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雑記:25歳になった日を離島で過ごした話

先日で25歳を迎えた。
ここ最近は比較的、大人しく過ごすことが多かったのだが、今回は思い切って第二の実家、奄美大島で過ごすことにした。

奄美大島との出会いは今から4年ほど前。
バニラエア(現peach)のセールで安かったのをきっかけに訪れたのが始まりだ。
それ以前から離島に残る独特な文化や島民が好きで全国の離島に度々訪れていたが、奄美は文化的にも自然といった観点からも非常に特異な点を持つ。

自分はとにかく何もない場所が好きで(それは海外旅行も同様であるが)とにかく人気(ひとけ)がなくもはやスマートフォンやパソコンが
”文鎮”と化す様な場所が自分の好みである。
”世界と繋がった文鎮”に支配された日常というのも便利で悪くはないが、言わずもがなそれに毒されてばかりでは人生面白くないというものだ。
島の文化に触れ、島民との会話に花を咲かせ、魚が釣れない時間を楽しみ自らと対話をする。
そんな時間をこの便利な世の中だからこそ味わえるのが離島の魅力である。

今回は誕生日周辺に大きな予定もなく、上司やメンバーに無理を行って3日ほど休みをもらい4泊5日の奄美旅行を計画した。
調整や変わりを買って出てくれた関係者には頭が上がらない。
いつも島に行く時の拠点となっている場所は奄美大島の最南端、古仁屋港からさらに30分ほどフェリーで渡る必要がある離島の離島、加計呂麻島。
なんと6年前まではdocomoすらも繋がらず、最近になってau回線が通ったと言われるほどインターネットが普及していない(現在ソフトバンクは繋がらない)。
当然、光回線も通っておらず、動画視聴どころかテキストメッセージもやっとの速度環境である。

そんな場所、経済大国日本のどこを探しても見つけるのが大変であろう。
ライフラインが完璧ではない場所に人口1200人が暮らす有人島が加計呂麻島なのである。
島の魅力はなんといっても海。
もちろん沖縄や奄美本島にも美しい海はごまんとあるが、加計呂麻の海はそれに負けず劣らずの綺麗な海が広がる。
映画、寅さんの撮影地にも使われたことがあるなど、実は景勝地としては意外にも名高いのだが、なんせ空港から2時間以上かかることや
交通の便が悪いことからも訪れる人は少ない。

そんな島に自分は既に10回以上もここ4年間で通っている。
毎回、新しい出会いや気づき、そしてなによりも忘れかけていた感覚を取り戻すことができるのだ。
今回ももちろん、新しい出会いはたくさんあった。
同じ民宿に泊まった人と夕食を共にしたり、島民たちとの会話(もちろんPCR検査を受け、渡航近日は出社も自粛という厳戒態勢)から今までになかった気づきをもらえた。
今回はとある宿と自作ヨットでシュノーケリングを生業としている方から、「まだまだ甘い、人生を考え直せ」と会社で言われたらなんとかハラスメントに当たる様な
ことを言われ、なにも利害関係がない人からもらう叱咤激励は非常に刺激になりまだまだ未熟ということを再認識させられた。
現にその方は70歳を超えているが、今もなお現役のヨット乗りで以前は海外の学術誌に載るくらいの凄腕の持ち主でその勢いは止まることを知らない。
常に動いていないと呼吸ができない”回遊魚”のごとく、毎日存分に動き回っている。
おおよそ3倍も年齢が離れた人が自分以上に”回遊魚”である姿を見て刺激を受けないはずがない。
まだまだ自分には多動が足りない、自分の人生を顧みるのには十分すぎるほどの刺激であった。

さて、話は戻る。
実はいつも行く集落(この地域では集落=シマと呼ぶ)の方には誕生日ということも告げていなかった。
だから正直、何も期待しておらず、過度に気を遣われることを好まない自分にとっては当然告げる予定もなかった。
だが、自分の誕生日の夜、集落で特に親しい方々に晩御飯に誘われ行ってみるとケーキ、その日取れたスマガツオ(シマではトロガツオと呼ばれる)の刺身、
スジアラのお寿司(奄美、沖縄では最高級魚で正月などの祝いの席で食べられる)、そしてシマの人たちの手作り料理が次から次へと運ばれてきて三味線、歌の大合唱(バースデーソングではないのがご愛嬌)。
正直、今まで生きてきた中で最も嬉しい瞬間であったといっても過言ではない。
もちろん狙ったわけではないが、やはり島民の誰かが覚えておりそれを知っていたのだろう。
それを密かに準備してこんな若造のために(シマの平均は60歳をゆうに超えている)ありとあらゆる島では最高のもてなしをしてくれた。
それは同時にシマにとって大切な人、という意味でもあり、最高の25歳を迎えることができた。

これまでシマの役に立ちたちたいと今回も集落作業を手伝ったりあらゆることで自分ができる最大限のことはやってきたつもりだった。
それをシマの人たちはちゃんと見ていてくれ評価してくれたのだ。

今回は自分が”回遊魚”として生きていくという原点を思い出させてくれ、そして25歳の最高の出発を迎えることができた。
これからもシマの人たち、文化を大切にしていきたい。

島での過ごし方はまた別途かければと思う。

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