雑誌記者が書けないときに使う3つのツール

突然、文章は書けなくなります。
さっきまでいい調子で筆をすすめていても、ピタッと手が止まると、もうそこから一文字も浮かび上がってこなくなります。

書けないときは、ほんとうに書けません。とくに夜は、悩むだけムダなような気がします。同僚のエース記者Tさんは「夜に進むのは時間とお酒だけ」といって、さっさと帰宅します。

しかし、仕事には必ず「締切」があります。「書けません」では済みません。どうにかして、書かなければならない夜があります。そんなとき記者はどうしているのでしょうか。ぼくが書けないときに使うツールは3つあります。ツールといっても、アプリやWebサービスではなく、もっと泥臭いものです。いろんな文書支援サービスも使ってみましたし、ChatGPTも活用することもあります。しかし、これらは書くことを助けてくれるけど、書けないときの助けにはあまり役立ってはくれません。

紹介する3つのツールは、“材料”があるのに書けないときに有効です。
書くための材料が足りない、つまり取材不足で書けないのなら、メールや電話で急いで追加取材をしたり、参考文献を取り寄せたりしなければなりません。ぼくは、追加取材はよほどのことがないとしません。追加取材が必要になるのは、そもそも取材の準備不足、または取材時にちゃんと取材をすすめられなかったためです。わざわざ取材相手に時間を割いていただいたのに、また時間をかけていただくのは失礼だとも思います。それにぼくは(大半の記者がそうですが)取材相手、取材対象のことは徹底的に調べてから取材にのぞみますので、そうそう追加取材が必要なケースにはなりません。

それでもインタビュー音源を聞き直していると、「あー、なんでこれを聞かなかったんだ」「せったくいいことを言ってくれそうなのに、どうして遮ってしまった」などの後悔は必ず出てきます。そこは素直に反省しながら、次に生かしていくしかありません。この段階であっても著書を読み直したり、話題に上がった文献に目を通したり、記事構成を工夫したりと不足部分を補うことはできます。または原稿確認のときに、「1点、取材の際に聞きそびれてしまったのですが……」と質問してみればいいでしょう。そのときもある程度は原稿のかたちにし、なるべく相手には手間をかけさせないようにします。

とはいえ、なんどか追加取材をしたことはあります。ロシアがウクライナ侵攻するかどうかというとき、締切ギリギリにロシアが侵攻を開始しました。まったく状況が変わってしまったので、このまま記事になれば取材を受けてくれた専門家も困ってしまいます。ロシアに詳しく、それも軍事面にも精通している専門家はそれほどいないので、専門家はメディアにひっぱりだこでした。なかなかつかまりませんでしたが、電話で5分だけ最新情報を取材でき、無事原稿をアップデートできました。

では書くための材料は揃っているのに書けない場合、記者はどうしているのでしょうか。
構成にムリがあってすすまない、書いているとどこがおもしろいのかわからなくなった、専門的すぎてわかりやすい言葉にできない、いろんな理由があります。
こんなとき、ぼくは3つの「かく」ためのツールを使います。

「きく」には、聞く、聴く、訊くといろんな「きく」があります。自然に聞く、耳を澄まして聴く、疑問点を訊く、と。いま自分はどんなふうにきけばいいのか意識することで取材や対人関係が円滑になります。

同じように「かく」にもいろんな「かく」があります。漢字では「書く」のほかに「描く」などがありますが、これはうまく「かく」を分解できているとは思いません。たぶん「かく」ほうがいろんな「かく」があると意識しづらいのだと思います。そして「かく」をわけるのは、どこの身体をつかって「かく」かです。この点、「きく」はすべて耳です。耳の主な仕事はきくことです。しかし「かく」は、主に手をつかいますが、手は「かく」だけの器官ではありません。そして最近ではスマホの音声認識が発達し、話して「かく」もできます。病気で手が動かない人は、視線やまばたき、舌などで「かく」こともあります。「きく」とちがって、「かく」はもっと身体的な表現になるのです。

まず、書けないときの最初のツールは散歩です。
歩きながら「かく」。できれば屋外の新鮮な空気を吸ってください。普通の散歩でも効果はあるでしょうが、ぼくは散歩しながら、頭の中で言葉をつむいでいます。口を小さく動かしてもいいですし、ブツブツ小声を出してもかまいません。歩きながら原稿をかいているのです。キーボードをうつスピードよりも、はやくたくさんかけます。消すのもすぐできます。さいしょはぼんやりとかいてもいいです。とりあえず、さいごまで原稿をかいてみます。そのあと、2周目、3周目するうちに、言葉選びや表現にまで気をつけながら構成を深めていきます。かくスピードは次第に遅くなっていきます。ポイントはとりあえずさいごまでかくです。頭の中でさいごまでかけたからといって、実際に文字をかいていくと構成の矛盾点や詰めの甘さが露呈します。それはその段階で修正できる問題です。時間をかけたり、テクニックで克服できる問題です。対して、さいごまで書けないというのは、時間をかけてもテクニックを駆使してもどうすることもできない問題です。

せっかく頭の中でかいてもすぐに忘れるのではないかと思われるかもしれません。ご指摘のとおりすぐ忘れてしまいますが、それでいいのです。忘れることはたいしたことではありません。大切なことはなんども思い出せます。繰り返していると、頭の中のフィルターで、なにを書くべきか、なにを書かないべきか、とふるいにもかけられます。

二つ目は、話して「かく」があります。
実際に言葉にして話してください。スマホの音声認識機能をつかってかいてもいいでしょう。ぼくは、よくスマホにはなしかけていました。そうしていると、途中でなんだか文字がかけそうになるのですが、焦らずに話し言葉で原稿にしてから、文字でかくほうが結果的にはやく完成しました。

ビジネス用語で「壁打ち」という言葉があります。壁を相手にテニスの練習をするのと同じように、他人に自分のアイデアを話すことで、考えを整理していく行為です。人を壁と表現するのは、すこし抵抗がありますが、相手が業界に詳しくなく、なんのアドバイスができなくても効果があるようです。ほんとうに壁を相手にしてもいいのです。ただ壁に話しかけるのは、思ったよりもむずかしいものですから、やはり人がいいのでしょう。

スクープ記者のFさんはよく「すみません。壁打ちにつきあってください」と頼んできました。ぼくだって記者なのですから、アドバイスぐらいできます。だから「壁」という表現は失礼だなと思っていましたが、Fさんからみれば、ぼくは壁にしか見えなかったのかもしれません。Fさんは、ぼくのほかに何人もの壁をはしごして、原稿を練っていっていきます。

さいごは、手で「かく」です。
手でかくのは、パソコンで打つのとはちがいます。ノートや紙に「かく」です。手で紙に「かく」のは、パソコンで文字を打つよりもスピードは遅く、脳に負荷がかかったようにイメージよりややゆっくりでしかかけません。でもその慎重さ、不自由さがときとして、「かけない」を打開してくれます。

たぶんですけど、パソコンで文字を打つときは、表音文字として日本語をとらえています。“秋刀魚”と書きたいとき「SANMA」と入力します。一方で手でかくときは、「秋が旬の刀に似た魚」と表意文字で考えるので、頭への負荷が大きくなるんだと思います。ほかに「サンマ」「さんま」などの候補もあります。選択肢は広がります。

明治期に表面的には達成したはずの言文一致ですが、いまでも日本語は話し言葉と書き言葉の乖離は大きいです。このへんに一致できない理由がるのではないかと思っています。技術の発達により、音声入力がより一般的になれば、自然と日本語も話し言葉と書き言葉の距離は近づくのではないでしょうか。

昔、クラスメイトですごく頭のいい子がいました。その子はなんでもできるのに字だけ下手でした。ほんとうに悪筆で、ノートをとってもなにを書いているのか自分でも読み返せないといっていました。だからノートをとらない子でした。それでもいつも学年でトップです。その子は「頭の回転に手がついていけない」と、いつもいっていました。

「かく」は、すごく身体的な表現手法です。
ひとつの「かく」が行き詰まってしまったら、ほかの「かく」を試してみてください。手法を変えれば、思考も変わります。「かく」へたどり着く、べつの登山ルートがみつかります。記者は経験的にそれを知っています。記者ではなくても似たような経験をされた人は多いのではないでしょうか。

課題よっての解決方法が決まっており、なんども再現できるものがツールです。なんとなく今回も乗り切れたではツールとは呼べません。いろんな「かく」を試していると、書けない状況や深刻さによって、どれを選べばいいのかわかってきますし、自分だけのツールを作成することもできます。

真夜中の編集部では、かけない記者たちが廊下をうろうろ歩き回っていたり、アルバイトの学生相手にどんな原稿にすればいいのか相談したり、スケッチブックに大きく書いてみたり(出窓にパソコンを置き、夜景を見ながら立って書くロマンチックな記者もいます。感傷的な文章が書けるようです)。まるで動物園みたいに三者三様ですが、みな自分だけの「かく」を見つけています。

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