見出し画像

岡山旅行記(1)桃太郎伝説を巡る

3月の中旬に四国の香川で登壇があり、往路は陸路で岡山を経由し、愛媛で商談をしたのち、登壇して、帰路でも岡山に立ち寄った。

香川の仕事は3月の恒例行事になっていて、昨年は岡山の伯母に会いに岡山を訪ねた。その後、少しの時間で観光を試みたが、電車移動の時間を読みそこねたことと、シンガポール人の母娘と何故か同行することになったため、吉備津神社は見られたが夕刻になり、吉備津彦神社は見られずという結果だった(この2つの神社は名前は似ているが別物)ので、今回はリベンジとなる。
--

往路は23:50着で岡山につき、昼には岡山を経ち愛媛の工都新居浜に向かわねばアポに間に合わないため、短時間の観光となる。このため、カーシェアを手配し効率よく移動したところ、短時間で吉備津彦神社と吉備津神社を訪問できた。両社は中山という山を挟んで距離が近い。

今回は、陸路だったため、下調べもできたので、一応蘊蓄を書いておく。

岡山の旧国名

岡山は、備前、備中、美作の旧国を含み、備前と備中は備後と併せて三備といい、吉備の国だ。好字二字令で漢字2文字になったことで、吉が略されたため、少しわかりにくいのかもしれない。

吉備の冠者-温羅-

鬼退治の鬼として知られる吉備の冠者と呼ばれた百済の王子とされる温羅(鬼神とされる)。

天皇の息子であり四道将軍の一人である五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)に降る際に吉備の冠者の名前を譲り渡し、吉備津彦命となったと書籍「吉備津神社(吉備津神社で売っていた文庫)」にあった。

このストーリーが桃太郎の元ネタという説がある。鯉喰神社や鬼ノ城など、関連する史跡も多数。これらはまだ行けていないので次回の課題。

吉備津の釜

その後、温羅は首を刎ねられたが、その首が唸りをやめないので、吉備津彦命が部下の犬飼健(元総理の犬養毅の先祖)に命じて犬に食べさせたところ、それでも鳴り止まないため、吉備津宮の釜の地中深く埋めた。そこが吉備津神社の御竈殿である。

温羅はその妻の阿曽媛を使ってミコトの釜殿のご飯を炊き、匂いを嗅がせろと指示し、そのときに鳴る釜の音で吉凶を占えるとした。これが吉備津神社の鳴釜神事であり、上田秋成が雨月物語の題材にもしている。

竈とはかつて葬送所のことだったという説がある。なので、竃の下に首が眠るというのは自然かもしれない。

この鳴釜神事は帰路で体験し、阿曽女の方に少し話を聞いたので、追って書きたい。(3)くらいかな。

今回はここまで。

--

吉備津神社は昨年、訪問していたので、再訪となるが、今回行きたかったのは、吉備津彦神社だった。これは(2)で書きたい。




この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?