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存在しない永遠

日本のはじまりは、いつなのか?
誰も知らないというのが、本当なのだと思う。

古事記によると、天地が初めて発(あらわ)れたとき
高天原(たかまのはら)に成ったのは、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

まもなく、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
続いて、神産巣日神(かみむすひのかみ)が、成り
この三柱から始まったとされている。

もちろん、日本という国ができたと言う話ではないだろう。
のちに日本となる土地ができていくという話だと思う。

それは、すべてには始まりがあるというだろう。
始まりがあれば、終りがあると考えるのが人間である。

僕やあなたにも、始まりはある。
それは、両親が出会ったところが、その第一歩なのかもしれない。

両親にも両親がいるし、両親の両親にもと
ずっとずっと遡ることができるが、その最初は不明である。
でも、やっぱり始まりはあるのだと思う。

始まりがあれば終わりが来るのだとすれば
この宇宙にも、太陽にも、月にも、そして地球にも
いずれ終わりがあると考えるのが自然だ。

ただし、順番的には人類が地球の最期を見届ける
ということはないだろうと思う。

なぜなら、地球の始まりは人類なしで始まったからだ。
なぜ、そんな事が断言できるのか?

それは、器より先にラーメンがないから
という個人的な発想なので、恐ろしくいい加減な話である。

なんだか、ワケの分からない話になりそうだが
始まったものには、終りがくるということだ。

僕もあなたも、いずれ死ぬ。
人間にとっての死とは、その人間にとっての肉体的な終わりだ。

やっぱり、終りはくるものだ。
永遠はないのだと思う。

僕がはじめて、永遠がないという現実を知ったのは
記憶の中では、小学校2年のときの8月31日だ。

そう、夏休みの終わりである。
休み中の宿題を何一つ手を付けることもなく迎えた
夏休みの終わりだった。

その日までは、永遠に夏休みが続くものだと信じて
遊び回っていた。
まるで夢の中にでもいるような、そんな感覚だった。

その夢が悪夢という現実に変わったのが、8月31日の夜だった。

そして、永遠は存在しないことを
思い知らされたのだった。

こうして生きている今も
僕にとっての終わりは、近づいている。

ただ、幸か不幸か
日本の終わりを見ることはないかもしれない。

いや、可能性がゼロではないが
現時点では、かなり低いと、勝手に思っている。

宇宙や太陽、月や地球の終わり
あるいは、夏休みの終わりは人為的にくるものでないと思う。

ところが、国家の終わりについては、人為的にくるものだと思う。
国家というのは、概念であるから
物理的に国家が消えるということはないだろうが。

人為的にくる国家の終わりとは、一体誰が引き起こす終わりなのか?
それは、もちろん我々国民によってだろう。

日本という国を守ろうと考える国民が少数派となり
国家を慮る国民は絶滅危惧種と言っても過言ではないだろう。
個人的には、そう考えているのである。

繁栄を極めた1980年代、当時はほとんどの日本人は
大東亜戦争(第二次世界大戦)からは、
完全に復興したと確信していただろう。

残念ながら、2023年現在も完全復興は遂げられていない。
戦後まもなく、当時の天皇であった昭和天皇は
この敗戦からの復興には、300年かかるだろう。
そんなことを、おっしゃったそうだ。

とても、深い話だと思う。
物質的な復興は、果たされたかも知れないが
精神的な復興は終わっていないのだ。

そう考えると日本の本当の意味での復興を実感し
この目で見ることは、ないのだろう。

日本は、まだまだ復興の道半ばであるということを
心に刻んでおこう。

永遠は、ないのだから
日本が存続する限り、復興に向かって欲しいと思う。

そのためにできること
それは、正しい歴史認識や正しい貨幣感などを
学び続けることかもしれない。

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