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学ぶだけでは無駄ということ

 普段からnoteというプラットフォームにいる人には聞き馴染みがあるかもしれませんが、先人達の知恵やノウハウといったものは学ぶだけには価値がありません。一番手っ取り早い学びは本を読むことかと思いますが、本を読んで知識を身につけた気になって満足していては、何の意味もありません。むしろ本を購入した費用と本を読んだ時間の無駄です。本日はそんな内容です。

 これは比較的有名は考え方なので知っている人も多いかもしれません。学びとは尊いものですが、学んだだけで満足していたら意味がないのです。では、どうすれば意味を見出せるかと言うと、学んだことを活用することで、ようやく意味を見出すのです。ただし、これは多少仰々しく考えられる傾向があります。例えば最近流行のデザイン思考に関する本を読んで、デザイン思考のノウハウを理解したとします。繰り返しますが、読んで理解しただけでは何の意味もありません。では、デザイン思考の手法を使って実際に課題の発見・解決を導かないと意味がないのかというと、そうではないと思っています。学んだことを実践で繰り返すことができれば、それは十分身に染みて理解することができると思いますが、身につける手法は実践で試すことだけではありません。

 微分積分を学んだ人は多いと思います。今でもスラスラと問題を解けると言う人も多いのではないでしょうか。微分積分の利用用途は色々ありますが、おそらく一番有名なのは建築だと思います。では、建築において微分積分を実践しないと微分積分が身についたとは言えないのでしょうか。そんなことはないですよね。もし、それを肯定したら、東大生の大半は微分積分が身についていないことになってしまいます。

 ではなぜ多くの学生が微分積分を身につけることができたのか。答えは簡単で、出題された問題を解く為に知識を活用したからです。言われてみれば当たり前に感じるかもしれませんが、これが伝えたかったことです。本を読んで学んだことは、それだけでは意味がありません。意味を見出すには学んだことを活用する必要があるのですが、その活用方法は難しく考える必要はなく、シンプルに考えれば良いのです。

 では、社会人が何かを学んだ時、それをシンプルに活用するにはどうすれば良いか、それについては以前、こんなツイートをしました。

 学んだことを手っ取り早く活用するには、学んだことを同僚や仲間達に共有するのです。実は、この共有というのが奥が深くて、誰かに何かを共有するには、中途半端な理解では成り立ちません。ある程度しっかりと理解する必要があります。そして、理解しているだけでは相手に伝えることはできても理解させることはできません。そこでは自分の言葉で言語化するということも必要になってきます。これらを経て自分が理解したことを他人に理解させられると、共有したいことはだいぶ身についている筈です。更に、例えば学んだことを同僚に共有すると、おそらく同僚から質問が出てきます。それに対して自分の言葉で自分の考えを回答できれば、学んだことは十分に身についたと言えるかと思います。

 せっかく学んだ知識やノウハウは、そのまま放置していては勿体ないです。ですが、身につける手段は決して難しい方法だけとは限りません。要は自分なりに解釈すると言うプロセスが重要なので、これだけを意識して、学びを本当の意味で身に付けてみてください。

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