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しめつける組織とおしめつける組織-甘えの構造を読んで-

甘えの構造を再読した。

僕の読書は自分の発想を膨らますためのものなので、本の内容通りには書かないので、その点はご容赦を。 

本書は、昭和の高度成長期に書かれたもので日本人論としてベストセラーになったものだ。今読むならば、「令和ならどうか」という視点が欠かせない。そうしないと、本書を古い日本を論じているように感じるだろう。古い日本、グローバル化していない社会は価値観が同質的なので、過渡期の問題意識に基づいて書かれた本だと考えるとよい。

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まず、人は自分に甘い。そして、自分に親は無条件の愛を与える。それを「甘えさせ」という。甘えを覚えた人は、自分の範囲を拡張させることがある。例えば、家族は自分の一部、ひいては共同体は自分の一部と拡張するのだ。

こうした共同体は、母性の共同体である。例えば、農耕民族的なあり方、家族的経営やら、集団行動を取る日本は母性の共同体であり、良さもありながら欠点もあった。

母性の共同体は不自由である。お互いの甘えを許容するということは、相互扶助的なものになる。そこに、「自由の前提は自立である」という価値観が入り、個人主義が生まれてきた。アメリカナイズされつつある時代があり、本書はそのタイミングで書かれたのだと思う。

自立した個を持つ人に対して、誰かが自分を拡張して甘えようとしても、助けてもらえない。そこに、甘える側は喪失を感じる。喪失を感じたときに、自立するか、依存を強めるかは個々人の反応だ。

このように自立した個が多くなったのは戦後の世代だと思う。これが父性の時代だ。

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さて、それから平成、令和と時代が移り変わる。

一度入ってきた個はなくならない。となると、母性の共同体と父性の共同が棲み分けされるようになる。

昔は、アメリカは父性、日本は母性とか国単位で分かれていたものが、このエリアは父性とか、この会社は母性という風に、きわめて細かくなったようなものだ。もちろん、どちらが良いと価値判断ができるものではない。

父性が強すぎると、しめつける共同体となり、母性が強すぎると、おしめつける共同体になる。どちらも極端だと、、、ね。

残酷なのは、学校や地域社会は母性だということだ。学校や地域は基本的に、自立していない対象を保護するためのものだから当然だが、母性から母性と、母性から父性の択一を迫られたなら、変化のない母性を貫くのが楽だ。

そうなると、甘えの許される会社、たとえば1on1がしっかりしている、シスターブラザー制度があって、研修があって、少し成果が出なくても大目に見てもらえて。。。という会社が選ばれる。そんなふうになるわのではないかと思う。

果たして、それでよいのか。その方向性は、2040年に総ジョブ型になり、人気トップ企業がすべて外資になるときにわかるのだろう。

なお、僕は古い人間なので、大人になるとは自立し、父性の社会で生きることだと思うのだが、みなさんはどうだろうか。

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以下、「おしめを外す」について個人的に書いたものだ。実録のため、お金が欲しい訳ではないが、人目に触れないように有料にする。

活躍を期待していたメンバーの離職があり、大きな学びがあったので、書いておきたい。

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