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弱者ポジションを取るのはなぜか

「炎上社会を考える」を読んだ。

読んだ背景として、炎上社会との付き合い方が、人の、特に若者の行動に影響を与えている可能性があるから。

今回、大切な知見が2つ得られた。
一つは、告発者の発生。
もう一つは弱者になることでの防衛。

それぞれ見ていきたい。

告発者の発生

何かをすると反応がある。何かをされると反応する。これは自然なフィードバックシステムだ。

例えば、投稿すると好意的なレスやリプがある、行動すると褒められるというポジティブなものや、投稿すると批判的なレスやクソリプがある、行動すると叩かれるといったネガティブなものがある。

当たり前だが、何かを書き込んでクソリプばかりされると書き込む気が失せる。つまり行動が弱化される。

ここでいう投稿する人を行為者、評価する人を評価者とすると、かつてはこの関係だけだった。そこに、告発者が加わる。ちょっとした批判で済んだものを大きく取り上げて炎上させるのだ。さらに炎上したものは民意によって罪になる。

これでは堪らない。弱化されるどころか無の存在になるのが生存戦略になるのは自然だ。

弱者になることでの防衛

次に、叩かれがちなのは出る杭であったするが、今は出る杭が少ないとすると、より軽微なところをあら捜しされる。あら捜しされやすいのは強者だから、誰もがポジションとして弱者ポジションを取りたがる。

補助金をもらうために俺も弱者、私も弱者と弱者合戦があったのは記憶に新しい。また、有名企業で不正をして叩かれている中で、逆にペロペロと被害を受けたらそこから急展開して弱者ポジションを取ると株価はあがる。

法ではなく、超法規的な私刑があって告発されるかもしれないという環境と、弱者を守るべきという刷り込みによる弱者ポジションの獲得へ動くというムーヴを理解することは大切なことなのかもしれない。

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