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アベマリア 第6章  ちぎれたパスポート

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    https://youtu.be/iGRwUov3O74?si=bH2ZszSCB6b6fquq 


第6章 ちぎれたパスポート
 
    1
 
 オーストラリアのケアンズから、ブリスベンまでは近い。
 少しありきたりのような気もしたが、私たち4人はオープンカーをレンタルして移動した。
 ブリスベンで、コアラをみたあと、スーパーで4人して仲良く買い出し。
 ブリスベンでの夕食は、コンドミニマムのホテルのキッチンで簡単に料理をするのだ。
 4人とも、まるで、学生時代にもどったかのようだった。
 テーブルにでんとおかれた、赤ワイン。  
そのわきにあるのは、ミモレットというチーズだ(このチーズは、日本三大珍味のひとつのカラスミと味が似ている!)。そして、ハム、生野菜、バゲット、そしてパッションフルーツなどを切ったものがおいてあった。
「乾杯!」
 
 ダイゴは、あらかじめ、私に、「今日は、自分と、クニイチの出会いを、二人に聞かせるように」とリクエストしていた。
「サチさんが、とてもそのことを知りたがっているから」
と、ダイゴは、少し照れながら言った。
 そして、付け加えた。
「それに、アイちゃんに、あの事件で、知っていることをすべて話してもらいたいから。彼女に、彼女の秘密を語ってもらうためには、われわれも、われわれの秘密を先に語るしかないだろう?」
 
 そして、私は、語りはじめた。
                
    2
 
 バカンスが終わって人々が街にまた戻ってくると、秋はもう目の前だ。
 9月の秋分の日をすぎると、毎日のように日が短くなる。
 日本は、冬と夏の温度差が激しいが、パリではそれ以上に冬と夏での昼の長さの差が激しい。その振幅を、わずか半年の間に振れようというのだから自然は大忙しだ。
「それに比較して、ここ数年の自分の変わりばえのなさはどうだろう?」
 私は、色づき始めた木々に囲まれた人気のない公園のベンチに寝そべって青い空をながめた。
 同じ都会なのに、パリの空は東京よりも澄んでいる気がするのはなぜだろう?
 視界の向こうを、もぐっていた地下から電車がはいだしてきて、地上の高架の駅に停車し、また音とともに出発していった。
 その姿は、最初パリにきた当初は、まだ見ぬ土地、まだ知らない人々にこれから出会う自分のこれからの生活への期待と重なっていた。
 しかし、今では、その夢が、箱庭の中のおもちゃの模型だったかのようにさえみえてしまう。
 最初のころの、ただ歩いているだけで、ただ喫茶店にはいるだけで、ただ買い物するだけで楽しいという時期はもう過ぎ去ろうとしていた。
 日本にいればもう数年はやく考えなければならなかった「これから」について自分も考えねばならない時期にきているのかもしれない。
 日本の大学に入学して、目的を見失った私は、1年から2年へ進級することができず、2年目をアルバイト生活に費やしていた。
 残りの単位はとれて2年生への進級は確実だったが、私は進級手続きだけして授業料は払わず、ヨーロッパへひとり旅立ち、しばらくあちこちうろうろした後おちついたのがパリだった。
 最初は「世界ぶらり一人旅」といった、よくある薄い本を購入はしたが、実行にうつすつもりはなかった。バイト代でためたお金で旅行した後、春からはまた大学にもどるつもりだった。
 きっかけのひとつは、留年の間に別れた恋人とのやり取りだったような気がする。
「半年か1年、ひとりでヨーロッパを旅行してこようと思うんだ」
「そうなの。その間、私はどうしたいいの?ひとりで待っていろというの?」
「寂しいのか?」
「そんなんじゃあない。あなたの意図がわからないの。なんでひとり旅なの?私と一緒に暮らしていくじゃあ不満なの?もしいくなら、もう二度と帰ってこないでね」
 きつい性格の娘だったな・・・。
 私は思い出してひとり苦笑した。
 思い出すといっても、出会って半年も一緒に暮らしていない。顔はもううまく像を結んでくれない。
 また会いたい、と思うには、もうずいぶん遠い存在になってしまった。
 私の寝そべっているベンチの横を、何人もの人が、バゲットのサンドイッチを手にもって横切った。
「もうそろそろ昼時か・・・おれもごはんにしよう」
 私は、ベンチからおきあがった。
 公園の中に、安くておいしいサンドイッチを出す店があるのだ。
 ときどき日本を思い出すが、今までも、そして今でも、日本のおにぎりをまた食べたいと思ったことは一度もなかった。
 
 かれこれ5年、パリに暮らしていれば、なんとか言葉をあやつることを覚え、街の地理や情報も増えてくる。
 それでも、途中、3ヶ月だけ私はソルボンヌの外国人フランス学校に通った。
 それがなければ、きっと喋ったり書いたり、一生できなかったかもしれない。
 そのくらいフランス語はむずかしかったし、学校というものにはじめて私は感謝した。
 今の主な収入は、日本人むけの観光ガイドの仕事だ。
 皿洗い、運送業、チラシ貼り、日本でもあるようなアルバイトもいろいろやってみたが、私のような観光ビザしかない外国人にとって、一番身いりがいいのはやはり通訳とかガイドの仕事だ。
 今はルーブルにあるツアー会社に臨時に雇われている身分だが、独立すれば、自分で自由に価格設定だってできるだろう。今だって、ときどき会社外で仕事をするときもある。
 私は、ツアー会社の入り口で中にはいろうかどうか悩んでいる50歳くらいのひとりの中年の男性旅行者に声をかけてみた。
 まだ、パリに着いたばかりなのだろうか?
 大きなカバンを転がしている。
 まだホテルにははいっていないのかもしれない。
「こんにちは。日本語ツアーですか?いろいろな会社よりもお安く、いいサービスでお供しますよ」
「パリにある美術館を効率よくまわりたいんだが」
「なかなかいい考えですね。でも、大きな会社では残念ながらそういうツアーはないと思いますよ。どうです?私に案内させてもらえません?お望みのようにアレンジしますよ。なんなら、ホテルも紹介しますが」
 彼は、私が信用できそうかどうか、少し悩んでいるようだったが、意を決したように言った。
「ホテルを先にたのもう。もし、いいホテルを紹介してもらったら、美術館の案内も、明日以降たのむことにする。なんか時差ぼけで体が疲れているようだ。まずはホテルで休みたい」
「了解です。私のことはクニイチと呼んでください」
「私はダイゴだ。日本で医者をしている」
「よろしくお願いします、ダイゴ先生」
 ホテル探しはお手の物だ。
 知っているところに電話をかけ、あとはタクシーを呼ぶだけだ。
 タクシーが到着すると、ダイゴは、トイレに行きたいといいはじめた。
「荷物みていてくれないか」
「わかりました」
 トイレにダイゴがはいると、私はタクシーの運転手にホテルの住所を書いた紙を渡し、彼がトイレから戻ったら「正規料金」でホテルまで送り届けるように言った。
 そして、私は、ダイゴに任せられた旅行カバンを引きずって、その場を後にした。
「日本人は勉強しなくっちゃ。ここは日本でなくてパリさ。荷物から目をはなしちゃいけない」
 
 カモになった日本人旅行者のかばんの中には、パスポートやカードは入っていなかった。
 私は、もし入っていれば、彼の泊まっているホテルに匿名で返そうと思っていたがその必要はなさそうだった。
 衣服が大部分。そして、ありがたいことに、現金も少し中にはいっていた。カバンは上等そうだし、衣服もけっこういいものが多い。中古品・古着買取にだせばまあまあな値段になりそうだ。
「悪いが、お医者さんだから、きっと日本でいっぱい儲けているだろうからこのくらい許してくれるさ」
 私には、善悪で悩む時間はなかった。
 明日の競馬とLOTOにどうお金を振り分けるか、それが私の頭を一番悩ませる問題だった。
 
 数日たって、私は、その日本人客を紹介したホテルに電話をして、フロントのステファンを呼び出した。
「どうだい、3日前に紹介した日本人の客は?」
「ああ。ここが気に入ったみたいで、まだ泊まってるよ」
「置き引きされたこと、なにか言っていたかい?」
「タクシー運転手のサミュエルによると、かなりおちこんでいたけど、警察には届ける様子もなくすぐあきらめたみたいだよ」
「届けたところで、まず物はもどってこないしな。それに、カバンにパスポートやカードはなかったから、それさえあればというとこだろう」
「でも、あの日本人、けっこういい人で、毎日おれにチップくれるよ。それに、意外に、フランス語うまいんでびっくりしたよ。なんか、一時、パリに住んでいたことがあるんだって」
「ふーん。そうはみえなかったけどな」
「きっとその日は、時差で疲れてたんだよ。うまくやったな、クニイチ」
「でも、そのあとは散々だったがな」
「全部すったか?お前、そっちの才能ないからな」
「うるさい。ところで、今夜、あいてるかい?」
「ああ。いつもどおり。ヒルの仕事が済んだら、ひとりでぶらぶらしてるだけだ。おれがいくかい?こっちくるかい?」
「サミュエルを呼んでタクシーでこっちこいよ」
「わかった」
 
 私のアパートにやってきた、二つ星ホテルのフロントで働くステファンとタクシー運転手のサミュエルは、私の知り合いだった。
 私が日本人旅行者をサミュエルのタクシーにのせ、ステファンのホテルに届けるというのは、ひとつのセットだったし、お互いがお互いに客を紹介する仲だった。
 他に、女や男を買ったり、賭博したりすることを観光客が希望すれば対応できるようなつながりはあったし警官の知り合いも数人いたが、3人ともマフィアやギャングのような凶悪な組織にはいる勇気はもちあわせていなかった。
 3人とも、正規の職業にさしつかえるような「やりすぎ」に気をつけながら、置き引きとか料金を少し割り増しするとかの「副業」をやっていたが、それは仕方がないことだと3人ともが思っていた。
それが3人にとっての、いや一定のパリの住人にとっての「世間」だった。
「でも、おれたち、もう10代のガキじゃあないんだから、そろそろこんなチンケなことはやめて、少し大きなことをしないとな」
これは、サミュエルの口癖だった。
 日本からの観光ビザを使って居ついた私や、両親ともフランス人のステファンと比べて、いわゆるアラブ系移民、アラブ2世であるサミュエルは広い横のつながりをもっているようだった。
 だから「やばい」話は、たいていサミュエルがもってきた。
 つい先日もLSDに興味あるかい?という話をもってきて、ステファンとクニイチに一蹴されたのだった。
 パリに在住する日本人の中の数少ない私の知り合いの中には、私の仕事ぶりや、特にサミュエルのようなアラブ人を知人とすることに対して私に忠告するものもいた。
 そんな親切な助言に私はこう答えた。
「哲学とか世界観とか宗教観とかいうが、それはその人の道徳観が現れているだけだ。その人がよく口にする言葉、それはたとえば、気質とか体質とか偶然とか境遇とか運命とかいう言葉かもしれないが、そういう言葉にこそ、その人を一番よくあらわすヒントがある。
特に、ある人が他人のことを批判する言葉は注目してもいい。それは、なによりも、その人自身を、その人の『自己像』をなによりもよく示しているのだから」
しかし、そういうえらそうなことを言っている自分も何者でもないことくらいは私自身わかっていた。
 そして、私の元からは、助言する親切心を持つ、数少ないパリ在住日本人もはなれていったのだった。
 
    3
 
 ステファンは、麻薬や暴力はいやだけど、泥棒ならやってもいいという考えだった。
「銀行強盗とか、宝石強盗とか。まあ、実際的なのは高級ホテルかな。多少はホテルの内情しっているし」
「ばかいえ。おまえの勤めているホテルとは警備体制が全然ちがうんだぞ」
「だから、もしやるなら一人では無理だ。君たちの協力が必要だ」
 私も、麻薬・暴力はいやだけど泥棒ならば、という点でステファンと一致していた。
 盗人のお金持ちから盗んで何が悪い?
 私は二人に、日本のネズミ小僧や石川五右衛門の話をしたことがあったが、二人とも真剣に聞いていた。
アルセーヌ・ルパンは3人共、子供のころ読んだことのあるお話しの主人公であった。
「犯罪は創造的な芸術だが、探偵は批評家にすぎない。警察はそれすらでさえない」
と考える点で3人は考えが一致していた。
 しかし、彼らは犯罪者きどりではいたが、犯罪者とはいえなかった。そのような、知識や技術や度量が足りなかった。
 だからこそ、彼等は、逆に、犯罪者たちの「ターゲット」となったのだった。
 
 その話をもってきたのは、やはりサミュエルだった。
「今回の話は、ステファンには話していないんだ。なんのかんのいっても、あいつの仕事が一番安定しているからな。その分、拘束時間も長いが」
「今度はどんなやばい話だい?」
「仕事は、そんなに難しくないし、やばいこともしない。ただ、頭数をそろえるのにある集会に出席してくれればいい」
「なんだ、サクラの仕事か」
「まあ、そんなもんだ」
「どんな集会なんだい?新店舗のオープン記念パーチィー?反政府集会?それともゲイ
を守る会とか?ネズミ講商品の宣伝の会とか?麻薬とかだったら、ぼくはおことわりだけど」
「いってみればわかる。初回、参加してみて、問題なければ続けて参加すればいい。初回参加すると1000ユーロもらえる。その後の報酬は、経過を追っていけばわかる」
「サミュエル、君も参加しているのかい?」
「ああ。今では、タクシーの仕事よりも、こっちの方が収入が多いくらいだ」
 
 私は、サミュエルにつれられて、いわゆる「アラブ人街」とよばれる、アラブの店が集まっている地区のあるカフェに行った。
「心配ない。アラブ移民の中で本当に危ない連中は、こんなパリの真ん中にはいないよ、奴らは、郊外の方にいる」
 カフェの奥のテーブルにつくと、サミュエルは、扉を閉め着席するように私にいった。
 サミュエルが天井から釣り下がっているい1本の綱を下に引くと、テーブルと二人のいる床が回転しはじめ、序々に下の方、つまり地下へと下がっていった。
「こいつは驚いた」
と言いながら私はサミュエルの顔をみた。
 もともと黒い彼の顔は暗い光の中では、その表情は読みとれなかったが、彼がいつもより緊張している様子なのは私にもわかった。
 いつも軽口をたたかねばいられない彼が返事をしないというのは、彼がいつもより無口になっていることを意味していた。
「さあ、もう下についた。いこう。おそらく、ぼくらが一番最後だ」
 私とサミュエルがそこから少し歩くと、広い、大学の階段教室のような部屋があり。そこに、数十人がすでに着席していた。
照明はやや暗くしてあったが、それぞれの出席者の顔は充分見れる範囲だった。
 私は誰か知り合いはいないかと会場全体をみわたしたが無駄だった。
 いや、一人だけ。
そして、その顔は彼をギョっとさせた。
 私が驚いたことに、数日前、私がルーブルの前で「置き引き」をした、あのダイゴ医師の顔がそこにあった。彼は7,8名の集団の中の一人で、その集団は、会場の中で少し他と離れたところに陣取っていた。
 会場の前の方で、ひとりの男が声をあげてあちこちに指示をだしていた。
 この男が、ここの代表か?
 そう思っていたら、その男は着席し、檀の上に視線をむけた。
 壇上に別の男がやってきた。
 しかし暗くて、影は見えるがその顔が見えないのが不気味だった。
 ただ、彼のしゃべるマイクからは、はっきりしたフランス語が流れてきた。
「聖職者であれ、権力者であれ、彼等のように天を見あげ祈ることよりも、世界を見くだすことの方を多く学んだような人は、今日の出席者のなかにはいないものと信じている。また、良い宗教を信じる人の中に悪い人がいるように、悪い宗教や集団の中にも良い人がいることは確かなことだ。
しかし、これだけはあらかじめ言っておかねばならない。
これから、皆さんが選ぼうとする悪の道は、登ることのない、もっぱら下る一方であることを、あらかじめ覚悟しておいていただきたい。
親切な男も酒を飲むと残酷になるし、正直な男も人を殺すとうそつきになる。富豪相手の陽気な盗賊も、いつかはつかまり泥にまみれるだろう。敵味方なく慈悲の精神をもって接していた救世主はやがてお互いのスパイとして利用され軽蔑されるだろう。仁義をつらぬくヤクザも最後は下等なゆすりに『たかられ』て金を払う運命になるだろう。
われわれの活動を無軌道という人々は世の中には多い。しかし、『無軌道な活動』は活動とはいえまい。それに無軌道はなによりも退屈だ。
世間のイメージとは違って、われわれは、準備する忍耐を知っている。
そして時々、準備を実行にうつしてもいる。
みなが成功しているわけでもないし、みなが世の中にニュースとして報道されるわけでもない。
だが、われわれは、そのようなものに価値はおいていない。
なぜなら、われわれは殺人犯人なのではなく、死刑執行人なのだから」
会場の参加者は、みな立ち上がり、姿なき演説者に惜しみない拍手を送った。
私はサミュエルのほうをちらりとみたが、サミュエルは真剣な顔で手を大きく振って拍手をしていた。
いつものサミュエルらしくないな、と私は思った。
 そのとき、私は、自分のまわりにいるのはたとえ友人であってもやはり外人なのだ、と思った。
 彼らは、日本人にはない、生まれながらの激しい炎のゆらめきをもっているのだ。
それは他の彼らの間に伝染し飛び火する。この国の人々は、暴動を起こしリンチを行うことのできるすさまじい精神力をもち、それはまたそのために団結することもできる精神をもっているのだ。
 この集会が何を目的にしているのかはわからない。
 しかし、ここが、私にとって場違いであることは確かだった。
 たぶん、自分はここにくるのはこれっきりだ。
 
 私は最後まで、この集会の目的を知らされないまま、会場をでて、階段をあがったカフェの1階のところで、約束の1000ユーロを渡された。
 確かに、集会に出席するだけで1000ユーロというのはうますぎる話で、それが逆に不気味な感じだった。
 私がみあたらなくなったサミュエルを探していると、うしろから指で突っつくものがいた。
 ふりかえると、それはあのダイゴ医師だった。
 逃げようとする私の腕を、ダイゴはつかんで逃がさなかった。
「さあ、捕まえた。事情を聞かせてもらおうか」
 この集団の中で日本語がわかるのはたぶんわれわれ二人だけだろう。
 ぼんやりした私の腕をひいて、ダイゴは私と共にそのカフェをでて別のカフェに入った。
 
    4
 
「クニイチ君だったっけ。君は以前からこの集会に?」
 ダイゴの前で、私は小さくなるしかなかった。
 そう考えつつ、この中年のおっさん、走って逃げたらきっとなんとかふりきれるだろうと踏み、出口に到達するまでの経路はシュミレーションしていた。
「いえ、今回がはじめてです」
 どういう口調がいいか考え、私は先生の前の生徒を演じることにした。
 これで、うまくきりぬけられないなら、Allez!ここを逃げ出すまでだ。
「そうか。ぼくはびっくりした。イスラム原理主義者のテロリストの中に、日本人がもういるのかと思ったよ」
「イスラム原理主義?テロリスト?」
聞き返した私にダイゴは語った。
「そうか、何も知らずに参加したんだな。最初はそうらしい。正確には、これはテロリストの外人部門の人集めの集会だ。イスラムを信じない外人たちを集めるには、思想を語るのでなく貧しさを利用するのが一番いい。思想は後からつけたせばいい。集会に呼び、金につられて、何回もでてくるような輩であれば大いに脈あり。その中から協力者を選べばいい」
「ぼくはテロリストになる気など」
「イスラム側にとってはアラブ人でないほうが、いろいろ動きやすいので工作の準備がしやすいんだ。外人は重宝がられるようだね」
「じゃあ、あなたはなぜあそこへ」
「誘われたのさ。なんか、ぼくが職がないのにパリで長い間うろうろしている医者にみえたみたいだ。ただの旅行者なのにね。まあ、若いころ数年パリの病院にいたからそういう雰囲気はあるかもしれないが」
 ダイゴは、昔働いていた病院を訪れ、そこの医学図書館でうろうろしていたところ、メキシコ人の医師から声をかけられたそうだ。
 私と違って、彼からいろいろ聞きだし、危険を理解した上で、さらにそれを超える興味で今日の会に参加したそうだ。
「なんか、ぼくに説明がなかったなんてずるいな」
「そりゃ、まあ、医者はテロリスト集団の中でもエリートだからな。細菌兵器の調達にも役立つかもしれないし。覚えているかい?イギリスで未然にテロが防がれたとき、逮捕されたのはみな外国人医師なんだぜ」
「フランスで日本の医師は働けるんですか?」
「だめだ。ヨーロッパで日本の医師免許が通用するのはドイツだけだ。でも・・・東ヨーロッパや北アフリカや南米からきて、フランスで働いている医師は何人かいる。日本人もね。ボスがみとめれば制限つきでOK、といった抜け道はやはりあるのさ。昔からね。だって、寛容さということに関していったら、日本とは比べ物にはならない国だからな」
「まあ、集会の正体が見えたからよかったということで」
「さあ、どうだろう?これで簡単に終わればいいが?」
「え?」
 私とダイゴの目の前に、いつのまにか警官がたっていた。
 そして、職務質問のあと、二人は警察へと連れられていったのだった。
 
そこで私とダイゴは、パリのイスラム原理主義のテロリスト集団のおとり調査の協力をパリ警察に依頼されたのだった。
 二人の日本人に説明した警察官はマルタンという名で、ずいぶんいろいろなことを一般市民である二人に話しをした。
 パリの組織の中心人物の名はウッサンといって、今日の集会で演説をした男だ。
 彼の父親は、イランの財閥で、父親の反対を押し切ってウッサンは過激派グループと親交をもち活動をここパリではじめた。
 反対している父親も、けんかしたとはいえ、かわいい息子だ。彼が今に、考え方を変えてイランにもどるのではないかと期待しながら、彼のパリの生活のためと必要なお金をいわれるまま送金している。
 その資金は莫大で、実はそれこそが、パリでの過激派グループの活動の資金源の大きなものだ。
 だが、この送金は合法的なもので、パリの警察もそれをやめさせることはできない。
 しかし、幸いなことに、最近、ウッサンとパリの過激派グループの間に考えの相違がでてきているようなのだ。
 ウッサンは、過激派グループに近づいたといっても、もともと裕福な家の人間だ。パリで非合法に銃を入手したり新しい細菌兵器を開発したりするのには乗り気ではなかった。
 むしろ、彼の一番関心は、パリの貧しいアラブ系の人々に富をわけ与えつつ、民族と宗教に誇りをもったイスラム系の人々の連帯を図ることだった。
 実際に、銃や生物化学兵器でテロを実行することではなかった。
 しかし、ウッサン以外の過激派グループは違った。
 特に、今日の集会でも前の席で周囲にあちこち指示を出していた男、シャパラたちは、ウッサンのところに父親のところから送られてくる組織のための資金を、武器調達のために使うことを強硬に主張していた。そして実際マフィアと接触して武器の調達をここパリではじめていた。
彼らにとって、ウッサンは単なる、金持ちの父親をもった金ずるにすぎなかった。ウッサンが行おうという民族への「啓蒙活動」など、鼻でわらい歯牙にもかけない、というのが本音だったのだ。
 これらの動きについて警察がわかるようになったのは、なんと、自分でコントロールが効かなくなった組織の動きに恐れをなしたウッサン自身が警察に相談しにきたからだという。
「そしてクニイチを集会に誘った、タクシー運転手のサミュエルも、ウッサンの命令で、このおとり捜査に協力しているんだ。彼もまたシャパラらのような行き過ぎた行動はよくないと思っていたウッサンの仲間の一人だった」
「サミュエル・・・そうだったのか」
 報酬もかなりのものとはいえ、危険と隣あわせのこの仕事に協力することをクニイチが承諾したのは、この友人のサミュエルもいわゆる『スパイ仲間』ということが大きかった。なんとか彼の役に立ちたい、そう思ったからだった。
 警察での話しの後、ダイゴはクニイチに言った。
「いい仕事がみつかってよかったじゃあないか、クニイチ君。これで、こそ泥なんてせずともしばらく暮らしていける」
「良かったのか、悪かったのか」
 クニイチはあの置き引きのことからできれば話題をそらしたかった。
「良かったさ。クニイチ君、ぼくは、君がなぜ盗みを働くかわかっているつもりだ。生活のため?それだけでない。話が飛躍するが、それは自由のためでもあるのだろう?違っていてもいい。聞いてくれ。でも、自由というのは、円のようなものだ。つまり永遠であると同時に牢獄なんだ。実は、世の中、束縛されたほうがむしろ居心地がよくてそちらをすすんで選ぶ人の方が、束縛されることを嫌う人よりもずっと多いんだ。君の選べる自由は、その自分を束縛する何ものかを求め選ぶ自由なのだ。約束してくれ、もう二度と盗みはしないと」
「ご忠告感謝します」
「イスラム原理主義者の集会で、いいことも言っていたのを聞いたかい?『悪の道はもっぱら下る一方だ』って。ぼくもそうだと思う。クニイチ君は、今の警察への協力が一段落したら日本に帰ってこいよ。帰ってしばらくたいへんかもしれないが、その間、ぼくが助けるよ」
「ありがとうございます。心強いです」
「いやたいしたことはない。正直いえば、君の境遇や決断がうらやましいんだ。自分が、若いころ、そうしようと思って、できなかったことを君はやっているからね。
 でも、君も、もうそろそろ、日本に帰るころだ。もしかしたら、これがパリでの君の最後の仕事になるかもしれないな。
年取った今ならわかる。好きなことをやっている連中が、我慢してないなんてことない。ただ、普通の人と我慢する場所が違うだけのことだ。ほとんどの人は最初に我慢する。彼らは、あとから我慢している。いろいろ後始末でね。でもそれだけのことだ」
 
    5
 
 私は、次の集会の後でシャパラに話しをして、そのイスラム原理主義の外人部隊にはいることを承諾した。
 承諾といっても、なにか署名をするわけではなく、宣誓をするわけでもなく、こんなあっさりしたもので秘密は守れるのか?と思うくらいだった。
 一方、秘密といっても、実際は会合でも抽象的な話、アメリカへの悪口、イスラム圏や移住地での貧困についての勉強会が主で、とくにテロと結びつくような話はなかった。
 ただ話しを聞いてお金を受け取って帰っていく。
 そんなお気楽なものだった。
 それでも、この秘密の会合に参加しはじめた当初は、クニイチはピアノの音を聞くたびに、「この音にはなにか暗号が隠されているのではないか」と妄想するくらいの緊張はあった。
 しかし、すぐに、参加することが日常的なこととなっていった。
 
そんなある日、シャパラが会合の席で突然言いだした。
「実は、集まった諸君の中に、警察からのスパイがいることが最近わかった」
 席の雰囲気が急にはりつめた。
 沈黙の時間が、1秒1秒と刻まれていくに連れて、クニイチは油汗が自分からわきでてくることを意識した。
「この会の参加は、あくまでも自主的で、強制参加ではない。また、イスラム教とは無関係の皆さんが、われわれの主張を聞いて賛同して協力してくださることにはわれわれも感謝しています。だから、毎回の会合のあと、ささやかながらお礼もお渡ししている。
しかし、警察のスパイは困ります。われわれの善意を悪用しないでほしい」
 シャパラは沈黙して座っている一人一人の顔を順に見わたしていった。
「警察のスパイになること。それはわれわれの、つまりは自分の夢を殺すことだ。夢を殺すとその人はどうなるか?まずは、時間が足りないという症状があらわれる。次に、人生は、あまり多くを望まないほうが、賢くて正しい生き方だと思い始める。そしてついには、何一つ偉大なことは望まず、個人的で職業的な業績だけを追い求めるようになってしまうのだ。死んだ夢は自分の中で腐る。腐って自分自身を侵し始める。われわれは、まわりの人に冷たくなり、ついにはその冷たさを自分自身にも向けはじめる。死んだ夢は必ず自分自身にその復讐の刃をむけるのだ」
 私はいたたまれなくなってきた。
「自分で名乗れといっても、名乗るまい。サミュエル、君のことだ」
 シャパラの合図とともに、屈強な男たちがサミュエルを取り囲み、暴れ叫ぶサミュエルを会場の外へと引きずり出した。
 会場は静まり返った。
「みなさん。われわれイスラムは、みなさんに紳士的態度で接しているつもりです。ですから、どうか皆さん、皆さんも警察のスパイなどという卑劣な行為はやめてください。お願いします。は
 後味はよくないですが、今日の会合はこれで終わりです。受付でお金と次回開催の案内をうけとってお帰りください」
 私は汗びっしょりだった。
「サミュエルは、今、どんな目にあっているんだろう?」
 そう思いつつ、受付でいつものようにお金を受けとるとき、受付の男に声をかけられクニイチは再び凍りついた。
「クニイチ、ですね。実は、シャパラがあなたとお話したいと言っています。案内しますので、これから別室にいっていただけますか?」
 
 シャパラとの話しは、警察のスパイかどうかの尋問ではなかった。
 それは、武器受け取りの現場へ行くようにという「本当の仕事」の話だった。
 シャパラたちは、こんな風に、会合のあと、個人的に「やばい仕事」をこっそりと依頼していくようだった。秘密を守るのには悪くない方法だ。
 ひょっとしたら、サミュエルは、こんな風に「本当の仕事」を与えられ、それを警察に通報し自分が「警察のスパイ」であることを暴露してしまったのかもしれない。
 要するに、失敗は許されない、ということだ。
 失敗すれば「警察のスパイ」であろうがなかろうが、そういう名目で集団からはずされる。
はずされるだけならいい。
 どんなペナルチィが課せられるのだろうか?
 怖い。
 私は、はじめて、この集団にはいったことを後悔した。
しかし、いずれこういう日がくることは、最初からわかっていたじゃあないか。
 目先のお金と、表向き楽な仕事に流され、まあいいじゃあないかと問題を追及せずに成り行きにまかしたのは、他ならぬ自分自身なのだから。
 
    6
 
 警察のマルタンに相談する前に、私はダイゴに相談するため、彼の宿泊しているホテルの部屋にいた。
 ダイゴは、約1ヶ月のパリの旅行を終え、まもなく日本に帰国しようとしているころだった。
 彼は、日本に帰国後、大きな病院の勤務医を辞して、田舎で小さな開業する予定だった。
 開業すると、なかなか海外にも出てこれないので、若かりし頃過ごした懐かしいパリをもう一度みたいと旅行にきたのだという。
「ぼくは、もう日本に帰るからな。依頼された仕事をどうするかはマルタンと相談してくれ。一番いいのは、依頼された仕事をせず、ここパリをはなれ日本に帰ることだな。日本は安全だ。シャパラやその仲間はすでにブラックリストにあがっていて入国制限があるはずだから報復の心配は日本にいればないと思うよ」
 クニイチは、考えがまとまらず、うまく答えることができなかった。
「ところで、クニイチ。会合には、いつもシャパラはいるらしいが、ウッサンがでてくることがあるのかい?」
「うん。壇上で毎回演説しているのがウッサンだ。シャパラは聴衆に指示はだすが演説はせずわれわれと一緒にウッサンの話を聞いている」
「そうか。やはり、実働部隊のリーダーはシャパラということだな」
「しかし、ウッサンは警察と通じているんだろう?例えば、警察のスパイということがわかりつかまったサミュエルの口から、ウッサンやぼくもまた警察とつながっているということがわかったりしないかしら」
「その可能性はゼロとはいえないな・・・そうだ、一度、ウッサンの家を訪ねてみようか?」
「知っているのか?」
「ああ。マルタンから住所と連絡先をぼくは聞いている。万が一のために聞き出しておいたんだ」
「ウッサンのところに、ぼくがどうしたらいいのか相談に行ってもいいだろうか?」
「うまいアイデアがでるかはわからないが・・・一度ためしてもいいかもしれないな」
 
 私とダイゴはダイゴが泊まっている部屋から連れ立って外に出た。
 出るとき、フロントにいるステファンに二人は声をかけた。
「いやあ、元気?」
「もうすぐ日本に帰るんですよね。ずっとうちのホテルを使ってもらってありがとうございました。居心地はいかがでしたか?」
「もちろん、すばらしいよ、君もすばらしい。紹介してくれたクニイチ君には感謝しているよ。今ではいい友人だ。いい1ヶ月の旅行になったよ」
「ありがとうございます。これから二人でお出かけで?」
「ああ。うまい食事でもしてくるよ」
「いってらっしゃいませ」
 最後の挨拶は、ステファンの日本語だった。
 けっこううまいものだ。
 私もステファンに手をあげて挨拶した。
 しかし、毎回、私はダイゴのフランス語の流暢さに感心していた。この1ヶ月の間にも、どんどんうまくなってきていて、今では、もしかしたら5年間暮らしている自分よりも上かもしれないと思うほどだった。
 
「おい尾行だ」
「え?」
 ウッサンの自宅があるパリ16区のそばの地下鉄ジャスミン駅で降りて歩いているとき、ダイゴが私に耳打ちした。
「どこ?」
「それが、少し笑えるんだが、こそこそ隠れてわれわれをつけているんじゃあない。堂々と姿をあらわしているんだ。今まで、もう何回も我々の前を何気ないふりして横切っている。待ってろよ、声をかけてみよう」
 ダイゴと私はしばらくして、車道を横切って反対側の舗道に移動した。
「今、我々の前を歩いているのが尾行者のひとり」
ダイゴと私の前には、背が低くてがっしりした体型で、髪をきっちりわけているアラブ人が歩いていた。
「それから、さっきまで歩いていた側を歩いているあの背の高い男。それが二人目の尾行者だ」
 確かに、そこには長身で髪の毛はレゲエ風の若い男が歩いていた。
 こちらには目をやらずにまっすぐ前を見ていた。
「ちょっと遊んでみようか」
 ダイゴは、また道を横切り、元いた側の舗道にもどり、その長身の男の後ろについた。
 そして、彼を追い越しながら、ささやいた。
「いやあ。今日はいい天気だね」
 返事はなかったが、彼は、車道を横切って、反対側の舗道を歩いている背の低いアラブ人と合流した。
 二人はそのまま、我々のあとをつけてきた。
「別に正体がばれてもかまわないってわけか」
ダイゴは楽しそうにいった。
 
 ウッサンの自宅は、閑静な住宅地にある、高級マンションの1室だった。
 私とダイゴは、丁寧に迎えいれられた。
 ウッサンは、サミュエルがシャパラたちから警察のスパイであることが見ぬかれたことをまだ知らなかったようだった。
 私が依頼されている仕事も「自分は関わっていない」からよくは知らないといった。
 ウッサンは、私がシャパラの依頼にどう対応したらいいか、自分もすぐにはいいアイデアはないと言った。
「おい、あいつら、この建物見張っているよ」
 ダイゴは部屋の窓のカーテン越しに外を見ながら報告した。
 私が見てみると、ここのウッサンに自宅に来る途中、自分たちを尾行していた長身とちびの二人組みが建物の玄関付近でうろうろしていた。
「少し、下におりて奴らと話してくる」
といって、ウッサンは部屋を出た。
 しばらくすると、窓から、ウッサンがその二人となにか話しをしているのがみえた。最後は少し口論になった風にもみえた。
 ウッサンがそこから姿を消してしばらくすると、そこにシャパラが現れた。
 シャパラは長身とちびの二人組みと何か話すと、3人は走りだした。
 
 私とダイゴのいるウッサンの部屋の戸を強く叩く音がした。
「ウッサンだ。シャパラたちが追ってくる。おれは逃げるから、お前たちは部屋から出るな。その方が安全だ」
 部屋の廊下にピストルの音が鳴り響いた。
 
 窓の外に再び、シャパラと二人の男が現れた。
 今度は「ずた袋」のようなものをひきずっている。
 あの中に、ウッサンの死体が入っているのだろうか?
 ダイゴが警察署のマルタンの連絡をとっている間に、どこからともなく車があらわれ彼等の前にとまり、3人とその「ずた袋」を載せて走り去った。
 まるで、ギャング映画を見ているようだった。
 
 私とダイゴは警察に無事保護された。
 しかし、警察署から、ダイゴが宿泊しているホテルへ戻るため歩いていく途中、私とダイゴは、屈強な4人の男に前後左右を取り囲まれた。そのうちの二人は、尾行し、ウッサンを殺害した長身とチビだった。
「まだ、白昼で人どおりも多い道だ。手はだしてはこないさ」
と冷静なダイゴの腕を、女の子がデートのとき男の子の腕にぶらさがるように摑みたい、と一瞬クニイチは思い、そう思った瞬間、その風景が自分でも滑稽に思え、ひとり笑いがもれた。
「そうそう。ある意味、この風景、少し笑えないかい?屈強な何もいわない4人の男に囲まれて、何百メートルも歩いていくこの風景」
 4人の男たちは、私とダイゴが地下鉄の駅でチケットを買うのを見届けたあと去っていった。
「これって、やはり『警告』ということになるんだよな」
 
    7
 
 ダイゴが、日本に帰るとき、私はシャルル・ド・ゴール駅まで送っていった。
 二人の間には、同じ危機を体験し乗り切った者の間だけにできる「同志」の心が芽生えていた。
 私にとっては、世界が何回もひっくりかえったかのような1ヶ月であった。
 私も日本への帰国を既に決めたのだが、そんな自分の人生の転換など、この1ヶ月体験したことに比べればとるに足らないことのようにさえ私には思えた。
 ダイゴは別れ際、自分の名刺をわたして、私に日本にきたら連絡をするように行った。
「確かに、現代は切実な問いを持ちにくい時代だ。あのイスラムのテロリストたちのように、大きな問いを誰もが持てるわけではない。日本はそんな平和な国だ。でも、それでも小さな問いはいくらでも存在している。どんな小さな問いでも大切に考え続ければ『偉大な問い』まで深めることができると思うよ。そういうことは日本にいても可能だと思う。・・・君が考えるより、日本の生活は捨てたものじゃあないさ。
日本に帰ったらしばらくはきっとたいへんだろう。微力だが、その間、ぼくが助けるよ。ぼくの名刺だ。クリニックの住所や電話もあるから日本に戻ったら連絡してくれ」
「ありがとうございます。心強いです」
 
 そして、ダイゴは帰国した。
 私の帰国も、それからまもなくのことであった。
 
 真夜中。快晴。
 運良く窓際の席になった私は、飛行機の窓を少しあけた。
 まだ離陸してまもない飛行機の窓の外に見える地上の街のあかりは、まるで空にまたたく星のようだった。
 希望は星の数だけ。
 そんなフレーズが頭にうかんだ。
 それは、不治の病におかされた者たちにとっても人生で閉塞状況におちいっている人にとっても、やはり真実なのだろうか?
 では、自分自身にとっては?
 今歩んでいる道は希望へとつながっていく道だろうか?
 
 私は、帰国直前にダイゴ医師から届いた手紙を、また読み返しはじめた。
 
 もうすぐ、5年ぶりの日本だね。
 準備は進んでいるかい?
 くどいかもしれないが、必ず一度は、日本のぼくに連絡をいれるように。
 君は、もうぼくの『同志』だし、パリでも言ったようにぼくがしたくてできなかったことを成し遂げた『分身』でもあるのだから。
 
 ひとつ、ずっと気になったことがあるので、聞いて欲しい。
 今回の事件についてのひとつの推理だ。
 別にパリ警察のマルタンにこの手紙をみせる必要はない。
 あくまでも推理で、実証はないし、所詮今回は『彼等』の事件だ。
 
 あの日、ウッサンの部屋からみた「ずた袋」の中には、本当にウッサンの死体がはいっていたのだろうか?というのがぼくの疑問だ。
 何を言っているんだ、探偵小説じゃああるまいし、と思うかな?
 実は、この1ヶ月の間、ぼくはウッサンとシャパラの二人の人物を同時に同じ場所で見たことはただの一度もなかったんだ。
君はどうかい?
 テロリストの集会で、演説するウッサンの顔はいつも暗くて見えなかった。結局、シャパラとウッサンを同時に見たことは、あの集会でぼくは一度もなかった。
 あのウッサンの自宅でもそうだ。
 最初に窓の外にシャパラがいるのを確認したのは、ウッサンが部屋から外にでた後だ。
 そして、シャパラに追われたウッサンがドアをノックしてしゃべった声は聞いているが、われわれは、ウッサンがシャパラに殺された現場はみていない。二人が、逃走と追跡劇を演じているところさえみていない。
あの「ずた袋」の中は、ウッサンの死体でなく、なにかゴミかなんかが入っていたんじゃあないかな。
 仮に、ぼくの推理が正しいとしよう。
 じゃあ、彼等は、なんのためにそんなややこしい偽装をしたんだろう?
同一人物であるのに、なぜウッサンは警察に協力し、シャパラは警察のスパイを摘発したんだろう?
 ひとつの仮説だが、穏健派のウッサンが、死んだということにしたかったんではないかと思う。
 ウッサンとその父親であるイランの財閥の存在は、もう公的にわかっている。銀行口座の入出金歴をふくめて調べることは容易で、それを隠すことは難しい。
 ウッサンが死ねば、同一人物のシャパラには、父親から、もっと自由に闇でお金を振り込むことができるようになる。
 ウッサンとしてはその行動に様々な制約があったが、シャパラとしてなら、大胆な行動をとることができる。つまり、ウッサンは穏健派から過激派へと自分の考えや行動を変えたんだ。
 つまり、今回の「ウッサン殺害」を契機に、イランからの資金援助はそのままに、イスラム原理主義の過激派グループの活動をもっと広げる狙いがあったんじゃあないか?
 じゃあ、クニイチは、どこでどういう役回りだったのか? 
 それは「ウッサン殺害の証人」だ。
 警察は、クニイチやぼくの証言を聞いて「ウッサンは殺害された」と疑いなく思うことだろう。
 殺すとあとがやっかいな日本人の利用方法としてはなかなか考えた役回りをあてたと思う。
 この推理には実証がない。
 それにこの推理が当たっていようがいまいが、それが何かに影響するわけでもない。
 でも、推理というのは、それが犯人逮捕に役立つから、とか、誰かの着せられた罪をはらすために、とか、いつも何かの目的とか得られるもののため以外におこなってみてもいいのじゃあないかと思う。
 それは真理ではないが、中立なのだ。
 その中性的な中立なものを、どう色づけるか?
 それは、それを手にした人の自由だ。
 
 窓際に座っていた私は、既にもう何回も読んだダイゴからの手紙を読み終えると、飛行機の窓をあけてみた。
 飛行機はもう雲の上に出ていて、地上ははるか下だ。
しかも外は闇。
 すると一瞬、遠くに雷の光がみえた。
 私の頭に、その暗闇の中で光った雷を背景に、シャパラとウッサンの顔が同時に浮かび上がるイメージがわいた。
 
 長い外国生活の間に、いろいろな印象的な言葉とすれ違った。
「現代は神をないがしろにしながら、実は数多くの迷信にとらわれている」
「何かを考えるにしても、そのものの中心ではなく、むしばまれた端っこしか考えないという病気もあれば、一方で正反対に、その中心しか考えないという病気もある」
 しかし今のぼくには、先日、家のパソコンのユーチューブで見た、スチーブ・ジョブスの言葉が一番気に入っているしそれが一番合っているような気がする。
 
「点と点がつながって道となることを信じること。
 先をみて、点を繋げることはできない。
 できるのは、過去を振り返って、点を繋げることだけだ」
 
 私は窓をしめ、目を閉じた。
 少し眠っておこう。
 


第7章 へのリンク: アベマリア 第7章 三角関係|kojikoji (note.com)

第1章 へのリンク: アベマリア 第1章 同業者の匂い|kojikoji (note.com)

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