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蕎麦屋で会いたくない人たち

蕎麦が好きだ。
ラーメンもうどんも好きだが、蕎麦はとりわけ好きだ。
香りが強い十割蕎麦も好きだし、さっぱりした更科もいい。そばがきみたいな田舎そばもいい。
私が生まれた十勝は、蕎麦処だ。十勝北部の新得や鹿追といったところの蕎麦は、日本で有数の蕎麦の産地だ。水もいいので、おいしい蕎麦が安く普通に食べることができる。

上京して一番驚いたのは、蕎麦とケーキの値段が3倍以上することだった。
十勝では、駅前の立ち食いそばくらいの値段で、名店といわれるせいろと同じくらいのレベルの蕎麦がふつうに食べることができたからだ。デパートの食堂の蕎麦でも、東京の立ち食いそばよりもずっと美味しかった。
なので、上京したての頃はお金もないので、おいしい蕎麦を食べることができず、東京で蕎麦を食べることはなかった。
でも、東京の立ち食いそばはそれはそれで魅力があることもあり、あの真っ黒いつゆにはすぐに慣れてしまった。
今では、名店といわれるような店にも行くし、粉にこだわった手打ちの蕎麦屋にも行く。もちろん、立ち食いそばにも行く。

蕎麦屋でマナーを論ずる

一時期、ヌードルハラスメントという言葉があった。
麺をすするのは、世界中で日本人だけなので、テーブルマナー的によくないという風潮だ。
最近は若い人ばかりではなく、わりと年配の男性でも麺をすすらない人もいるので、この問題はわりと根深いものがあるようにも思う。
麺をすすれば、つゆが飛ぶので汚いということもあるのかもしれない。
何より、音をたてて物を食べるというのが、一番の要因なのだろう。

しかし、コーヒーやワインの香りを確認するときは、必ず空気と一緒に音をたててすする。そうすることで、空気が鼻腔に抜けて香りをよく確認することができると実証されている。
日本の麺の文化は、蕎麦にはじまり蕎麦に終わる。蕎麦は香りを楽しむ食べ物だから、すすらないで食べるということは蕎麦を楽しめない。
ラーメンなども、そのスープを十分にまとわせて口に運ぶ。そして麺の小麦の風味、スープのダシの風味を楽しむ。
うどんは太さによってすすれないものもあるだろうが、基本は蕎麦やラーメンと同じだ。
日本の麺は、すすってつゆやスープと一緒に香りを楽しむ食べ物なのだ。

私は、外国人を蕎麦屋に案内するときは、蕎麦はすすって食べるのがマナーだと説明する。それが嫌なら蕎麦以外のものを案内するし、そのことに興味を持つようならそのまま蕎麦を案内する。
だいたいの人は面白がってくれるし、私たちが蕎麦をすするのを見て嫌だと言うような人は今まで会ったことがない。
逆に、すする文化がないことで、すするという行為ができないことをくやしがる人の方が多かった。

日本人の中には、わざわざ蕎麦屋やラーメン屋で、すすることがマナー違反であると論じたがる人がいる。
麺をすするというのは日本独自の文化であるし、最近は外国に進出したラーメン文化の影響で、麺をすすれる外国人が増えてきたという話も聞く。
個人的には、パスタをすすって食べるのはマナー違反だと思うが、日本食である蕎麦やラーメンは、すすって食べるのが美味しいと思う。

しかし、すすれないならそれなりに美味しく食べればそれでいい。文化を容認せず、その場で自論を繰り広げることの方が、私は逆にマナー違反ではないかと思ったりもする。

時間帯を考えない客層

私の住んでいる地域で、江戸時代から続く名店の蕎麦屋がある。地域ではちょっとした有名店だ。家から少し離れたところにあるので、行くときはわざわざ行く。
ランチのときに卓に余裕があったりするとちょっとうれしいが、10分もするとすぐに満席になってしまう。

ある日の土曜日の昼のこと。私たちは少し早めに店に入っていて、ちょうど12時をまわったくらいの時間。満席の店の入口で、6名という声が聞こえてきた。
ここの店の卓は、基本的には4人がけ。この時間帯に6名はきついなと思ったが、先に食べていた客が2組出たので、3人ずつ別々のテーブルに案内された。その客は、ご両親とその子供夫婦、そして孫2名だった。孫は、幼稚園の年少組くらいの女の子と、お母さんにだっこされた6か月くらいの乳幼児。
お母さんが座ると、乳幼児はすぐに泣きだした。BGMもない店内に響き渡る子供の泣き声と、なによりその子のミルクのにおいと、きついフローラル系の柔軟剤の臭いが店内をただよいはじめる。

ここの蕎麦はおいしいから、ご両親に食べさせてあげたかったのかもしれない。
乳幼児連れのお母さんは、蕎麦を食べるなとも言わない。逆にお母さんは栄養のため、蕎麦は積極的に食べたほうがいいかもしれない。
でも、繁忙時に乳幼児を連れて来るのは遠慮してほしいと本気で思う。これは本当に本当に本当に申し訳ないとは思うのだけど、香水をつけて蕎麦屋にくる人と同じように迷惑なのだ。
しかも、ここの蕎麦屋は古い建物なので、おむつを替えるような設備はない。そういう事情になったときは、もっといやな気持になっただろうと思う。子供のいる家ではふつうのことかもしれないけど、よその子供のおむつ替えはできれば食べてる横では見たくない。
それくらい、乳幼児の匂いというのは独特で異質だと思う。
柔軟剤は論外だけど。

ここの蕎麦屋は11時からやっているのだから、少し早めにくることもできただろう。あるいは、13時くらいの少し客がひけた時間帯にくるということもできただろう。
子供がいるからだめということではなく、すみわけをするための配慮はお互いに必要なのではないかと思う。
もしかしたら、そうしたかったけどできない事情はあったのかもしれないけれど。

私は早々に店を出てしまったから見なかったけれど、乳幼児を入れて6名ということは、乳幼児にもそばを食べさせたのだろうか。
そばはとても栄養があるので、子供に食べさせるのはいいと思うが、アレルギーを起こす人もいるので、乳幼児に食べさせるのは控えた方がいいのではと、帰り際に少し思った。しかも注文したのは、鴨南と卵焼きだった。アレルギー起こしやすいのばっかりじゃないか。

蘊蓄も能書きもいらない

これは客ではなくお店の人に多いと思う。最近は蕎麦だけでなく、ラーメン屋にも多い。
粉や水にこだわって、いろいろ研究しているのだろう。でも、その苦労は店と味で勝負すればいい。口に出したとたんに、それはただの愚痴にかわってしまうことを承知してほしい。私は店主の愚痴を聞きにきているわけではないのだから。
店の中にべたべた能書き書いてあるのも、興ざめする。メニューの片隅にちょっと書いてあるくらいでちょうどいい。

食べ方をいろいろ指図する人もいる。確かにおすすめの食べ方が一番うまいだろうとも思う。
でも、そうじゃない可能性だってあるかもしれない。
説明は聞くけど、食べるのは客の自由。それを100%うばうことは不可能だって、知ってほしい。

おいしい蕎麦を食べたい

と、まあいろいろ書いたが、首都圏でおいしい蕎麦を食べるのも苦労が必要なのかもしれない。
地方にいったらいったで、未だに喫煙可の蕎麦屋が多くてタバコの問題に直面するので、油断がならないということはあるのだけど。

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