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大連遼寧師範大学の周りにある露天商や飲食店などある、いつも歩く通りの様子を紹介します。 88番

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私は、寮へ戻ると日本から一緒に来た淡いブルーのスーツケースを開けて、パスポート(中国語で护照フージャオと言います。)を取り出し、銀行に行って両替をするために5号楼宿舎の寮を出て、階段を降りて右上に2号楼宿舎の寮を見て左から右へ曲がり今度は右に1号楼を見て真っ直ぐ少し歩いて大学の門を外へ出ました。

この大学の学生たちがいつも利用する通りの露店や個人店の様子を少し紹介します。

少し歩き慣れたこの舗装されていない凸凹もある道を歩きながら、最初に右側に50歳代の小柄なおとなしそうな母と良く喋りそうな、人懐こい少しふっくらした明るい25歳前後の娘と、角刈りのがっしりとした体格のいがつい顔をした30歳代の息子の3人で、1坪の大きさのプレハブのような店で弁当屋(中国語で盒饭店フーファンディエンと言います。)をやっている店の前を通り過ぎ、直ぐ同じく右手に50歳代後半のふっくらとした、人のよさそうな何時間でも喋っていそうな母と、20歳代前半らしき大学生のような娘と2人でやっている時々買いに行くと、バナナを欲しい本数だけ千切って売ってくれる果物店(中国語で水果店シェエイグオディエンと言います。)を見て、突き当りの正面の70歳代位の弱そうな、病弱そうなきつく息子に言われている母と、店から離れていて母に指示している時もある、中年の痩せている直ぐ怒りそうな声の息子の2人で、やっている本屋(中国語で书店シューディエンと言います。)を左に見て、少し歩くとまた左側に夫婦2人で、奥さんは40歳代で愛想が良く、旦那は無愛想で眼鏡をかけていて、角刈りで痩せていて何時もテレビをレジの所に置いて見ながら、お客様にお釣りを出して何も言わない店主で、店の中は横1メートル50センチ×奥行き5メートル位の狭い中に所狭しと、ごちゃごちゃに、ただ品物が置いてあるという、どれが新しくどれが古いのか全く見分けがつかない乱雑状態で、ノートなんか何時誰が見て触ってそのままにして行ったのか、解らないような格好で並んでいる、これも中国らしいと言える日本で言う、コンビ二(中国語で便利店ビエンリーディエンと言います。)があり、其の2軒となりに2つ並んで韓国の料理店が、鰻の寝床のような形であり、少し歩くと同じく、左側に気風のよさそうな何時も野球帽を被り、中国式何十種類かのおでんと2種類のトン汁のような汁物の大きな鍋を自分の前に置いて、お客様から弁当の注文が来ると、奥に居て弁当を作っているご主人へ、大きな元気な声で6種類ぐらいある弁当の1つをご主人に聞こえる声で伝えている、時々娘や息子が来て手伝うおでんと弁当を売っている店(中国語で饭店ファンディエンと言っときます。)を見ながら歩いて通り過ぎ、角に果物屋がある1本目を、右へ大きく曲がり、5建て位のもう今にも壊れそうな何時まで使うのだろうと思われるような、各階の部屋からは、洗濯物を風が吹くと飛ばされそうな位置に、紐だけで干してあり、ところどころひびが、壁に入り欠片が落ちてきそうな、剥げているような、壁をしているアパートの幾つ物の群れを観察しながら歩いて行くと、車が2台すれ違えるような道路を左へ曲がり、横幅2メートル位の凸凹のある歩道を歩いていると、途中でアパートとアパートの間の広い空間の空き地に、繋がる道に新聞紙を開いて日本の将棋と言うか、いやチェスと言った方が良く似ていると思われる木で作ってあるような丸いものを、線の引いてある硬そうな紙の上に置いて、2人で小さな大人が座ると壊れそうな丸い椅子に腰掛けて、この寒い5度位の日なのに、外で向かい合い黙って真剣に自分の持っている最高の知恵を出そうと、考えているのに、周りにいる8人位の野次馬が、何やらこうしたらいいああしたらいいと、やじ馬が声を出して自分の最高の知恵を授けているようですが、やっている当人達は、一向に見もせず聞きもせず自分の世界にはいり、なかなか盤上は動きが無く、見ていても限が無いのを感じながら通り過ぎて行き、横断歩道の無いこの道路を車の来ないのを見計らって渡り、歩道に作られた臨時であろうと思われる駐車場を横目に通り過ぎ、角にある大きな5,6階建ての全ての階がカラオケルームであろうと、思われる以前初級2班のクラスメートや担任の除先生と一緒に行った、あのカラオケルームのあるビルを右へ曲がり、同じも右側にある中国銀行を通り過ぎて、幅5メートル位の道を渡り、すぐ右側にある中国語で、兴业银行シンイエインハーンと書かれた(日本語で興業銀行)看板を見て中へ、今日は1人で不安を可也抱えながら転びそうに有りながら入って行きました。

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