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筈(はず)について

職場近くにつのはずという天ぷら屋がある。天ぷらのつな八が経営しているようだ。

つなはちを東北っぽく発音してつのはずなのかと聞くと、古い町名に角筈というところがあったという。西新宿や歌舞伎町のあたりが該当し、角筈と柏木が合わさって淀橋となった(ヨドバシカメラは新宿駅の前なのでわかりやすい)。

筈という漢字が地名に使われるのは珍しい。

筈は「提出したはず」の最後の「はず」。「そんなはずはないさ」のはずである。

はて、そもそも筈とはどんな意味だったか。

「矢筈」という言葉がある。矢の後ろの凹んだ部分で、ここに弓を嵌める。

弓と矢筈がガッチリ嵌らないと矢を発射できる道理もないわけだ。

だから、「そんな筈はない」という場合、道理に合わないという意味になる。

その点で、筈は論理の言葉だ。

ここからは妄想の話だ。

さて、では角筈とは何か。地名を調べる。由来は多々ある。一つに、領主の髷が角に見えたというものがある。

もしあなたが地を命名付ける人なら、髪型を採用するだろうか。今なら地名に、カーリーとかアフロとかクルクルを付けるようなもの。昔の人の考えは計り知ることはできないが自分なら、「住所はテンパ村です」は避けたい。

そして、角はわかっても筈はなんだ。矢筈は矢の片端の割れた部分である。そういう意味ならば、角と表現された何かが、角と対になる何かにハマることに、一定の価値があったと考えるのが自然なのではないかと思う。

0710追記

角筈とは真言宗や伊勢神宮の忌み言葉らしい。忌み言葉とは使うことを避ける言葉で、今だと受験生に落ちるとか、結婚式に離れるとかが忌み言葉だ。角筈は元々は優婆塞(うばそく)という言葉で、在家の男性仏教徒のことだったらしい。なぜ優婆塞が忌み言葉なのかというと、神社で仏教的な言葉を遠ざけるものという説明があった。しかし、だとすると真言宗の方はわからない。

僕の実家は浄土真宗なのだけれど、法名に信士、信女をつかう。優婆塞は、信士のことらしい。

それをなぜ角筈と呼ぶのか。出家して禁欲的な僧に対し、在家で角を嵌めてる人という意味合いで、「ああ、出家してないあの角を嵌めてる人たちね」という遠回しな言葉だったのではないか。鹿の角といくつかのサイトにて見つけたが、仏教徒が鹿の角を持ち歩くイメージは現代人の僕にはわかなかった。

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