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新しき地図 2 妄想トリック

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2 妄想トリック
 
    1
 
 首都圏でおこった「京浜大震災」と名付けられたこの地震は、阪神淡路大震災、東日本大震災や熊本地震に匹敵するような、かなり強いものだった。
 あれから、ずいぶん社会は進化した、と思われていた。だが、日本によくおこる地震の予知をしたり、さらに一歩進み、地震の規模を人工的に小さくしたりすることは、到底、実現に遠かった。被害を最小にするため今まで、いろいろ備えてきた人間たちをあざ笑うかのように、また大地震が牙をむいたのだ。
 あちこちで、木造建物が倒壊し、鉄筋の建物にもひびわれがはいった。死者56人。重軽症者数は1000人を超えた。
 「とりあえずの平常」がもどるまで、約1カ月を要した。
 とはいえ、あちこち損傷した建物や生活がそこから回復していかなければならない。
 いろいろな、復興にまぎれて、野崎病院の理事長、野崎守の死は、自殺として結論づけられ、その後特に問題もなく経過した。 
 そして、その地震から2年が経とうとしていた。
 
 私の興信所での仕事も、ようやく、地震前のペースをもどしつつあった。
大きな声では言えないが、私は昔、泥棒稼業をしていた経験があった。そして、それは、私立探偵をやっていく上で必ずしもマイナスとはいえないと思う。
 私、表邦一(みなクニイチと呼んでいる)がそんな稼業に手をそめたのは、学生時代にヨーロッパの一人旅に出かけて5年くらいして、どうにもこうにもお金のやりくりができなくなったためだった。日本人の旅行者相手を中心とした、「泥棒」稼業は、考えていたよりも簡単で効率がよかった。
その当時は、考え方を少し変えることで人生は暗くも明るくもなると驚いたものだ。
 そんな、こそ泥をやっていた私の正体をはじめてあばいたのが、旅行でパリにやって来た医者のダイゴだった。
 そのときの話はいずれ語ることもあろう。
 とにかく、彼との出会いにより、わたしは、泥棒稼業から足をあらい日本へ帰国することにした。
 日本に帰ったところで、大学を中退して5年間もヨーロッパで何をしていたかわからない(実際、何をしていたと自慢できるものはなかったが)30歳に近い男が働き口を日本で探すのは大変だった。
 体で覚えたフランス語を活かす仕事をと思い、まず観光ガイドを始めたが、日本にやってくるフランス人観光客は、決して多いとはいえなかった。ポルトガル語やスペイン語での仕事は少なくなかった。それは観光ガイドではなく、日本に働きにきている人たちへの援助とか、あるいは彼等が罪を犯したときの尋問の通訳の仕事だった。
 派遣での仕事も考えたが、臨時ではいってくる観光ガイドの仕事をするためには、喫茶店やコンビニのアルバイトの仕事の方が都合よかった。といっても、これらの仕事だって、急に欠勤することを伝えると、理由を言っても「もうこなくていい」というオーナーは少なくなかったが。
 結局、たどりついたのは、興信所の仕事だった。
 浮気調査、身辺調査が中心のこの仕事で私はめきめき頭角をあらわした。
 さらに、ある依頼で泥棒をつかまえる機会にめぐりあい、そのとき警察からの信頼を得たことがきっかけで、私は独立開業し「クニイチ私立探偵事務所」を開くことができた。
 今でも、難事件がおこると、警察から私の方に、事件の解決のための協力のお願いが時々あって、それが小さな私の事務所の少なからぬ支えになっている。ささやかな経営的な売上上昇として、そして何よりも、自分の生きる意味、のささやかな「あかし」として。
 それにしても、元泥棒が泥棒を捕まえるというのはなんと皮肉なことであろう。
 だが、そのことはもちろん警察には話していない。
 この秘密は墓場までもっていくつもりだ。
 なにも約束したわけではないが、ダイゴもこの秘密を守ってくれるに違いない。
 なにしろ、個人情報を口外しないというのが医者の義務のひとつなのだから。
 
 通称、ダイゴこと小島大虎は、50歳を少し超えたくらいの年だったが、顔は若作りで、40歳前半といっても世間では通用するかもしれない。
しかし、最近腹がではじめた典型的な中年の体型をしていて、そんな医者がメタボ検診でアドバイスをしたところで誰がそのアドバイスを守るだろう、と思ったりする。
 それでも、彼が8年ほど前に、首都圏近郊で開業した個人クリニックは軌道にのっていて、1日に平均40人ほどの患者がやってきていた。ダイゴにいわせれば、決して成功した人気のクリニックではないということだが。
ダイゴがパリで私に会ったのは、彼が勤務医をやめて開業する直前のことだった。
「開業したら、借金もあって、しばらく旅行なんてできないと思って。今回はその前に長期の休みをとったんだ」
 長期といっても1ヶ月くらいの旅行だった。その旅行者で50歳の中年男のダイゴに、5年間パリにいた30歳の若者である私が、まんまと尻尾をつかまれたのだった。
 日本にもどると、私はすぐダイゴと連絡をとった。
 彼はクリニックで忙しくあまり外に出れず、私の方から彼の方を訪ねるというのがもっぱらだった。
 患者としてではなく、「友人」として彼と会うのは、彼の仕事が終わった夜の7時すぎだった。
 彼は、いつも親切で、私が独立開業する前には、時に生活資金の援助をしてくれることもあった。
ただ、探偵事務所の開業資金の借り入れを私が頼んだとき、彼はこう言って断った。
「ぼくにとっては、君との関係が、ずっと対等のままであることが大切なんだ」
 私が、ダイゴのところをときどき訪ねるときの話題の中で、私の手がける「事件」のことは、私にとって、そしてたぶんダイゴにとっても重要な位置をしめていて、それが私たち二人を結び付けていた。
 私が話すことを、ダイゴは書斎探偵よろしく熱心に聴いてコメントをだし、またそれに対し私が反論する。
「こういう時間は、ぼくにとって、どんなおいしいお酒や美女とすごすよりも楽しい時間だよ」
 そのダイゴの言葉と私の気持ちは一緒だった。
 おまけに、ダイゴには、天性の「探偵」としての能力がそなわっていた。正直、本業の私が、とても彼にはかなわない、と思わされることがしばしばあった。
 そう。二人の時間は、私にとって楽しみであると同時に、からんでしまった自分の思考回路をときほぐすために有益なものでもあったのだった。
「クリニックで病気の原因を探るのと、『探偵』の推理と共通のものがあるのかな?」
「いや。クリニックには、そんな診断に困るような患者はこないよ。風邪ひきや湿疹ばかりさ。困ったときは、大きな病院に紹介だし。診断を推理するより、むしろ、患者さんが、いつもどんな薬を服用しているか?最近、うちのクリニックに来る前、どんな薬をのんでいたか?を聞きだすほうが大変だよ。患者さん、何も言わなくても、自分が服用していた薬のことを、医者はお見通し、と思っている人が多いんだ。でも、薬の名前まで特定できないと、実際には役にたたないんだ。お薬手帳に記録してあるといいんだけど」
「そうか。薬の色や形や飲み方くらいしか、みんな覚えてないものな。そこから薬の名前を推理するのは相当やっかいそうだ」
「そういえば、かのシャーロックホームズを創造したコナンドイルも、ぼくのようなおちこぼれの医者だったらしいじゃないか。彼は、自分のクリニックがあまりに暇で、生活をしていくために推理小説を書きはじめたらしい」
「ダイゴ先生は、おちこぼれの医者じゃあないじゃないか。患者さんもたくさんきてクリニックも流行っているし」
「勤務医をやめて開業医になった時点で既に『おちこぼれ』という感覚がぼくにはある」
「それはちょっとおかしくない?それにほかの開業医の先生に失礼な話だ」
「だからそういうことは、君にしかしゃべらない」
「そんな風に言うなら、ずっと外科医を続けていればよかったじゃあないか」
 ダイゴは、開業する前には、大きな病院で外科医として20年以上働いてきていたのだ。50歳前というのは、一番外科医として円熟しているころだ。そして、そのピークにその仕事をやめ開業することにしたのだ。
 その理由について、ダイゴは私に何も語らないが、それは私が彼にいつか一度聞きたいと思っているところだった。
 しかし彼はそんな私の興味を気にもかけなかった。
「とにかく、探偵と医者の仕事の間には少なからぬ共通点があるとは思う。それは、説明すると理屈っぽくなって伝わりにくいが。例えば、見えないものをわずかに見えるものから想像すること。あるいは、正しい選択というのが、単に論理としてや科学的に正しいというだけでは正しくなく、人間の感情が、筋のとおった治療の正しい選択に加味されること。かな?」
 
 ダイゴのクリニックは首都圏の郊外で、電車で30分ほどはなれた地方都市にあり、さらにその都市の中でも、やや中心からはずれたところにあった。
 私の探偵事務所は首都圏のビルの中だが、住むところは、ダイゴのクリニックのある地方都市の駅近くのアパートを借りていた。
 家賃が安く、田舎で空気もよく、かといって職場に通うにも便利だったからだ。といっても、職場に泊り込んで家に帰れないということはしばしばあったが。
 でもそれは常ではない。
 仕事がはいれば徹夜続きのこともあるが、仕事が多すぎて、まわしていくのに困るというほど、流行っている探偵事務所ではなかった。
なんといっても、それほど働くつもりもなかった。
 クリニックのまわりは田んぼが多かった。
たまたま偶然に農地転用が可能なところになった土地に、ぽつりと建てられたものらしい。
 建物の概観は白い壁を基調としてWの字になっていて、むかって右側は1階建て、左側は2階建てで2階には院長室やスタッフ室があった。広いガラス窓のある待合室と、受付とその後ろにあるやはり広いガラス窓をとおしてみえる中庭の木が印象的な建物だった。
 最近のクリニックの傾向どおり、ダイゴは、この土地を借りて、建物だけは新築し、自宅からこのクリニックに通って仕事をしていた。
 診療時間は朝9時から12時。そして昼休みをはさんで午後3時30分から6時30分。基本的に、朝、診療開始前に、1日1件、経鼻内視鏡で胃の検査をおこなっていた。1日40人くらいの来院患者だ。
 内科、消化器内科、外科、皮膚科の看板がかかっていたが、ようするに、風邪や湿疹、切り傷、いぼから予防接種まで、軽いものはなんでもみて、数少ないがほおっておけない重症者を市内の大病院に紹介するというのが地方のクリニックの平均的仕事だ。
 ダイゴは午後6時に受付がおわり、午後6時30分ごろ、クリニックのスタッフが帰宅したあと、毎日15分から30分、クリニックでソプラノサックスの練習をしてから帰宅するというのが日課だった。
 練習場所は、クリニック内のレントゲン室。
 放射線を遮断するために鉛が壁にはいっているので、完全ではないがある程度の防音効果があった。アンプを使った電子楽器でない、サックスの音にとっては充分だった。
 ダイゴがサックスを始めたのは、この開業と同時だった。つまり、まだ8年くらいのキャリアしかない。
 もともとピアノやドラムの演奏を少ししていたらしいが、いずれもまったく素人の域をでない腕前だった。だが、音楽が好きなことは好きなようだ。クリニック開院のときは、待合室を使ってサックスコンサート(出演はダイゴでなく、ダイゴのサックスの先生とその仲間)を開き、1周年には、東京の町田で少し名の知れたストリートミュージシャンがピアノのひきかたりの出前コンサートをおこなった。
「次は、ダイゴ先生のソロコンサートかい?」
と、私がからかうと、
「よせやい、無理、無理」
とさかんに照れる姿がかわいかった。
 
 ここは、ダイゴのクリニックの2階の院長室。
 最近、ダイゴは家で食事をせずに、クリニックでひとり夕食を作って食べることが増えた。
 なので、私が、クリニックに夜遊びに行くと、一緒に食事を院長室でする機会が増えてきていた。
 さらに今日は、私の他に、私の彼女(と私が勝手に思っているだけなのではあるが)のアイちゃんも、ここクリニックの2階での「夕食会」に飛び入り参加していた。
「今日のできは、どうかな?」
「ダイゴ先生の食事、どんどん、おいしくなっているわよ。ひとりめし、ばかりでなく、もっとこんな風に私たちのためにつくれば、料理も上達するわよ」
 今日は、私とダイゴは、ダイゴの作った夕食をつまみに、お酒(日本酒、またはワイン)をクリニックの2階で飲んだあと、アイちゃんが、酔った二人を自宅まで車で送ってくれることになっている。
 最近、こういうパターンが増えた。
 たしかに、ダイゴの生活は、ここ数年で変化がでてきた。
 奥さんや子供たちと、距離ができたのだろうか?毎日、クリニックからそそくさと家にもどっていく、という風ではなくなってきていた。
 ダイゴによれば、最近、アルバイト先で、あるきっかけで、偶然に手術をする機会があって、そのときに、昔の身体感覚がよみがえって、また外科医の復帰を考えるようになってきたのという。
 しかし、一度開業して、また外科医にもどるという道は、ほとんどない、という。開業はいわば「片道切符」なのだそうだ。
「もちろん、大きな病院で、開業する前のような外科医をやるということは考えてないよ。じゃあ、どうやって?といわれても、まだ模索中、としかいえないけどね」
 そういえば、まだ、ダイゴからなぜ好きだった外科医をやめる気になったのか?という話を私もまだ聞き出せていない。
 とにかく、最近、ダイゴは、次の道を模索しているようだった。
 しかし、次のことは、相変わらず変わらないままだ。
私が、手がける『事件』について話すことを、ダイゴが聴いてコメントをだし、またそれに対し私が反論する。
「こういう時間は、ぼくにとって、どんなおいしいお酒や美女とすごすよりも楽しい時間だよ」
 私の気持ちもこのダイゴの言葉と一緒だった。
「世の中や人生は、どんどん変わっていくからな。こういう時間は貴重だよ」
 
     2
 
 私立探偵事務所をやっていく上で大事な素質はなんだろう?
 ある人の人となりが、その人の職業を選ばせるときもあれば、職業がその人の性格を変えていくこともある。
 しかし、私のいる、世間で「興信所」とよばれる職場は、かなり幅広い素質の人をうけいれることができるのではないかと思っている。
 しかし現実は、高収入と社会的名誉を重んじる人は決して私のいるような世界に入ってこないものだ。
 私は、自分でいうのもなんだが、なんでも即座に実行するタイプだ。
 お金は現金払い、事があればすぐ喧嘩するし、歯医者の予約時間に遅れたためしはない。
 当然、ひかれた女性に対しても、直球勝負。
 たとえ、はじめて会った相手でも、好みとみればすぐくどく。好みであれば、の話だが。
 だから、ひとりの女性と長くつきあうというタイプではないのだが、このアイちゃんという女性だけは特別な関係だった。
 一緒に歩いていても、すぐにすれ違った女性を振り返ってしまう私を見捨てることなく、私につきあってくれる。
 彼女は、結婚していて立派なだんなさんもいるのだが、私からの食事の誘いに3回に2回はつきあってくれる。かといって、私に夢中という風ではなく、その証拠に、彼女のほうから私を誘うことはない。
 夜遅くなっても、いっこうに平気な彼女に、私の方が遠慮して、
「だんなに、遅くなるって連絡しないでいいのか?」
というと、決まって
「大丈夫。夕ごはんはつくってきたし、遅くなるっていう手紙も書置きしておいたから」
と、あっけらかんだ。
 夫婦の間に子供のいないのも大きいのかもしれない。
 そして、彼女はひそかに、「小説家」になることを計画しているという。
「クニイチの話、ネタになりそうなものが多いから、いつも楽しみにしているの」
「そうかな?」
「わたしは、よくできた主婦と思われているでしょう?だから、あなたの話してくれるようなどきどきした経験、できるわけないし。でも、自分で経験しなくちゃお話を書けないなんてことはないわよね。そうだったら推理小説作家は、一生に一冊しか本を書けないことになるわ。だって、一度、人を殺したら、一生牢屋の外に出られないもの」
「ぼくは、人を殺したことはないよ」
「わかっている。そんな、幼稚な話は聞きたくないわ」
「幼稚?」
「人を殺して嫌な相手を世の中から消してしまえばいいって、一番芸のない、小学生でも思いつくような解決方法でしょう?何にも考えてない。考えずとも思いつく」
「でも、そうする前には、複雑な思いが」
「わたしは、単純に思い、複雑に行動するほうが性にあっているの」
(やれやれ。このアイちゃんには、口では、けっしてかないそうもないや)
 
   *
               
 私が、今回ダイゴ医師に相談したのは、「のぞみ苑」という老人ホームで頻発する窃盗事件のことだった。
 その老人ホームは、つい最近、新しく作られたもので、経営者兼施設長の野崎淳は、2年前に自殺した、あの野崎病院の前理事長の野崎守の、息子にあたる。
 もう一人の、野崎守の息子、野崎英一は、野崎病院の事務長だった。
野崎英一は、2年前の野崎守の自殺当日に手術を受けていた人物だ。そして、その日、おこった大地震で大怪我をしたらしいが、退院後の行方を私は聞いていない。
 怪我は頭部のもので、思い後遺症が残って、仕事復帰ができず退院後も療養中という噂を聞いている。
 世間では、野崎守の死亡原因は自殺とされていたが、実は、私とダイゴ医師は、他殺の可能性も否定していなかった。とはいえ、確たる具体的な証拠があったわけではなかったが。
 野崎守のあと、その医療法人「野崎病院」の理事長になったのは、院長だった阿部保だった。医療法人の理事長は、原則、医師がつとめることになっている。野崎守の二人の子供は医師ではなかった。既に、大きくなった組織を、簡単につぶすわけにはいかない。野崎守の血縁ではない、阿部保が理事長になるのは、やむをえない措置だった。
 この「のぞみ苑」は、2年前の地震で、自分の経営する「野崎酒造」の蔵が損害をうけたことを契機に、野崎守の兄の野崎清が、その蔵を廃業し、かわりに経営をはじめた老人ホームだ。その際、野崎清には子供がないため、甥にあたる野崎淳(野崎清の弟の野崎守の、息子)を養子にむかえた。
 今回の事件解決の依頼とは、経営者兼施設長の野崎淳の部屋の中の売上金が、なにものかに何度かくりかえし盗まれるので、その犯人をみつけてほしい、というものだった。
その窃盗は、野崎淳が、部屋を開けているわずかな時間の間におきていたので、明らかに、施設内の職員による犯行と思われるということだった。
 野崎淳は、窃盗事件が続くので、しっかりした金庫を買い、お金の管理をしっかりするようになったが、それでも、金庫に入れる前の、小額のお金が時々なくなることに、彼は腹をたてていた。でも、そんな話をしても、警察が熱心に対応してくれないという理由で、私立探偵の私に犯人探しの依頼をしてきたのだった。
 
 その日、経営者の野崎淳は、昨日、また小額のお金が盗まれたとして、非番の者も含めて、その老人ホームの職員全員を招集していた。
 私は、ダイゴに来てもらって、ともに、野崎淳と職員の面接に立ち会った。
 面接がおこなわれるまでの待機の場所は、普段、ぽつりぽつりと車椅子に乗った老人たちがいるロビーだった。
 いつになく、入居している老人たちより多い人数が集まっているので、なにか特別な祭りでも行われるような雰囲気になっていた。
 面接は、ひとりずつ。
 昨日の盗難のとき、その時間、何をしていたか?についてぼくが尋ねる。
 勤務してなかった者に対しては、なにか、噂話やこころあたりはないか尋ねる。 
 野崎淳は、私が聞いたことで物足りないことを補う形で質問をする。
 私は、ダイゴにも同じように、追加の質問をしてもらいたかったのだが、ダイゴは、面接の間、一言も発しなかった。
 彼は、あらかじめ、全雇用者の履歴書、そして、なぜか、入居者の老人のカルテ一式をほしがった。
「ダイゴ先生はお医者さんだから、カルテをみたいのはわかるけど、ここに入居している老人は、認知症やら、手足の麻痺をもっている者ばかりだから、とても、わずかな時間の隙をぬっての盗難なんてできないよ」
「そうか」
「それに、ここは病院でないから、あまりカルテといってもしっかりしてないよ。介護者の申し送り程度のものだよ」
「そうだね」
と言っていたダイゴは、面接の時間中、その「役にたたない」カルテを読んでいて、面接者の方は、簡単に一瞥をくれるだけだった。
 私は少しやきもきして、休憩で、野崎淳氏が部屋から出ていったときにダイゴに言った。
「もう少し、形だけでもいいから、熱心に面接を聴くふりをしてくれよ。野崎さん、少し怒っているようだよ」
「面接ね。なんか寸劇みたいだよね」
「面白がっている場合じゃあないよ。寸劇といっても、真剣勝負なんだから」
「失礼。確かにそうだ。でも、ぼくは、ぼくなりに真剣なつもりだけどね」
 面接が再開され、しばらくすると、リーダーとよばれる、介護士のまとめ役への面接がはじまった。
 野崎淳氏の声のトーンがあがり、叱責の声があがった。
 君の現場管理、指導がわるいから、こんな風に、くりかえし窃盗事件なんぞがおこるんだ・・・。
 そこで、はじめて、その日、ダイゴが質問を希望した。
「あなたは、介護士のリーダーということですが、まだここに勤務して1ヶ月ですね」
「はい」
 野崎淳は、いらだった声で話しをした。
「まったく、ここに勤務するもののレベルの低さといったらどうだろう。この前のリーダーのときも、既に盗難が始まっていた。新しいリーダーになっても、ちっとも変わらないじゃあないか。なんてざまだ」
「そうなんですよ、野崎さん。そこです」
「わかるかね。施設長の苦労が」
「いや、そうではなくて、今あなたが言った大事なこと。『盗難は前のリーダーのころからあった』そうですね」
「そのとおりだ。だから、私はいらいらしている」
「今日面接にこられた勤務している方々の履歴書を拝見しましたが、リーダーはここにきてまだ1ヶ月ということですが、他の介護士たちも、一番長い方で6ヶ月しか働いてみえないようですが」
「ここの老人ホームは、まだできてから2年ほどしかたってない。しかたがない」
「開業した2年前からずっと勤務している方は見えないようですね。正確にいうと、半年間以上、勤務を長続きさせている人はひとりもいない」
 野崎はむっとして言った。
「君も、スタッフが長く勤務しないのは、運営方法がおかしいからだ、といいたいのかね。私の耳は節穴では、ない。そういう私に対する悪口が蔓延していることは百も承知だ。しかし、ろくに働きもしないのに、高い給料を要求し、少し嫌なことがあると、さっさとやめてしまう。そういう雇われる方の資質の問題はないのかね。あげくのはてに、盗難事件までおこすものがいる」
「私の言い方がよくなったかもしれません。私は、経営のことはよくわからないのです。また、介護の現場では、就職者の出入りがとても激しいということも、多少聞いています。ただ、ひとつ。盗難事件は、1年前から起こっているということをいいたいのです。そして、1年前、ここに勤めていた方は誰もおみえにならない。盗難事件は、異なる別々の方がおこしたのでしょうか?」
「それは・・・」
 そして、ダイゴは、1枚の紙をわたした。そこには、3人の、入居者の名前がかかれていた。
「クニイチ君。申し訳ないが、この3人の入居者の部屋を、詳しく調べてくれないかね。現金等、なにかでてくるかもしれない。3人のいずれが犯人かは、この不充分なカルテからは特定できないがね」
 そして、確かに、3人のうちの1人の部屋から、金品がみつかった。
 
「いったい、どうして、この3人が怪しいと思ったんだい。みな、認知症があって、正常な判断ができない人たちだというのに」
「そう、ぼくはこの老人ホームに入居している方で、認知症とおもわれる人をまずピックアップしたのです。さらに、1年以上、ここに入居していること、あと、車椅子等の介助なしで、自力で動ける方であること。3人は、この条件をいずれも満たすかたです」
「でも・・・」
「認知症のかたが、盗難するような知能を失っているということは一般的にはそうでしょう。アルツハイマー型や、レビー小体型や、脳血管性の認知症の方は無理でしょう。ただ、少しだけ、例外があります。それは、ピック型とよばれる認知症にかっかっているケースです」
 
 ダイゴが指摘した、ピック型認知症の特徴とは、前頭葉が委縮するが、側頭葉は比較的たもたれるということだそうだ。
 前頭葉は、人間の理性や感情をつかさどる場所なので、そこが障害されると、楽しい場面でないのに笑ったり、集団から勝手にぬけだしたり、無愛想であいさつをしない、能面のような顔つきになる、怒りっぽい、しゃべらなくなる、といった症状がでる。なかには、高速道路で車から降りてしまうとか、万引きをするとか、身勝手で突拍子のない危険な行動をとることもある。
 でも、側頭葉は保たれているので、記憶力は比較的保たれ、頭頂葉も委縮してないので、道にまよわないし、知能検査では認知症とは定義できないくらい優秀な患者もいるという。
 カルテからは、ピック病ということはわからなかったのだが、その「盗難者」についていろいろ調べると、やはり彼はピック病患者だということが判明した。
 1年前から度重なる、施設内の盗難事件はこうして解決した。
 職員の中に、盗難者がいなかったことで、施設長の野崎淳も少し反省した様子だった。
「これからは、もっと、スタッフを信用するようにします」
 確かに、老人ホームが開所してから2年間なのに、今のリーダーが3人目で、パートでない常勤の看護師が、やはり3回かわっているというのは、経営の仕方にまったく問題がなかったとはいえないだろう。
 「人間は、もともと、みな二人以上の人間からできているものなんだよ。つまり、ひとつの性格だけではない。これは、『オモテ』と『ウラ』という意味ではなくて。集団が違えば、あるいは同じ集団内でも時期が違えば、その中にいる人は、それぞれ違った役割、顔を演ずる、という意味だ。『あなたが変われば、きっとスタッフもかわります』」
 どこかで聞いたことのあるこのセリフに、ぼくは思わずニヤッとした。
 ダイゴ、お得意の、「人間、3つの顔」説だ。
 彼は、よく、ぼくや周りの人に語るのだ。
「推理するのに、この知識が役立つかどうかはわかりませんが、少なくとも、人間を理解する上で、家庭とか職業とか性格とか社会背景などのほかに、このことを知っておくべきだとぼくは思う、3つの顔、とはすなわち①自分の顔②自分自身が持っていると思っている顔③他人がみている顔、のことで、いずれも異なっているが、実はいずれも本当の顔なんだ」
 
 野崎淳は、ダイゴに感謝して、開業医をやっているなら、施設の訪問診療をやってもらえないか、という話になり、最後には折れてダイゴはそれをひきうけたのだった。
 いわゆる「嘱託医師」にダイゴはなったのだ。 



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