いつかの明日を観てきた話

仮面ライダーオーズ10周年復活のコアメダル、を今日のお昼間に友人と観てきた。

細かなネタバレするつもりはないのだが、話全体の私が感じた雰囲気だとかも書く以上、何を書いてもうっかりネタバレになる気しかしないため、まだ観ていないとかネタバレはほんのささいなことでも無理、という方は観終わるまで読まないでいた方がいいです。

同人誌を嗜むヲタクとしては、ものすごく良質でクオリティの高いメリバ同人誌を1冊読んできた気分、とでも言うのか。事前にうっかりネタバレを踏んでしまったり否定的なコメントに触れたせいでひたすらに怯えていたのだが、私個人としては観たことを後悔しない映画であった。映画館にいた人たちも声高に否定する声はなく、ただ映画の内容やエンディング後の考察などを興奮気味に、あるいは冷静に同行者と語り合っているようだった。語らなかった人たちのことはわからないけれど。

キャストはアンク役の方を筆頭に10年の月日を感じさせないビジュアルで(比奈ちゃんは変わったけれど素敵な大人の女性になっていた)がっかり感どころか物語に引き込む役割を果たしていた。一時間弱という短い時間の中に、観たかったシーンも聴きたかった台詞も全てが無理なく詰め込まれていて、多少駆け足気味であったが戦闘シーンもかっこよかった。本編においての主人公が火野映司であれば、この映画の主人公はアンクだった。続編でありがちなキャラぶれの点も、火野映司という男の解釈は私と一致していたし、アンクも本編を終えた後であればあの程度には丸くなっているだろうと思った。

もちろん特撮にありがちなツッコミどころはあるけれど、そんなもの本編を観てきているならば、なんの支障もない。むしろ一時間弱という時間と話のあらすじを考えれば綺麗にまとめた方だと思う。

前の席の私と変わらないであろう年の男性は挙動を見るに泣いていたようだった。私の聴力を信じるならば、会場全体という程ではないが、他にもちらほらと泣いていた。私と友人は泣かなかった。友人はどう感じたのか私は知らない。ただ私はこの公式により完結編と銘打たれた映画を、観ながら泣いてしまうような速効性ではなく、遅効性の物語として接種した。そこから何故だか興奮も落胆も伴わない心の平淡な時間を過ごし、今ようやくしみじみと自分はオーズを、映司とアンクの物語の1つの終わりを観てきたのだと実感出来たのでこうしてNOTEを書いている。

正直オーズファンになら誰にでも勧められるか、と訊かれると少し悩んでしまう。あれは賛否が別れて当然だし、本編最終回または平ジェネのMEGA MAXやFINALのオーズパートが良き終わりだと思う人もいるだろう。(ちなみに平ジェネ映画のオーズパートを私は万人に勧められる。オーズが好きなら最悪オーズパート以外早送りにしてでも観る価値はあると思う)自分が思い描いたいつかの明日じゃなければ、みんなが幸せな終わりでなければ許せない、という人には向いていないかもしれない。それでも私はあれを各々が心の中に描いていたかもしれない、いつかの明日の内の1つとして観る価値は十分にあると思う。

古代オーズが復活した、という出来事が起こった世界線では、きっと何度繰り返しても火野映司という男はあの道を進んでしまうのだろう。そして、アンクはそんな彼の願いを、いや欲望をかなえるだろう。そんな納得感はあるのだ。まあ、キャスト含めた公式が送り出した作品だから当たり前と言われればそれまでだけど。

私が願った、二人がなんのてらいもない笑顔を浮かべられるようないつかの明日ではなかったけれど、あれは確かにいつかの明日だった。火野映司とアンクの終着点だった。観ていた私としてはその終わりに行かざるをえなかった二人が哀しいし、決して復活出来て良かったね、なんてアンクに声をかけられる状態ではなかったけれど。いつかの明日だったのだ。

なんて、去年初めてオーズを観た私が言えた事じゃないのかもしれない。でもあの素晴らしい最終回を観て、いつかの明日に希望を託した者の1人として少なくとも私はそう思った。

仮面ライダーオーズ10周年復活のコアメダル。私は映画館でこの作品を観れたことを嬉しく思う。DVDかBlu-rayかは迷っているが、円盤を買うことに決めている。


感想的なものはおしまいにして、ここからは余談どころの話ではない脱線。

納得したし良き終わりの1つだとも思ったけれど、それはそれとして辛い戦いを乗り越えた先に互いが納得出来る幸せを享受する二人は観たいので、私は脳内で古代オーズの復活なんかなかった世界線を想像する。もしくはあの映画を踏まえたうえでそれでも二人や周囲の人も幸せになれる未来を。想像は自由だ。公式は公式としてありがたく受け取り、自分の脳内でもしもこうだったらを自由に働かせるのだ。

そして無理かもしれないが、私は公式が提示したいつかの明日をどうしても受け入れられなかった人たちの、それぞれの願ったいつかの明日も訊いてみたいなぁ、と思う。公式関係者に、そして自分以外の他者に無理矢理押し付けない限り、パラレルはいくつあったって楽しいばかりだと、私は思う。

そうは言っても、私はきっとまだまだ長い時間、公式がくれたいつかの明日をしみじみ噛み締めるばかりだろうけれど。

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