ちた出来事でした。

その後、自分のおこづかいでブラジャーを買ったり、初めてバイトをした際は真っ先にブラジャーを買うなど、ブラジャーフリークなこじみくの学生時代が幕を開けたのです。

森ガールにはなれなかった

18才ぐらいの時、私は心からときめくものと出会いました。
「森ガール」です。

当時、蒼井優さんに心から憧れ、彼女のファッションやスタイルに心酔していました。森ガール界の神として蒼井優さんは君臨しており、当然私も森ガールになる決意をしたのでした。

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(▲今見ても胸の奥がキュンとするかわいさ…)

しかし、ここでもまた「胸」により苦い挫折を味わいます。

Eカップまで成長した私の胸は「儚さ、自然感、少女性」といった森ガールの雰囲気と抜群に合わず、ギャグかと思うぐらい似合わなかったのです。

「森ガールというより、なんかクレアおばさんみたいになってるぞこれ」

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(▲シチューを作る名人、クレアおばさん)

ここで夢だった森ガールは砕け散り、諦めてコンサバ系ファッションを着るようになります。

ただ、ここで予想外の感情に陥るのでした。

・服選ぶのも着るのも全然楽しくない
・自分のスタイルに合って、ダサくならないものをただ合わせる作業
・メイクも髪も服に合わせるから、これも自分がなりたいイメージと違う
・もはやファッション全てが妥協

胸が大きいことで「なりたい自分の理想には絶対になれない」ということが確定し、ファッションへの楽しみを見失っていました。

そんな時ふと、ブラジャーだけは「自分の好きにデザインを選べる」ということに気づき、ブラジャーへの意欲が爆発的に高まったのです。

「今日のブラはナチュラルかわいい系、明日はちょっと小悪魔系」など、色んなテイストのブラを揃えては、毎朝「ブラでなりたい自分になる」ということに快感すら覚えていました。

友達に褒められた記憶、そしてファッションとして唯一の楽しみ…
ブラジャーには苦い思い出もたくさんありますが、私にとってかけがえのないものになっていました。

ブラジャーとの悲しい別れ

そろそろ24hブラを作り始めた頃の話をしますが、社会人になった私はまったくブラジャーを着けなくなってしまいました。
というより、着けられなくなってしまったのです。

学生の頃は、ブラジャーの着用時間は長くても1日8時間ぐらい
それが社会人になると、朝7時から23時ぐらいで16時間以上…
しかも平日は毎日です。

夜までブラジャーを着けていると食い込みや締めつけに悩み、学生の頃にデザインで愛していたブラはだんだんと着けなくなり、ラクなブラトップやスポーツブラを着けるようになりました。

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この経験こそが24hブラの誕生のきっかけです。

「かわいいブラを着ける」というのは、もはや私のアイデンティティや自己表現の一つであり、それが失われたという原体験が「めちゃくちゃかわいくて、夜まで快適に着けられるブラを作りたい」という熱意に変わったのです。

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(そして出来上がったのが、ときめくかわいさの24hブラ)

胸とブラジャーとファッションと

今回このnoteを書くにあたり、自分の過去にいる「胸とブラジャーとファッション」について振り返り、成長の過程で悩んだり傷ついたりしながらも、ずっと向き合ってきたことを思い出しました。

女性にとって、胸もブラジャーも成長の中で切り離せない大切な存在です。
複雑に、そして深く女性の心に絡むような…そういう存在だと思っています。

そして、これは私の一つのストーリーですが、こういった経験や思い出は女性ならきっと誰しも持っているんじゃないかなとこのnoteを書きながら考えていました。
(私は大きくて悩みましたが、もちろんその逆の方もいます)

私はそんなブラジャーという女性にとって特別な商品に携わる仕事をしていますが、ブラジャーにときめいたあの日の感動や、傷ついた心を癒されたあの日の思い出を、ブラジャーを通して、また違う誰かに届けていきたいと思っています。

繊細で難しい商品だと感じる毎日ですが、だからこそお客様の喜びに変わった時の感動は大きい…そんな思いと覚悟をもって、これからもブラジャーを作ってお届けしていきたいと思います。

読みづらい長文になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!





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