年輩の方にタメ語を使うのはよしましょう


「心配のネジを外した男」である、親父のエピソードで、こんな話を聞きました。

ある時、とある大企業出身者の方が、取締役として親父の会社に入社したそうです。全体会議の中で、一通り挨拶をした後、その役員の方がこんなことを。

「私から言わせれば、まず第一に君たちは頭が固すぎるよ。私がいた●●社では、もっと柔軟にいろいろな工夫をしていた。君たちと●●社の違いは、、、」

その役員も初日なのでちょっと張り切っていたのでしょうね。自分がいた●●社と親父の会社を比較しつつ、色々とお説教がはじまったそうです。
じーっと黙ってその話を聞いていた親父は、会議が終わろうかというタイミングで、パッと手を挙げました。

「あの、ちょっといい?」

※親父とその役員の歳の差は二十以上。

「あんたさ?さっき、俺たちのこと『頭が固い』って言ってたけど、今日初めてあったばかりで、なんでそんなこと分かんの?」

いきなりのタメ語で役員も面食らったのでしょう。
「いや、、、それは私も●●社で色々見てきてるから、分かるんだ」的なことを言うも返す刀で親父から
「分かるわけないじゃん。俺はあんたのこと何にも知らないし、あんただって、うちの会社のこと何も知らないんだし、頭が固いかどうかなんて、分かりっこないよ。」

僕がその会議に出席していたら「帰りてぇ、、、」と思うような雰囲気だったのでしょう。
ただ、このモードに入ると止まらないのが、心配のネジを外した男。

「あとさ、●●社はすごいとか、●●社ではこうだった、とかなんか言ってるけど、そんなに●●社が良かったんなら、あんた何でうちみたいな小さい会社に来たの?●●社で使い物にならなかったからでしょ?」

これ、冗談じゃなく本当に言ったんだそうです。

役員は顔を真っ赤にして黙ってしまったそうで。会議の後同僚達から「あれは、言っちゃだめでしょぉ、、、」と言われたそうですが、当の本人はどこ吹く風。

当時、親父は会社の中で、だれよりも稼いでいるという自負があったそうで、クビにできるもんならしてみろ、という自信があったのだとか。
もうこれも、何十年も前の話なので、今の時代には通用しないことは言うまでもありませんが、ただやはり「自分に自信を持つ」というのは、とても大事なことだな、と最近改めて思っています。

退職活動が少し落ち着いて参りました。

他人の体験談を聞く限りでは、「何がそんなに大変なんだろう?」といまいちピンとこなかったのですが、自分が当事者になって、「なるほど、これは大変だ」と思うことが沢山。

自分は「気を使ってしまう」タイプの人間です。よく言えば「気配りができる」悪く言えば「気を使いすぎて空回りしてしまう」性格。

「気遣い」=「遠慮」とすると、それは自信の無さの裏返し、ともとれるかも知れませんが、なんとなく「物事を断定した言い方」をするのが昔から苦手で、会話の中に注釈を入れてしまう癖があります。

「ケースバイケースだけどね。」とか。

今回の退職活動を通じて感じたことは、「自分に自信が無い人」程、苦労する、ということ。

極端な話、退職すること自体は何も難しくないのです。

会社で決められた規定に沿って退職願乃至届出を、上司に提出すれば終了です。

有休消化については、これは本来であれば全消化するのが当然ですが、労働基準法において、「拒否はできない」と定められてはいますが、繁忙期等、仕事がまわらなくなって、組織の他のメンバーにかかる負荷が著しく高まってしまう、と会社側が判断した場合には、会社側から「時期変更権」を行使する権利が認められているそうです。なので、必ずしも消化できるか否かは、微妙なところみたいですね。

ただ、いずれにしても退職すること自体は事務手続きだけです。

大変なのは、「その会社で培ってきた信頼関係を壊してしまわないようにしたい」という心理が働く程、会社側との話し合いが大変になる、ということです。

一つの会社に所属していた期間が長ければ長い程、社内のネットワークも増えますし、その会社が色んな事業を展開していれば、自分が職を変えて以後、今度はクライアント等なんらかのビジネス上のお付き合いがあるかもしれない。更には、ちょっとした相談や、人の紹介等、自分が退職してからも元の会社との「コネ」は無くしたくない、という打算的な考えが働くものです。

自分に自信の無い人であれば、この「打算」がより一層働くもので、故に「信頼を崩さずに退職しよう」とするので、結果上司や様々な方との話し合いをせざるを得ず、時間も労力もかかってしまう。

僕自身にもこの打算的な考え方は、正直あります。加えて言うなら、やはり濃密な十年を過ごした会社なので、「後味悪く離れたくない」という思いもあるし、苦楽を共にした上司達とも、ちゃんと話をした上で、退職したいな、と思っています。

先日、プロ格闘家の青木信也選手が、ある格闘技メディアのインタビュー記事で、「MMAをやるなら挑戦するコストというモノは若い方が圧倒的に安い」ということをおっしゃっていました。

http://mmaplanet.jp/71997 

(MMAPLANET【Special】月刊、青木真也のこの一番:9月編─その壱─ンガラニ×関根秀樹「若い子たちは皆やっている」 2017年10月3日) 

僕は今年三十二歳。勿論格闘家に転職する訳じゃありません。

ただ、この「挑戦するなら若い方がコストが安い」という言葉は、我々のようなサラリーマンにも当てはまると思います。

ある意味で、一つの会社で長く働くと言うことは、実績の上に「信頼」という財産を積み重ねてきた状態です。職場環境を変える、ということは、その「信頼」をまたゼロから積み上げていくことが求められます。だから、「信頼」というコストが、一つの環境で働いていた期間が長ければ長い程、チャレンジのタイミングで発生することになるのです。

「転職しようか、どうしようか」とコストを払う勇気が持てず、踏ん切りを付けられないまま年を取り、結局転職できる先が限られてしまった、というのはよく聞く話です。

ただ、これからの時代は、「会社に所属して仕事をする」ことが必ずしもスタンダードである時代では、なくなってくるのでこの考え方も恐らく変わってくるでしょう。

復業が当たり前になれば、その人の信頼の「社会的な汎用性」が高まるし、会社の看板を使わず個人の力でお金を稼ぐ、というノウハウがだんだんと浸透してくれば、こうした悩みもなくなってくるかもしれません。

でも親父のように、「会社に雇われて、給料を頂いている」という感覚よりも、「俺が、自分と自分の家族のために金を稼いでやる」という自信を持てば、今の時代だって、コストを支払うことを恐れず、色んなことに挑戦ができるはず。

他人からの「信」を集めるためには、まず自分自身を「信」じねば、

といったところでしょうかね。







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