いじめ2~それって子供だけですか?~

こんばんわ。おくらです。今日は暖かい一日となり、過ごしやすい陽気でした。布団も干せて素晴らしい一日となりました!

さて、本日は第二回投稿の続編です。偶然にも昨晩のNHKクローズアップ現代で「大人のいじめ」に関して放送されました。

まず真っ先に感じたことは、「大人って何なんだろう?」ということです。番組内では教育現場で教師間のいじめがあったと報道されていました。いじめの加害者であるベテランの女性教師がその学校の中で一番権限を持っていて、校長先生や教頭先生は頭が上がらないとの事でした。被害者教諭は結局退職することになってしまいました。勉強する事の楽しさを子供たちに教えたい!と意気込んで教師になったことを考えたら、被害者教諭の悔しさといったら計り知れないものがあります。大学で4年間勉強もせず、部活ばかりやっていた僕が言うのは説得力に欠けますが、少なくとも小中高時代に勉強の楽しさを教えてくれた先生方には一種の尊敬の念を抱いております。

話がそれますが、若手人材ってどこの業界でも大切な存在だと僕は思います。経験不足を補えるパワー、社会に染まりきっていない故の柔軟な発想力を持ちます。極端にいえば、若手は組織の宝だと思うんですよ。なんなら社長をはじめとする重鎮よりも大事な存在だと思います。だって彼らが次世代を担っていくんだから!それなのに、ただ古株だからーっていうくだらない理由で可能性のある若手の人生を踏みにじる行為をする輩は本当に情けないと思う。人生の先輩を語るのだったら、もっと別の強さを見せてほしいものです。地位や年齢をかさにたてて威張り散らすことは強さでも何でもないと思います。

大人のいじめが起こる原因として、ストレスが溜まり、そのはけ口として弱者がターゲットになるとのことでした。なんか、子供のいじめと似てません?というより、全く同じです。

いじめはそもそも絶対にいけないことです。まして、子供のお手本になるべき教師がそんなことやってるようでは話になりません。何故かというと子供は教師をよく観察しているからです。皆さん思い出してください。よく教師のモノマネとか優しい先生に対していじったりしてた奴、クラスに一人はいましたよね?そういうことってしっかりと人間観察しているからこそできる芸当なんです。教師のしぐさや言動を見てるからモノマネができる。教師の性格を把握するところまで観察しているから、いじりどころが分かってしまう。つまり、教師間の複雑な人間関係も見えてしまうのではないでしょうか?教師がいくら隠そうとしても見抜くやつはいますよ。子供のお手本がその程度かって見透かされたら、子供の成長機会を奪ったも同然で、職務怠慢と言っても過言ではないです。

ぼくは大学で四年間体育会系の部活動に取り組んでいました。学年が上がるにつれて後輩の人数も増えていき、4年になったら注目を一手に受ける立場になります。当然、一つ一つの言動、ふるまいに一切のぬかりは許されません。そして、後輩に物事を指南する上での最高責任者と言えるので、特に後輩に指導するときには細心の注意を払います。

その中でも、常々意識をしていたのは、怒るではなく叱るになるように指導することでした。人間誰でも間違ったことをしてしまいます。そんなとき、だめじゃないかーって緩ーく諭すだけじゃ、本当の意味で後輩の成長に繋がらない。やはり、真剣に指導をしなければならない。ここで僕は怒らないようにしていました。そう、叱ることです。この二つの言葉は似て非なるものです。「怒」は分解をすると、「心」という漢字があります。僕はこの「心」は感情的になる事を意味していると解釈し、「叱る」は七つある人間の過ち(=七つの大罪)を口を使って正しい方向に導くと解釈しました。

指導するときには心(=感情)が入ってはいけない!って自分に言い聞かせました。こいつが嫌いだから怒るのではない、良くないことをしてるから叱るのだぞーって。反対にお気に入りのやつが良くないことをすると、自分の感情が入って見過ごしてやろうかなという瞬間が訪れます。でも、これじゃだめですよね?お気に入りの後輩の成長に繋がらないから。この場面でも、気に食わない奴と同じ水準で叱ります。そして指導するわけです。「君達が後輩に指導するとき、常に自問自答しなさい。それは叱った指導?怒った指導?それを見誤ったら、いじめに発展するよ。」

我々は人間なので、時には感情が入ってしまうのは正直仕方ない。でも、そこで自身の感情をコントロールするのです。話が脱線しまくりですが、なにが言いたいかというと、普段から感情に支配されて生きていないですか?ってことを問いたいわけです。感情に支配されるから、いじめという愚かな方向に走ってるんじゃないですか?と思います。それはすなわち加害者こそ弱い人間じゃねと結論付けができるわけです。

いじめという問題は人類永遠のテーマである事は第二回で触れたとおりです。明確な答えは出ないので、日々周囲の人と意見を交わすことが大事です。ここまで読んでくださった方々の意見も聞いてみたく思いますのでコメントを頂ければ幸いです。

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