御託を並べられる人
分かってはいるつもりでした。でも、「退職する」って本当にエネルギーを要するものですね。そりゃ色々言われるだろうけど、辞表出して「●月までで辞めます」って言えば終わりじゃん、と。
実際そういう人も多いんでしょう。ただ、僕の場合はやはり「嫌われたくない小心者」タイプの人間なので、極力波風立てないように動いてしまうので、どうしてもエネルギーを要します。
岸見先生の「嫌われる勇気」も青木信也選手の「空気を読んではいけない」も読んだんだけどなw
10年も勤めていた会社というと、やはり上司達も僕の性格をよく分かっていて、「こう言われたらコイツは弱い」という言葉をガツガツ刺してきます。
でも、不満MAXで辞めるのに比べたら、はるかに幸せな退職なんでしょうね。長い人生、後から見ると恐らく「極小の点」に過ぎない出来事でしょうが、その点が真っ黒くて視界に入るのも嫌だ、ってよりかは、「幸せな思い出だった」と思い返せる方がいいな、と思うのが僕の考えです。
どうせ退職するなら気持ちよく辞めたいですね。僕の方はもうちょっと会社側との交渉は続きます。
その退職に関しても、ある意味大先輩である親父の話。
さて、前回の合弁会社への異動に伴い、研修という形で夢が叶った訳ですが、帰国後も相変わらず営業マンとしての日々を過ごします。
けれども、仕事は変わらず来る日も来る日も思い部品を片手に片っ端から電話して、アポが取れれば営業に飛び回る毎日。成績は、「全く取れない」という程ではなかったそうですが、それでもあまり「よい結果」とは言えない状態でした。加えて、異動先でも上司は古い体質の人が多く、「やっぱりやめようかな」と思い始めていたようです。
昔から親父は「雇ってもらっている、という感覚は全く持ち合わせていない。俺が自分と家族を養うために金を稼ぐのが目的で会社に所属しているだけ」というのが口癖でした。
だから、会社で我儘を押し通すには、「結果」が伴っていないと通用しない、ということも、本人が一番よく分かっていたようです。
これは、本人の言ではなく、僕の見立てですが、この考え方は、水泳部に所属していた際の経験が、大きく影響を与えているのではと思います。
半世紀以上も前の部活ですので、当然「超」体育会が当たり前の時代。何かあると「連帯責任!」と言われて、先輩からひっぱたかれるというのが普通だった頃。
ただ、親父は以前のnoteでも書いた通り、中学3年で県大会優勝する程の実力者だったので、ちょっと勝手が違ったようです。
高校に入ると1年生の時からエース扱い。同級生が練習でへばったり、何かヘマをやらかしたりすると、やはりプールサイドに一列に並ばされ、片っ端から先輩のビンタ。右から順番に頬を張られていくのですが、親父だけビンタされずに隣の人に進む、という現象が毎度毎度起こっていたそうで。
はっきり言ってそのビンタしている先輩よりも、親父の方が遥かにタイムがいいので、先輩もビンタできなかったのでしょう。この辺は、学校スポーツを経験した人なら、なんとなく、超優秀な後輩が入ってきた時にビンタできない先輩の気持ちは分かるんじゃないでしょうか?
ビンタどころか、試合の時になると、「コンディション大丈夫か?マッサージしようか?」といって、2年生、3年生の先輩たちが1年生の親父に対して、自らすすんで肩を揉んだり、腕や背中のストレッチを補助したり、といったことが頻繁にあったようでした。
どうやらこんな経験があったので、親父は、「結果を出せれば、周りが言うことを聞く。反対に、結果を出せなければ、どんな御託を並べたって、何の意味も無い」という自分なりの哲学にたどり着いたようです。
このあたりは、我が親ながら肝が座っているというか、何となく世間一般で言われているサラリーマンとは少し印象が違う、というのは子供ながらに感じていたのを覚えています。
故に、当時の親父としては、結果が出せず、非常にフラストレーションがたまっていた時期だったのかもしれません。
その後、親父は会社を辞め…ませんでした。
実は、社内でもトップの業績を叩き出すことになるのです。しかも、その先ずっと。
これは、本人も認めている所で「運が良かった」のが一番の原因なのですが、「運を掴めた」きっかけはなんだったのか。
これが、まぁ「親父らしい」と言えば非常に「らしい」ことなのですが、それはまた次回のお話。今日の所はこの辺で。
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