自発的強制力
幼い頃から強制されるのが大嫌いだった。親や教師から「〇〇しなさい」と言われるときが、人生で最も苦痛な瞬間だった。
内容は関係ない。命令されることそのものが嫌いだった。親は「こんなふうに育てた覚えはない」という謎の発言をよくするが、そもそも育てられる契約を結んだ覚えはないのだ。
まあ、ガキみたいな話は置いといて。そう、強制の話である。大嫌いだった「強制」が最近、好きになってきた。
昨日、友人3人とカラオケをしてきた。今回のカラオケでは、それぞれがお互いに1曲ずつリクエスト曲を指定。1ヶ月間、課題曲を練習して昨日の本番に臨んだのだった。
課題曲システムはある意味で「この曲を歌え」という強制といえる。僕が大嫌いな「強制」だ。しかし結論から言うと、昨日のカラオケはとても楽しかった。課題曲があったおかげで、普段自分が歌わない歌を歌う機会ができた。全く知らない曲を知るきっかけにもなった。つまり、世界が広がった。
ポイントは自ら強制される道を選んだという点にある。いわば自発的強制。そして、強制される範囲を絞っている点も重要だ。課題曲を披露さえすれば、他には好きな歌を歌ってもよい。十八番を気持ちよく歌わせてもらった。
僕は大人になった。しかもフリーランスである。自然に生きていると、誰かに何かを強制されることはほとんどない。なんでもできる自由はあるが、逆に言えば、自分でやろうと思ったことしかできない。それでは自分の可能性を閉じ込めてしまう。自発的強制力。世界を広げるためのヒントだと思う。
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