主語を自分に置き換える

私事ですが、12月いっぱいで会社を辞することが決まりました。

正式な書類手続き等はこれからですが、自分なりに最低限の社内仁義を切った上で、大きくもめることなく話をまとめることができたので、とてもよい結果となりました。

あと2ヶ月。まだ色々と話をすることもあるし、その都度色んなことを言われる機会もあるでしょうが、悔い無く勤めを果たそうと思います。

親父が自分の会社を登記し、いざ会社をやめる、となった時も、周囲の人間からは、当然ながら色々言われたそうで。


起業するための計画や事業プランが固まっていなかった親父ならばそれも尚更のことだろう。当時はよく理解していなかったが、今の私なら全力で止める。

57の人間が、裸一貫で人生の大勝負に出た、と言えば聞こえは良い。実際の所、どれだけ勝算があったのかは当人にしか分からないが、当の本人が、「何も考えた無かった」というのだから、本当に何も考えてなかったのだろう。

祖父、つまり親父の親父も猛反対していた。

大正生まれ。そこそこ大きな会社の役員を勤めた経験があったそうで、同居していた私には、いつも優しいじいさんの記憶しか無いが、若い頃は親父に負けず劣らずの豪快な人物だったらしい。

その祖父も「お前の力では無理だ」とはっきり親父に言っていた。そりゃそうだろう。

それでも、親父は頑だった。あっけらかんとはしていたものの、やる、と決めたことはやる。失敗したら、といったことは一切考えない。ダメだったらその時は、どんなことでもやって金を稼いで家族を養う。

その覚悟だけを旨に、手元資金としてコツコツ貯めた虎の子の300万円分だけ使ってやってみよう。

借り入れなんか自分はできない。そもそも、学の無い自分がいきなり大きなことをやろうとしたって上手く行く訳が無い。だったら手元で出来ることをやろう。

元々、会社を興す理由も「一山あてて大儲けしたい」とかではなく、

「会社に自分の人生の主導権を握られたままなのが嫌だった」から、だったのである意味身の丈にあった起業だったともいえる。

自分の人生は、結局自分で決めるしかない。親が、上司が、友人が、先生が反対しようと、結局責任を取るのは自分。自分が「やりたい」ことが、「正解か」「不正解か」なんて、答えは無い。自分の経験を通して至った結論は、自分の行動に自分が納得出来るか。


先日、ある同僚と食事をした際、思いがけずその人も転職を考えている、という話を聞いた。先日、思いきって会社に辞意を伝えたのだが、上司の人に言いくるめられ、その日は結局引き下がったのだとか。

会社の上司は、「部下の離職を防ぐ」ことも業務の一つだから、色んな角度から引き止めにかかる。ましてや、その人が優秀な人材なら尚のこと。

でも、長いようで短い自分の人生、会社に振り回されて、チャレンジができないなんて、私は納得できない。多分それは親父もそうなんだろう。

これも私の経験則に過ぎないが、「今の会社が、良い会社かどうか」で考えてしまうと、多分自分で答えは出せない。なぜなら、主語が「自分」ではなく「会社」の文脈で、思考がされてしまっているから。

自分は会社じゃない。会社は自分じゃない。会社はあくまで生活を守るためや欲求を満たすためのツールに過ぎない。

いくら良い上司、部下、良い仲間に恵まれていたとしても、「この組織で良き部下、良き上司、良き同僚であろう」という心持ちでは、周りに振り回されて疲弊してしまう。

だから、もっともっと自分本意に考えていいのだ。

「会社」ではなく「自分」と対話して、何が起こってもその状況を受け入れられる、という覚悟を固めていく。

それが正解の無い生き方を決める、ということなんじゃないか、と今は思う。

この先、私にもどんな展開が待っているのか分からないが、それをビクビク待つか、ワクワク待つかは、結局は「自分」との対話量で決まるんじゃないだろうか。


親父も、いざサラリーマンを辞めて華々しく起業したわけではない。

いざ自分の会社をスタートした、となった直後、祖父が亡くなったのだ。

当時、九十を超えていて、徐々に体が弱って入院していた祖父は、親父が独立直後、その活躍を目にすること無く、七夕の次の日に息を引き取った。
親父が、「社長」となって最初に人前で話をしたのは、祖父の葬儀だった。

順風満帆なんてあるわけない。だから「心配」なんてしたってしょうがない。

自分の生き方は、我儘に決めたって、決してバチは当たらないと思う。



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