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帰郷して半年が経ちました

ご無沙汰しています。最近はとても忙しく過ごしていて、常に作業に追われていました。一人で山や畑や田んぼに行く毎日を過ごしていて、外に向けてこうやって発信もしていなかったので普通に農民でした。コロナで演劇やその他の仕事が無くなっていなかったら完全にパンクしていました。

ガソリンが安いことをいいことに毎日軽トラを乗り回し、荒れた土地を開墾し、そこに出来上がっていた生態系を一度全て壊して、コロナ禍で経済活動が緩やかになって環境問題がいい方向に進んでいるけど、僕はこの時間をフルに使って環境に悪いことをしていました。

長い目でみて共生を目指しているんですが、僕が今の様にできるだけ自給自足を目指した生活をしていくのと、既に出来上がっている超分業の資本主義社会に乗っかって生活していくの、僕個人の生涯活動が最終的に環境に良かったか悪かったかを計算したらプラスマイナス0か、マイナスかなって思っています。でもこのnoteでみんなが少しでも地球号に乗ってるって気持ちになってくれたらプラスになると信じて活動しています。みんなへの種蒔きです。という自分の活動の矛盾を正当化するための免罪符かもしれません。言い訳の免罪符にしないために、もっとたくさん種を蒔きたいから、影響力が欲しいから、フォロワーを増やしたいです。こういう時は、いまだに芸能人が羨ましくなります。

去年の11月、関東から地元の静岡県掛川市に引っ越してから半年が過ぎ、これまでできなかったやりたいことを全力で全部やっていて、結果いま僕が管理している土地は約3反(3000㎡位)になりました。4反で自然農法をやれば家族で充分な余暇と地域活動ができると福岡正信さんが本に書いていたので大変だけど頑張っています。GWがこんなに忙しいとは知りませんでした。特に今年の僕は普通の農家さんの忙しさ+荒地を整備して農地を広げるっていうスタートを切るための忙しさ、自然農法の知識のなさ、準備不足、が重なったからだと思います。

今から、どこか土地が余っている地方に引っ越して半年たったら、このくらいっていう現状を紹介していきます。地方に住もうかなって考えている人の参考になったらいいなと思います。

ただ僕の熱中っぷりは狂気じみてると思うから、もう少しペースを落とさないと嫌になると思います。手の皮がゴツくなって指紋認証やタッチパネルが反応しなくなります。好きっていうのがないと心が折れると思います。でも自分で食べ物を作る・獲るっていうワクワクや喜びを知ったら耐えられると思います。前置きが長くなりましたが、ここからも長いです。人のSNSの投稿は全然読めないのに自分はこんな長いこと書いて読んでくれるかなと不安になります。写真、動画、どちらならみんな見てくれるのか、それに悩みましたが写真でいきます。

養蜂と狩猟の山

ここは親戚の土地で山の一角です。基本僕は親戚が放置している土地を管理する代わりに好きにさせてもらっているけれど、こういう風に活動を始めると近所の人たちと顔見知りになって、うちの土地も荒れちゃってて、、とか声掛けてくれるので親戚が土地を持っていなくても自由にタダで貸してくれる土地はたくさんあると思います。ここでは猟期は猪を獲って、今は養蜂をしています。市内のいろんなところ5箇所にミツバチの家を置いて待っていたけれど、ここだけ引っ越してきてくれました。


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↑ 真ん中の栗の木の下に巣箱。右側のはここら辺の農家さんが置いている箱わな。(混乱招かないように、ここから写真の下がキャプションです)


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こんな感じで置いてあります。重箱式で、巣が大きくなるにつれて下に箱を足していって4、5段になったら一番上に蜂蜜が溜まっているらしいです。ニホンミツバチだとうまくいけば秋くらいに採れるそうです。


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下からチェックした巣箱の中。引っ越してきてくれてから1ヶ月弱でこれだけ作っていました。まだ3段の1番上だけです。何とか秋まで住み続けてもらって、蜂蜜を分けてもらいたいです。ニホンミツバチはセイヨウミツバチより神経質で気に入らないとすぐ引っ越してしまうらしいです。次行ったらいないんじゃないか、今日の嵐で引っ越しちゃったんじゃないか、近くに蜜源は充分あるかな?ダニ除けに入れたミントの香りが嫌になって出ていっちゃったかも、でもあまりチェックしにいくとストレス与えちゃうし、、と心労が絶えません。こんなに他の野生生物のことを考えたことはありません。かわいくて仕方ありません。でも地方でも数は減っているようです。畑のおばあさんがうちの梅が3年前からがならなくなった、昔から養蜂している近所のミツバチが消滅したからじゃないかとか聞きました。ミツバチが絶滅したら人類も4年で絶滅とか聞いたことありますよね。まあ僕は楽しいし、蜂蜜を分けて欲しいからやってるんだけど、理由はどうあれ自然を相手にすると環境のことが否が応でも関係してきて気になってしまいます。


山崎山

山崎を名乗っているけど放置されてる親戚の土地で、山って言ってるけど丘って感じで、そこのほんの一部です。果樹園、キャンプやバーベキュー、養蜂用として整えました。この山は持ち主が細かく分かれていて、少しずつ周りの人と関係を作りながらやっています。いずれは本当に山崎山にしたいと思っていたけれど、持ち主である一人のおじいさんに聞いたら農地だから5反以上じゃないと売買ができないらしいです。今は一人で管理するのは大変すぎるので共有財産くらいがちょうどいいと思っています。


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入り口(この右手の道を上がっていきます)


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上がって


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さらに上がって


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茶畑の脇を通り過ぎた右手


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着きました


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ここは笹藪で入り込めない状態だったので全て根元から刈り取りました。また芽が出てきたら刈ってを繰り返しつつ勢いを抑えて、クローバー畑にしたいです。これで笹を抑えられるかわからないけど、ラジノクローバーという被覆力が強いやつの種を播いて1ヶ月くらいです。この調子なら夏にはクローバー畑になっていると思います。


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福岡自然農園で作った野菜の種の粘土団子もここに蒔きました。昔はおばあちゃんがここでサツマイモを育てていたと、ここに遊びにくるおじいさんに聞きました。多摩川に蒔いたやつも今頃少しは育っているかもしれません。


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山道を塞いでいた伐採木で作ったテーブルと椅子。ここは猪が多くて、体を擦って泥がつけられてます、ある日行ったらテーブルと椅子が猪に倒されていて、ショックを受けてその日は作業を止めました。猪からしたら住処が急に切り開かれて、家の穴も全部埋められて僕とは比べ物にならない程ショックだったと思います。罠を仕掛けるときは匂いや痕跡を残さない様にとても気を付けるけど、ここはこんなに手を入れても全然入ってきます。怒りや主張があっての行動かわからないけれど、よく大きな糞が残されています。この日は隣の笹藪の中でガサガサしてました。今年はここにも罠を仕掛けようと思っています。糞も足跡もすごくでかいから大物だと思います。


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ブドウとキウイの棚。近所の小屋の屋根裏にあった竹で組みました。左奥に見えているのはここの倒木を薪にしたやつ。いろんな種類の果樹を20本以上植えています。未来への投資です。


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焚き火スペース。栗の木に巻きついていた蔓性の木の処理に困って燃やそうと思ったけど、結構な量になってしまって燃やすのが大変で放置してます。


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ハンモック


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モチノキの樹幹流を集めて、水もあります。大雨の1日で20ℓタンクが溢れていました。


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フキ


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分かりにくいけど手前の真ん中でヒョロっとしてる自然薯


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景色はこんな感じです。500m位先に見える正面の山に先ほどのミツバチがいます。

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帰り道、少し下を見下ろすと、最近蜜源用に整えた畑が見えます。


城跡の蜜源

前から話には聞いていたものの、荒れて入り込めずにいた場所で、松浦兵庫という殿様がいた倉見城の跡らしいです。先祖が畑仕事をしていたら刀や鎧が出てきて石碑が立ったと聞いています。畑にしても猪に全部やられるだろうし、使えるように整地するのに一番手間が掛かりそうだから放置していたけれど、ミツバチの蜜源作りにならぴったりと思って整えました。猪が里に降りてくる前はここで豚用のサツマイモを育てていたらしいです。そのサツマイモは取れなくなったけど、今は豚を育てなくても直接肉が取れるようになり、何というかって感じです。蜜源を作って、ミツバチに集めてもらって、ちょっと手助けして蜂蜜を分けてもらうって面白い関係性だなあと思います。動植物、コロナウイルスに関してもそうだけど、これからは共生の仕方、バランスが大事だと思う。

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入り口


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元々小さな田んぼだったらしいんだけど、とりあえず入り込む道がなかったので刈り草で通り道を作りました。


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アヤメとガマが生えています。花が咲くのが楽しみ。実っても猪のご飯だけど米の籾もばらまいてます。


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真正面が石碑。まだ生え揃ってないけれどグランドカバーの植物で道にしています。ここが荒れる前は近所の小学生が授業で見学に来たりもしていたらしいです。ここら辺の人はみんな松浦で、うちの母も旧姓松浦なので、なんとなく自分のルーツでもあるのかなあって思っています。ここを荒らしてるとバチ当たるぞっていう死際に行ったおじいさんがいたらしく、親戚のおじさんが気にしていたのでとりあえず入り込める状態は保ちたいです。蜜源になる様にマリーゴールド、ヒマワリ、ヘアリーベッチの種が一面に蒔いてあります。


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1497年に敵に攻め込まれて自刃したらしいです。やっと作業がひと段落したので水筒のお茶をあげました。俺の新茶、殿様もお茶なんて久しぶりすぎて喜んでいると思います。


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その横でちゃっかりミツバチを待っています。石碑とか大きな木とか目印になるものがあるといいみたいで。「ここきれいにしたし、いいよね?」と兵庫頭に一応お伺いは立ててます。


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静岡県のこの辺りでは、茶草場農法という世界農業遺産になっている農法があって、茶畑のそばに草を生やすスペースをあえて残しておいて、刈り草を茶畑に敷いて、下草抑えと肥料にするってやり方なんだけど、まさに山崎パラダイス(畑)でやってる自然農法だと思って、それがやりたくてススキを取っておいてます。


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隣接した茶畑。持ち主が亡くなっているらしいので隣接しているところだけ刈り取りました。放置すると茶の木は3メートル位になります。人に密植されて放置されて光を求めてヒョロヒョロ伸び過ぎていてしんどそうだったから結局隣接しているところから3本くらい奥まで短く切りました。来年おいしいお茶が採れたらいいなってのもあります。


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ヒョロヒョロ伸びた茶畑のトンネル。猪とキジがよくいます。本当は全部刈って茶畑を復活したいけど、全てやると猪やキジも準備期間がないので今年はやめておきます。


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で、こちらが本来あった道です。猪の掘った跡と草で消えていたけれど穴を埋めたり、草を刈ったりしていくと、植えられたであろう木や植物が出てきてだんだん見えてきました。今見えている範囲だけで土地の所有者が5人に分かれています。少しずつ、挨拶して確認して、働きっぷりを認めてもらいながら作業を進めています。進みます。


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右手にススキに埋れていた茶の木があります。さらに進みます。


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足元にはリュウノヒゲが植えてありました。これも猪が掘り返すことで土ごと移動していろんなところに広がっていて混乱を招きました。でも少しずつ直していくうちに先人がどう考えていたのかわかってくるのが面白かったです。大きな扇風機みたいなやつは茶畑の霜除けです。


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ここに出ます。再び小学生が授業で来てくれたら嬉しいです。


田んぼ

ここは去年、地元に帰る事を決めて一番最初に始めたところです。狩猟と合わせて、福岡正信さんの農法で楽に米作りをやってみたいというのも帰郷を決めた大きな理由です。ここは父方の親戚に借りています。米は水源のことがあるので借りるのは少しハードルが高いのかもしれません。ちゃんと人と関係を作って責任を負えば貸してくれると思います。


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今育てているのは小麦で、セトキララという品種です。下草抑えのクローバーと一緒にばらまいたのですがちゃんと育ってくれています。猪の被害が多い地域なので先日電気柵を設置しました。この写真は市に電気柵の補助金を申請するために撮ったものです。


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実っています。かわいいです。まだ自然農法1年目で土地が肥えていないなか無肥料でやっているので背丈も低くどのくらいの収量になるのかわかりませんが楽しみです。ここら辺で麦との二毛作をしている人がいないので、刈り取りまでは鎌でやれるけど、その後の脱穀、製粉の当てがないまま始めてそろそろどうしようと不安になっていましたが、山崎山で知り合ったおじいさんが昔麦をやっていて脱穀機を持っているということなので助かりました。製粉はその時が来たら考えます。家庭用の製粉機を買っても良いかなと思っています。


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麦の生えている上からハッピーヒル(福岡さんが作った米の品種)をばら蒔きました。まだクローバーも麦も生えているうちに籾を播くことで田植えをしなくても鳥やネズミの被害を抑えられると書いてありました。


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せっかく分けていただいた籾が全滅するのが怖かったので田んぼの1/2は籾のばら蒔き、1/4は粘土団子にして蒔きました。真ん中の玉です。


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粘土団子を作った時です。畑から出てきた粘土を乾燥させて砕いて、ふるいにかけて約5リットルの粘土の粉にして、籾と水を混ぜて、一つ一つ手で丸めて夜なべして作りました。狂気の沙汰、田植えの方が楽なんじゃないかと思いました。でも限られた日中の時間を作るために、夜できる作業を作るって意味では良いのかも。


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残り1/4の面積は苗を作って6月に田植えをしようと思っています。車庫で育苗中です。ばら播きが上手くいってくれたら来年以降楽できそうです。


YAMAZAKI PARADISE(山パラ)

自然農法を試す畑として去年借りた畑ですが、3月に演劇でインドネシアに行った際、看板を作って名前が決まりました。これから海外に行く際は現地で看板を作って足していくことにしました。

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看板を作ってくれたおじさんと、演劇でちょっとスランプ気味の日だったので死にそうです。元気出すために無理して看板を受け取りに行きました。


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草に隠れがちですが設置してあります。


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ちなみに、インドネシアで買ったこのタバコ最高でした。一本ずつ個別包装の両切りタバコ。タール39mgニコチン2.3mgですごく重いんだけどうまい。日本に持ち帰ってきて、朝と晩に1本ずつ、1日の始まりと終わりに吸っています。インドネシア人たくさんタバコ吸っていてよかった。どこでも吸えた。どんどん吸って早く死ぬのもエコだと思った。それでタバコも育て始めました。

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1ヶ月でやっとここまで。育てるのはオッケーだけど、タバコにすると法に触れるので観賞用、タバコ好きだったおじいちゃんの仏花として。ただ思うのは、俺はその法律を知っているけど、知らなかったら自分で育てて、収穫して、当然吸うでしょって思う。すごく当たり前なことなのに知らなければ侵してしまうような法律って何なんだろうって思います。話がそれました。

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山パラの入り口。まず茶畑。この茶畑は10年以上前から収穫をしておらず無肥料無農薬栽培になっています。茶の木の間はススキで埋めて茶草場農法を始めました。12月に深刈りしてしまったところはダメージが大きく来年までお茶は取れなそうです。一列だけそのまま残しておいたところは新茶がとれました。


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演劇の小道具だったカゴで手摘みをしました。新芽の先端、一芯二葉を集めます。


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手揉みしたもの。手詰み手揉みしたお茶はちゃんと1枚に戻って感動しました。あと製茶しているときの香りは最高です。幸福成分が入っていると思います。今は母が茶摘と製茶にはまっています。次は二番茶で、紅茶やウーロン茶に挑戦しようと思っています。


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進んで柑橘。これは文旦。今、柑橘は花時です。



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柑橘の脇にはフキが生えていて今採れます。ほろ苦くておいしいです。


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みかんの木の下で初の菌類、ナメコとシイタケを栽培しています。うまくいけば来年の秋に収穫できる予定です。


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山菜エリアでは、コゴミや


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畑山葵、ミョウガやコシアブラ、ギョウジャニンニクも育ってきているけど、収穫は来年以降。


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マキノキのトンネルを抜けます。子供は説明しなくてもここを通ります。アフォーダンス。


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ここに出ます。今はまだテントっぽくなっていないけど、つるありインゲンが育ってきているので、じきに覆ってくれると思います。


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看板の横にハンモック。この前姪っ子がここで眠っていました。


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その横にベンチとアカシアの木


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ピクニックスペースの周りで塀になる予定のひまわりが芽を出しています。ブルーベリーも実をつけてきました。


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草抑えのクローバー、イメージより草が強くて負け気味なので、再度種を蒔きました。


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梅の木の巣箱。鳥はまだ引っ越してきません。


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ハーブのスパイラルガーデン。暖かくなって一気に成長していますが、僕は忙しくて料理に手が回らず、ハーブをよく使う人も近所にあまりおらず、ほとんど誰も使いません。ただ手入れするときにハーブの香りがしてすごく良いです。ディルとか最高です。あとカモミールがすごい勢い。ワイルドストロベリーも食べました。鳥との競争です。

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幼木についた小さな桃、桃源郷への第一歩


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梨や洋梨も


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花壇に花も


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こちらの花壇も

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わざわざ花壇作らなくても、野菜も花を咲かせてます(これは春菊)


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とう立ちしたサラダ菜と中国からきた春菊の花、の間にブロッコリー、左手にソラマメ


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ソラマメ、実ってます


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塀代わりのライ麦も実ってます


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ここは花畑にしようとしています。半分くらいに種播きして、苗も作っているのでもう少ししたら植え付けます。奥に列で見えているのはジャガイモです。


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アイコンのこいつも


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今はこんな感じです


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この棚の中では、こぼれ種の大根が花を咲かせています。これから足元にキュウリ、カボチャ、ヒョウタン、マクワウリ、スイカ、インゲンなど蔓性の野菜苗を植え付けるところです。


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棚を通り抜けて、ベンチと手前にキクイモ。こちらのベンチはお隣の爺さん婆さんの休憩所として定着しました。


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ここもキクイモ、防風です。このキクイモは前にこの畑を使っていたお婆さんが収穫し忘れてすごく増えていたやつを植え替えました。外来種として疎まれているブルーギルやブラックバスと同じで、食糧危機の時に持ち込まれて、今は繁殖力が強すぎて危険視もされてるみたい。少しずつうまく管理下に置いて行こうとしています。


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こちらは直播エリアです。よく見にきた人には何を植えるの?と聞かれるけど、近づいてみると実はもう全体に20種類以上野菜や花が育ってきています。今後どんな風になるかはわかりません。


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畑の一番角。これはクコです。


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この畑には水がないので、ここに水が溜まるようにしています。ニンジンとか発芽までにどうしても水やりが必要なやつ用に。ホテイソウと睡蓮があって、ボウフラ対策にメダカもいます。


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こちらもキクイモ、西風がすごいので、基本西側はズラーっとキクイモを防風用に植えています。


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今採れるのはこれくらいです。自然農法1年目、無肥料だとなかなか大きくならなかったりします。特にニンニク、玉ねぎが慣行農法の畑に比べて小さいです。自然農法に適した土壌になるまで肥料で手助けしていっても良いかもな、でも手間が増えるなって迷い中です。楽をしたくて自然農法を選んでいるものの今は草の強さに忙殺されそうです。これから植え付けるトマトやナスなどの果菜は肥料を欲すると思うので所々あげると思います。


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ちなみに、日当たり最高な場所の無肥料のニンニクと


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日当たりが悪いけれど、化学肥料をあげた庭のニンニク


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去年の11月から放置している畝の草はこんな感じです。強いです。


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全体は写りきらないけど、ざっくり全体像はこんな感じです。写真で追っていくのは大変だったので、次は夏にいろいろ実った頃に動画で案内したいと思います。


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出番待ちの苗たち


慣行農法の畑

最後に家の前、昔からの慣行栽培の畑です。具体的には、牛糞堆肥、ぼかし肥料、石灰を入れて、耕して、草を抜き、追肥として化学肥料を使っています。小さなスペースでめちゃくちゃ楽に大きく育ちます。ちゃんと収穫できるし家族も喜ぶし楽しいです。じゃあ全部こっちでやればいいじゃんと迷うところですが未来がない気がしているから自然農法を試しています。こちらも無農薬だけど山パラより虫害は多い感じがします。土が丸裸なので耕さないとカッチカチです。生き物も少ないです。土は死に気味だと思います。

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ちなみに手前のプランターはイチゴなんだけど、姪っ子が毎朝1、2個採れるのをすごく楽しみにしています。イチゴ、子供がいる方におすすめです。

最後に

もう大麻解禁くらいしか経済活動のスピードを落とす具体策はないんじゃないか、と地球の未来に対して思考停止して絶望気味でした。でもコロナが来たことでスピードが落ちました。今大変な人たちに悪いけれどチャンス!と思いました。自粛で家庭菜園が流行っているみたいです。忙殺されていた人も家族の時間が持てるようになって庭先にテントを立てている家を多く見かけるようになりました。何が大切か見直すいいチャンスだと思います。俺は自分が正しいって思い込んじゃってるからこんな言い方ですみません。

去年から今年にかけては豚コレラが流行りました。無理があるおかしな環境で豚を飼育していたり、山が荒れたり猪が増えたりして、里に降りてくるようになって養豚場にも広がったんだと思います。さらに遡ればニホンオオカミが絶滅してイノシシやシカの天敵がいなくなってバランスが崩れたことも要因です。もうニホンオオカミは復活しないです。

ヒトも無理のあるおかしな生き方をしているからコロナが流行って、勝ち負けじゃなくて共存しかなくて、そのためにどうバランスをとって生きていくのかってことだと思います。新型コロナの特効薬ができても、ライフスタイルが変わらなければイタチごっこです。

まず流行の家庭菜園からでも。ひとつ自分の生活を根源的に成り立たせている物の道理がわかると、どんどん当たり前なことに気付くと思います。僕はスピってないです。いたって真っ当だと思っています。

僕の俳優としての仕事は、現状3つなくなりました。この先に決まっている仕事もどうなるかわかりません。でも今みんなが生活を見直して作り直すことをしてくれたら、しばらく演劇ができなくてもいいです(そのためにも演劇やアートが必要だとも思いますが、、)。ありがたいことにすぐ死ぬってほど現状困っていません。

この記事をアップできるくらい色々追われていた作業も落ち着いて通常運転ができそうなので、僕は近所の人たちを山パラに誘うところからまた始めていこうと思います。

長々ありがとうございました。早くみんなで集まってホームパーティーがしたいです。そして演劇もしたいです。






















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