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【書評】鹿子裕文『へろへろ』--ダメな時のしのぎかた

 干されて全然仕事がなくなったフリーの編集者が、ふとしたことから福祉に関わることになる。ボケて困ってる、たった一人のおばあさんを助けよう、というところから徐々に発展し、宅老所の建設に至るという、大きなうねりに巻き込まれるのだ。彼は正義感や理念からではなく、あくまで友達を助けたい、面白いリアルな場にいたい、という気持ちだけで、やがて大きな役割をになうようになる。たとえてみれば、大人の『スラムダンク』である。全国大会決勝に行くわけではないけど。
 この作品の中で登場する人々はみんな福岡弁でしゃべる。まずはそれがいい。僕は福岡で生まれ、その後すぐに関東地方に移って育った。というわけで僕の経歴の「福岡生まれ」というのは半分本当で、半分詐称である。でも祖父母や親戚がいる福岡が好きすぎて、未だプロフィールを直してない。
 子供時代はそこそこ頻繁に福岡に行き、夏休みは福岡弁の聞いて過ごしていた。だから喋ることはできないが、聞くことはできる。この本の会話文を読んでいるとあのころの声が立ち上ってくる。それがすごく気持ちいい。
 さて、話を戻そう。現代の福祉は効率優先だ。最小限の労力で老人たちを管理しようとするから、なかなか彼らを人間扱いできない。そして病院のような、刑務所のような感じにありがちだ。そういうのは嫌だ。お金じゃない、心が通じ合う福祉をやりたい。でも一つ大きな問題があらわれる。こんな世の中では、お金じゃない福祉をやるにもお金が必要なのだ。
 そこでどうするか。気合いと工夫で乗り切る。激しくバザーをする。申し訳ないと思う気持ちを、ありがとうに変換して寄付を募る。必死に行政にプレゼンする。一方で、メディアで大宣伝したり、政治の思惑に乗ったり、といった後々、必ず困ることになりそうな形ではお金を集めない。ここらへんの、決して楽をしない、という姿勢には圧倒された。
 普通の人たちがくれた5円10円の単位のお金まで、感謝しながら必死に数える。そうしていると手が真っ黒になってくる。袋に入れて持ち上げると、ずっしり重い。これがお金の重みなのよ、という言葉が本書に出てくるが、そのままずんと胸に刺さる。アプリで表示される液晶画面の数字でしかなくなった現代のお金も、実はこうした人々の気持ちがつまっているのだ。そのことを思い出させられる。
 じっくり時間をかけて人と繋がっていく。ひとりひとりできることは少ないが、相手にやってあげる癖をつける。そうすると、そのうち今度は自分が助けられる側になる。人間にとって大事なことって、タイムパフォーマンスみたいな現代風の言葉とは正反対なんだね、と思われる。
 これは福祉の話だが、僕が携わってる教育も基本的には同じだろう。別に、先生は良いことを言う必要はない。何気ないバカ話をして、頭に入ってる数少ない知識を語る。結局、時間を使ってくれたなー、という記憶が学生の中に何かを植え付ける。それだけではない。教師の中にも何かが育ってくる。
 僕としては、ダメな時のしのぎかたの話が染みた。どうしても仕事が来ない。金がない。未来が見えない。それでもつとめて明るく振舞う。筋力が落ちないように体を鍛える。心が貧しくならないように文学を読む。小説に出てくる人々はことごとくダメ人間ばかりだが、彼らは多くを失うことで何かに気づく。この小説論は出色のものだと思った。そしてこの本自体が、そういうふうに書かれている。
 僕自身、今でこそ仕事があるが20代はヤバかった。大学院を出て翻訳家になったものの、仕事がこない。実力もない。人脈もない。未来も見えない。しょうがないから、毎日、部屋で英単語を大声で唱えて暗記しながら、近所をランニングしていた。要するに、ただの勉強熱心な引きこもりである。それでもなんとか生きられるように、何年も頑張り続けた。この本を読んで、そういう時のしのぎ方って共通なんだなと思えた。なんだか一人じゃない気がして嬉しかった。

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