震災の年に弟はいなくなった

3.11。東北大震災。

亡くなった方々の冥福を祈る気持ちはもちろんあるが、それらのニュースを見るたびに亡くなった方々のことよりも、私はその年にいなくなった弟の事を思い出す。ああ、あの子がいなくなって○年経ったのか、と。

弟がいなくなったのは5月も終わりの方。私の誕生日の少し前の時期。当時のあの子は中学生だった。中学2年生。受験もまだ遠く、本来なら学校を何の憂いもなく楽しめていた時期だったはずだった。

いなくなったと言っても失踪とかではない。私が直接的な表現を打ち込める程立ち直れていないだけだ。立ち直れていないということですら、この記事のタイトルを打とうとするまで気付かなかった。私はその言葉を打ち込めない程度には引きずっていたのかと、びっくりした。

弟に何があったのかは知らない。何も無かったのかもしれない。事実だけを言うのならば、弟は近所にある高所から落下した。

自身の意思だったのかそれともうっかり的な事なのか、どちらとも決定づける根拠はなかった。警察は前者だと思っていたみたいだけれど。どちらともつかないのであれば私はどちらとも決めないままでいようと思った。

決してよい姉ではなかった。あの朝も急いでいたからとおはようすらしなかった。毎日早めに登校していた私は、別にあの子の完全な目覚めを待ったって、遅刻ギリギリなんかじゃなかったのに。

もう骨しか残っていない、記憶の彼方にすら消え去りつつあるあの子の事を考える。

どこまで背が伸びたんだろう。既に私と背は変わらなかった。父が大きい人だからもっと大きくなっていただろう。

どんな職業に就いていたのだろう。私のようなダメダメな子ではなかったから、全うな職業に就いて両親を安心させていただろう。

どんな人をパートナーに選んだのだろう。それとも一人でいたのだろうか。どちらでもあの子が選んだことなら、あれこれ言いつつもきっと満足して見守ったことだろう。

ありもしない、あったかもしれないあれこれを考える。

そしていつも最後に思うのだ。

今生きているのがどうしてあの子じゃなくて私なんだろう。死にたがりが生き残るより、ずっとずっとその方が良かったのに。

あの日の朝に戻れたら、私はおはようと笑って、あの子を抱き締めたい。

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