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テクノロジーの進化と育自放棄

現在は、2022年です。
1980年代から40年ほど先の2022年を想像していた頃は
テクノロジーの進化で、生活は驚くほど便利になって
楽しい未来なんだろう。
そんな風に考えていました。

現実にはどうでしょうか?
確かに便利にはなりましたよね。

でも、僕らの生活は豊かになった
と言えるんでしょうか。

個人的には、貧しくなった気がします。
育自中の人を見ていても、子どもと向きあっているなぁ
と思う人より、もう少し子どもと向き合ってあげればいいのになぁ
そんな風に感じる人が多いです。

子どもを静かにさせるために
スマートフォンやタブレットを渡したりして。

もっと一緒に遊んだり、絵本を読み聞かせてあげたり
子どもとの信頼関係を育てるとか
安心感を与えてあげればいいのに
そんなことを感じます。

親が自分のことを優先し
子どもと向き合うことが
少ないような気がするんですよね。

それも、時代だという人もいるでしょうけど
個人的には、今生きている人たちの選択によって
時代は創られ、振り返ったときに

あ〜、あの頃は、ああいう時代だったと言われるんですよね。

結局、僕らがどんな選択をするかで
時代が出来上がると考えています。

どんな時代にしたいのか?
その答えによって、僕らの選択は決まるはずです。

そう考えると、どんな時代にしたいのか?
という質問が必要になりますが

多くの人は、時代は誰かによって創られ
その創られた時代を生きるもの
そんな風に考えてるいるように見えます。

これからは、こういう時代ですという情報によって、
ある人たちが望む方向に、引っ張られているように感じるんです。

自分自身に投げかける質問
自問自答するということが大切だと日々思っています。

テクノロジーの進化によって
楽に便利になっていく僕らの生活ですが

人間関係はどんどん希薄になり
それが親子関係をも希薄にしているような気がします。

親が自分の都合を優先するための道具として
スマートフォンやその他のデジタルデバイスを使っている。
そう感じるんですね。

テクノロジーの進化による育児放棄と感じます。

もちろん、これは個人の選択の自由なので
それを全否定するとか、そんなつもりは断じてありません。

ただ、今の選択が未来を想像しての選択なのか?
それが問題な気がします。

もちろん、未来は誰にも分かりませんが
そこで、想像力が必要なるんですよね。

インターネットの普及、デジタルデバイスの進化などによって
楽ができるようになったのは事実ですが。

「楽=楽しい」とか「便利=豊かさ」なのか?
そのことを大人世代は、もう一度考え直す必要があるんじゃないか。
というようなことを考えています。

個人的には、「楽≠楽しい」「便利≠豊かさ」だと主張しています。

楽しい・豊か・便利という抽象的な言葉で
なんとなくの空気感だけで生きていることに
危険な感じがするんです。

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確かに、それぞれに良い面と悪い面があると思いますが
「盲群 象を評す」といいますが
全体を見て 全体を考えることも必要だと思いますが
この記事を読んでくださったあなたは、どう思いますか?

何かの参考に、または、ヒントに
そして、日常のちょっとした刺激になれば嬉しいです。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。^^

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