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①「シン・開業医心得」 プロローグ
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https://youtu.be/iGRwUov3O74?si=bH2ZszSCB6b6fquq
プロローグ
* この本の内容は、デザインエッグ社(MyISBN)から既に出版している「開業医心得」に、大幅に加筆・訂正を加えたものである。
若いころは、普遍的な学問とは、自然科学の中にこそある、と思っていた。だが、その考えは、年齢と共にどんどん変わっていった。
実は、昔からのくりかえしで変わりばえのしない、人文科学のほうが普遍的な学問なのではないか?
単純に、変わりばえがしない=普遍的、ということだ。
その性質上からか、自然科学の知見は、その性質上からか、わずかな間にも変化していく。
例えば、小さな例だが、今は、昔とは違って、傷の消毒は、傷の再生を遅らせるので消毒はせず水洗いがいいとされている。また、胆のう切除の手術で胆のう管を長く残すとそこに胆石ができるから胆のう管は長く残さないようとぼくは厳しく指導されたが、いまでは。それは関係ないとされている。
こんな例は、枚挙にいとまがない。
もともと、医学生のころのぼくは、精神科にいくか?生化学の研究者になるか?を迷っていた。
もちろんぼくは精神分析を受けたこともないし、本格的に勉強したこともない。ただ、医学生のおわりに、ラカンの原著の翻訳の会に短期間、顔をだしたことがあった。
フランス語を聞いたり話せたりすることができないのに、フランス語の書物を読むことはできる。それも、雑誌や新聞の文書ではなく、哲学書の。もっといえば、雑誌や新聞の文章にある日常の単語はよく知らないのに、フランス人でさえ知らない、哲学の専門用語をよく知っている、ということはありえるのだ。なぜなら、それは、学生時代のぼくの姿だったから。
とにもかくにも、ぼくにとって、語学学習とは、お金を使わずに空いた時間を何時間もつぶすことのできる手段だった。その国の言葉がしゃべれる、とか、そこの国にいく、ということはまた別問題だった。
その結果、例えば、当時、言語に関する発見をして(した、と自分で思い)嬉しくなっていた。残念ながら、それは、世の中の誰にも認められなかったが、時間が経った今、例えば「存在論的英文法論序説」(拙著「アペリチッタの弟子たち」コンプリ出版、所収)で再び世の中に問うている。
新潟の田舎のぼくの故郷は、自然はあったが、コンビニ、マック、ゲームセンターなどなかった(パチンコ屋はあった)。どう、表現すればいいのだろう?とにかく「もの」がなかったのだ。
小さなころ、家から歩いて10分以内のところに、図書館があって、ぼくはそこの常連だった。当時は、「玩具」はあったが「コンピューターゲーム」はまだなかった。いわば、本が「ゲーム」のようなものだったのかもしれない。
今でも、一番好きなのは、いわゆる当時夢中だった「児童文学」というものだ。また、世界や日本の文学のダイジェストが子供向きに書きなおされたお話も面白かった。後に大人になって、その「名作」が「ゆがんだ」人間の性を書き込んだものであることを知るが、知ると返って、文学が好きではなくなった。正直にいえば、大人になってから、「これは面白い」と夢中になるような「小説」にほとんど出会ってない。
いわゆる「推理小説」も嫌いではなかった、だが、論理の組み立てかたの面白さはならいわゆる理系の勉強のほうが面白かったし、登場人物の犯罪を犯すほどの「ゆがんだ」人間の性、には(「文学」に対してと同様)個人的にあまり興味がもてなかった。なにより、大人になると、事実を明らかにしても、それが必ずしも万人に認められるわけではない、というのが現実なのに、推理小説では、推理で明らかになったことが、みんなにすんなり受け入れら終わるというおきまりなが、物足りなかった。
大学生になると、「小説」より「思想」のほうに興味をもった。
だが、社会人になってしばらくすると、その「思想」も、つきつめればひとつの「歪曲した」個人の考えと思うようになり、遠ざかるようになった。
あるいは、乱暴な議論にはなるが「何のために自分は生きているのだろう?」という問いが気になるうちだけ、「思想」が気になるのだ。そして、その問いに対する答えは「そのような問いをもつ必然はまったくない。そのような問いを自分にもたせるような社会や時代の影響は問うに値するかもしれないが」なのだ。
とはいえ、一番大きいのは、仕事に追われて、本の世界に触れる時間が無くなってしまったということだが。
結局、ぼくは、医師国家試験にパスしたのち(ぼくにとってはとても難しかった。頭に「あわなかった」のだろうか。ずいぶん苦労してやっと62点という成績だった)、外科の臨床医になった。そして最初に選んだのは移植外科だった。だが、日本の移植医療の発展が難しいと感じた後、消化器外科に専攻をかえた。専門医は外科、消化器外科の二つをとっている。
移植外科のとき、1か月アメリカのピッツバーグ、2年間フランスのパリに留学。医学博士のテーマは「異種移植」だった。消化器外科のときに、アメリカのMCアンダーソンがんセンターに1か月留学しており、最後の勤務病院は、若いころ勤めていたような救急病院ではなく、いわゆる「がんセンター」だった。
そして、14年前に、ぼくは勤務医をやめて、開業医になった。
それが、良かったか?悪かったか?
だが、選んだあとは、そんな問いは意味がない。
なにかの専門を極めるという点では、それをあきらめたということについては決定的なことだった。
一方で、自分の経験の幅を広げるにはいい選択だった。
そして、一度離れた「文学」の世界にまたもどるきっかけとなったことも。
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