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『悪童日記』三部作 私たちは何故書くのか

ここ半年くらいで読んだ本に、立て続けに同じ小説のタイトルが出てきた。アゴダ・クリストフの『悪童日記』である。

『漁港の肉子ちゃん』西加奈子
『読書間奏文』藤崎彩織
『ロードムービー』辻村深月

こんな偶然ってある?
なので、図書館で借りて読んだ。『悪童日記』自体、インパクトのある内容だったのだけど、その終わり方が「え?なんで?」という感じで、私はそこに全部持って行かれてしまった。すると、実はこのお話は三部作で、続きがあるというじゃないか。続き、読むしかないでしょ。
三作全てが、同じ双子のことを時間を追って語っているけれど、各作品で少しずつ話の辻褄が合わない。全てに嘘が含まれていて、全てに真実が含まれている。殆どの物語で語り手となるリュカは、友人のペテールに自分の書いたものを預ける時「これは真実を書いたものか」と問われ「真実を書こうとするけれど、真実はあまりにも辛すぎてそのまま書くことは出来ない。これは空想の物語だ。」という風な返答をする。
世の中に伝記やノンフィクション、なんて話はたくさんあるけれど、本当のところ、真実は誰にもわからない。空想で行間を埋めることのないノンフィクションなんてないだろう。勿論そこには緻密な分析とか調査とか、そういう根拠はあるだろうけど。私たちは誰にも語らない想いを持っているし、誰も知らない行動をする。私は自分のことを、100%、正確に、誰かに伝えることはできないし、誰かのことを100%分かることも、出来ない。

だけどわかって欲しい、と思う時がある。ここにいない誰かに伝えたい、と思う時がある。
小さな歓びを、哀しみを、誰かにわかって欲しい。だけど相手の反応を想像して、言っても傷付くだけだ、と考え直して口を噤む。あぁだけど、やっぱり誰かに解って欲しいなぁ。
リュカも、もしかしたらそんなことを想って文章を書き続けたのかも知れない。きっと私達は書くことで、行き場のない思いを吐き出して、もしかしたら誰がと分かり合えるかもしれないと期待して、また日々を歩いていくのだ。


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