「とはいえ」の大罪

こんにちは、コウジです。今回もタイトルについて、書籍から引用しつつわかりやすい表現やわたしなりの解釈を加えて、40代から進化するため情報をシェアしていきます。

ではどうぞ


根深い課題に対して
本質的に
そして
抜本的に挑もうと
すればするほど
立ちふさがるのが
「とはいえ」だ

例えば
「非常に本質的な
アイデアありがとうございます!
とはいえ実行となると…」
という具合だ

もちろん
適切な「とはいえ」も
ある
しかし
言い訳だったり
覚悟のなさだったり
挑戦に対する逃げだったり
残念な登場の場合が多い

この「とはいえ」には
企業の課題や
見直すべきポイント
思考停止ポイントなど
山ほど課題解決ポイントが
隠されている

ゆえに「とはいえ」と
言わせてしまう背景や環境を
徹底的に洗い出す
そしてこれを
ひとつずつ潰していく
これによって形骸化した
思考停止プロセスにメスをいれ
「目的と手段の逆転」を
正常化させるキッカケにする

”とはいえ”「とはいえ」と言いたくなる
気持ちもわからなくはない
何事も
「言うは易し、行うは難しい」し
「出来る方法を考えるより、出来ない方法を
見つける方が楽だ」


このわからなくはないと
いってしまうことが
「とはいえ」の
根深さだったりする

いずれにせよ
「とはいえ」と聞いたら
そこに課題があるのは間違えない




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