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かまくらべしゃりサロン No.02|新春親子対談 2021

234ブラザーズの花形将壽(ハナガタ モナミ)です。
昨年から本誌のデザイン編集や新WEBサイトの立ち上げなど、様々な企画を父でもある高橋浩司(タカハシ コウジ)と共に取り組んできました。毎月1日に発行している「THE LIBERTY NEWS」の1月号特集では「新春親子対談2021」として今まで聞いたことがなかった背景に迫ってみます。

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△ THE LIBERTY NEWS No.40

30歳になった息子と30歳で挑戦した父

花形:改めて対談というのは恥ずかしいですが、いくつか質問を用意してみました。はじめに、丁度今の僕の年と同じ30才で立候補し、初当選しましたね。当時を振り返ってその頃の想いや議員を目指したきっかけを教えてください。

高橋:初挑戦は30才になって一週間でした。でも、本当のきっかけは10才の時で、ノストラダムスの大予言を知り、1999年で地球を滅亡させてはならない、自分が政治家になって地球を守ろうと考えたのがはじまりでした。後に立候補する時には、果たして地方議員になって何か世界平和の為に働ける事があるのだろうかと悩みました。それでも一度は日本の首都が置かれた街、色々な意味で影響力はあるはずと奮起し、「21世紀の若きチャレンジャー」というキャッチコピーで挑戦することを決めました。

初当選

△ 鎌倉市議会議員初当選の様子[平成5年/得票数2765票]

花形:最初は地球を守るスーパーヒーローを目指していたんですね。その初当選から今日に至る議員活動の中で、1番達成感のあった取り組みはなんですか?

高橋:1番思い出深い仕事は、鎌倉の扇ガ谷にある英勝寺の山門復興のお手伝いをしたことです。関東大震災で本堂や山門が倒れ、本堂再建のため泣く泣く手放した山門が80年の時を経てお寺に戻りました。

当時、私の父、モナミの祖父の会社で大規模な開発工事を請け負い、その開発エリアにその山門が建っていました。初めてお寺に相談に行った時には、ご住職に「私は政治家は嫌いです。」とけんもほろろに断られてしまいましたが、ここで諦めたら超一級の文化財がスクラップになってしまうと何度もお寺に日参し、なんとか復興へ向けた取り組みが始まりました。

文化財の指定を受けて県と市から工事費の75%程の補助を頂くはずが、境内地に山門が無いために文化財の指定が認められず、境内に建てたプレハブに解体した部材を移動し、前例がない中で神奈川県第一号として部材のまま文化財指定を頂くことができました。それでも、お寺の財政だけでは対応が難しく、多くの市民の方々に浄財のご協力をしてもらいようやく再建の夢が叶いました。完成した時に、嬉し涙がこぼれたことを今でも覚えています。総工費は約5億円、私が関わってから7年という歳月が過ぎていました。

モナミも建築設計の仕事をしていますが、プランから含めると何年掛かりで完成というプロジェクトもあるかと思います。やはり竣工の時が一番嬉しいですか?

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△ 英勝寺の山門 鎌倉市扇ガ谷

花形:住宅の設計が主ですが、初めてお話を伺ってから半年間の設計+半年間の施工で、完成までおおよそ1年かかります。もちろんプロジェクトごとに期間も異なりますが、なにより一緒に家をつくるお施主さんの家族構成やこだわり、敷地条件もぞれぞれなので毎回まったく違った家づくりとなります。やはり建物の竣工は大きな節目で感慨深いですが、経年で変化する外壁や子供たちの成長、もっとこういう風に使ってみたいなど、竣工後も続く家づくりの中で、お施主さんの日々の暮らしに寄り添ったデザインをしていると感じる時はとても嬉しいです。

もし議員をやっていなかったら旅人だった!?

花形:これは興味本位の質問なのですが、もし議員をやっていなければどんな仕事をしていましたか?

高橋:少しイメージと違うかもしれませんが、バックパッカーでインドを旅したり、世界中の世界遺産をまわったりしながら、旅行記を書く文筆家になってみたかったです。インドに憧れたのはビートルズと横尾忠則さんの影響で、横尾さんのような信仰的な絵を描く画家にも憧れていました。

花形:バックパッカーは予想外でした。でもまだまだ挑戦できるので、深夜特急のような名作を期待しています。政治理念も何でもチャレンジがモットーでしたね。その政治理念について影響を受けた方はいますか?

高橋:私には師と呼べる方が3人います。1人目は、大学時代の指導教授で、母校関東学院の大学長、理事長を歴任し、日本廃棄物処理学会の会長もつとめられた内藤幸穂先生です。出来の悪い研究生でしたが物事を研究する基礎を徹底的に仕込んでくれました。

二人目は、戦後に日本国を牽引する頭脳集団をつくることを目的とした国費留学生に応募し、第一号でアインシュタイン博士の研究室に派遣された高橋幸夫先生です。高橋先生は鎌倉山にお住まいだったので、色々なご相談に伺いました。「アインシュタイン博士から最初に受けた指導は全てを科学するものの見方であった」という言葉を今でも忘れられません。

三人目は、現在もご指導頂いている林英臣先生です。師匠は松下政経塾の一期生で、志士政治家を育てるために志士の学問である林綜學を練り上げ林英臣政経塾を主宰しています。令和3年には16期生を迎えることになり、230人以上が林英臣政経塾で学んでいます。この三人の師との出会いは私の人生の宝で、多大な経験をさせて頂きました。

モナミも大学、大学院と中井先生(神奈川大学工学部建築学科デザインコース教授)の下で勉強をしていましたが、どのような影響を受けましたか?

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△ 林 英臣先生(写真中央上) 綜學勉強会にて

花形:影響というより建築をはじめた自分のベースと言っても過言ではないかもしれません。実は234ブラザーズの他に、学生時代に結成したヨツカドデザインスタジオ(以下、ヨツカド という)というグループがあります。大学院の同期4人で作ったグループで、前回の対談記事で登場した関目もメンバーの1人です。みんなには考え方だけでなく、話し方や文章の書き方まで中井先生に似ていると言われることがあります。

ヨツカドでは、横浜の弘明寺でシェアハウスを設計して、そこを拠点にイベント企画や家具を作りながら実際の運営をしたり、学生達とリモート授業でリアルとオンラインについて一緒に考えたり、徳島県の牟岐町で行政と連携しながら町おこしをしたりと色々な活動をしています。学生時代は、それぞれ異なる研究室の4人が夜な夜な集まって近況報告やこれからやってみたいことを話しながら、様々なコンペにチャレンジしていました。「着眼点、切り口、手法の異なる4人だからこそ実現できるコトやモノ、それが4kado」というのがグループ名の由来で、コンセプトです。そういう意味では、それぞれの立場や環境が異なる中で経験や知識をシェアしながら、お互いに影響し合っているんだと思います。

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△ ヨツカドデザインスタジオのコンセプト

議員歴28年、息子たちと描く未来

花形:次は少しいじわるな質問ですが、議員という職業は今後も必要だと思いますか?

高橋:投票率が30%程度の選挙が多い中、本当に政治家が必要なのかという意見も分かります。しかし、コロナ禍のように世界中が混乱している有事の時こそ政治の指導力が問われるんだと思います。さらに言えば、孔子の時代は政治家と公務員は一体で、孔子の下で学んでいたほとんどが公務員でした。三権分立の意義を今一度ブラッシュアップし、国民に必要とされる存在にならなくてはいけないと思います。それと同時に、歴史を学び、しかっかりとした根拠を持って力強く皆を引っ張って行くリーダーが必要だと感じています。

花形:リーダーにも色々なタイプがあると思います。これからはプロセスを共有しながら、日々変化する環境の中で臨機応変に対応できる人材が求められていると感じています。ここまで背景について色々と伺ってきましたが、これからの議員活動の集大成のイメージを教えてください。

高橋:おかげさまで7期28年、鎌倉市議会議員を務めて多くの方々と共に沢山の経験を積むことができました。これまで行革の鬼となって政策を進めて来たので、政治家人生の総決算としてこれからの鎌倉市の舵取りを担えるようになりたいと思っています。そして、もっと大きな目標としては世界平和の礎となり、アジア諸国の政治家と共に平和議員連盟をつくりたいと考えています。

花形:将来に大きな目標があるのはとてもいいことですね。しかし、それにはまだまだ課題も沢山あるように思います。最後に、僕たちアラサー世代に向けてアドバイスやメッセージをお願いします。

高橋:234ブラザーズに新聞や看板、新WEBサイトなど、デザイン全般のサポート協力をしてもらって感じているのは、新しい技術や日々目まぐるしく変化する社会環境の中で、しっかりと自分たちの考えを持って何事にも取り組んでいるということです。先の見えないこの時代、不安な事も多いですが必ず皆さんなら平和な世の中を取り戻してくれると確信しています。

花形:今日はどうもありがとうございました。今まで知らなかったことが色々聞けて楽しかったです。本年も一緒に新企画頑張りましょう!

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