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マイボス

私の身体は、しばしば亡くなった父に乗っ取られる。今日も、朝からそんな感じだ。

「俺は男ばかりの家系だったから、娘をどう育てていいのかわからなかった、子育てにはうまく関われなかった、まあ、でも、お前はなかなか面白いやつだよ」と父がお酒を飲みながら電話を掛けて来るようになったのは、私が子どもを生んでからだ。子どもたちに、「じいじだよ」とデレデレとおしゃべりをして、私と他愛ない話を30分ぐらいする。もっと父の生い立ちとか祖父母のこととか、私の子どもの頃の話とか聞いておけばよかったと後悔してももう遅い。

私が小学校にあがったばかりの頃だと思う。仕事だ、接待だ、と父は毎日午前様で、母は日に日に不機嫌になった。いよいよ母が爆発するのではないかと緊張高まるある晩のこと、わが家の前にハイヤーが数台止まった。父はクラブのケータリングをしたのだ。ホステスさんたちと黒服さんと、サラリーマン数名が、わが家のリビングを夜の社交場に変えた。母もその輪の中でグラスを握っていた。私はその晩、自宅のソファーで綺麗なお姉さんに柄の長いスプーンを差し出されて、生まれて初めてフルーツ山盛りのパフェというものを食べた。接待を知った7歳の夜だった。

父は石原裕次郎や加山雄三のファンで、憧れて海の町に家を建てた。庭や海でパーティーをするのも、家族でスキーに出掛けるのも、軍団を引き連れてキャンプに行くのも、リビングにブランデーのボトルを並べるのも、家具みたいな8トラのカラオケを備え付けたのも、弾いたことのないウクレレがあるのも、ボスと若大将の影響だ。

私が高校生のときに、「お宅の娘が竹刀を振り回して蛍光灯を割った」と学校からの連絡を受けた父は、部下を従えて系列会社の蛍光灯をたくさん抱えて謝罪に学校に現れたのだが、その様子はドラマの西部警察さながらで、スーツにサングラスをかけて、部下共々アウトレイジ感が濃厚すぎた。私は掃除をしていて誤って蛍光灯を割ったというのが事実なのだが、不審者の登場に職員室から先生方は出てくるし、グランドで部活動していた生徒は覗きに来た。このときは軍団の石原裕次郎ではなく、爽やかな加山雄三をチョイスして欲しかったと思ったが、アロハシャツでウクレレ弾きながら登場されても騒ぎになるのは同じだったかもしれない。しばらくはクラスで軍団の娘と呼ばれてちょっと参った。

私が女子大生になると、たまに学校の帰りに新宿とか銀座に呼び出されることがあった。予約していた馴染みのお店で、わざわざ定期代とか学費を手渡しされるのだ。女将さんや板前さんに、「ええ?お嬢さん?」と聞かれると「いやいや若い愛人だ」とか言って、私は偽りのパパにおねだりしている小娘にされてしまう。そういうくだらないジョークを楽しむ父親には、尊敬とか憧れはなく、まったくしょうがないね、と呆れるばかりだった。

父には麻雀とかスキーとゴルフとかお酒の飲み方を、教えられたのだけれど、与えられた人生訓はひとつだ。父と弟がキャッチボールをしていると、私は弟の後方で玉拾いをする。弟が取り損ねたボールが、私の脇を通り抜けて草むらに入ってしまうと、父は「闇雲に走るな、立ち止まってどこに落ちたかまずしっかり見ろ、どの方向か自分の居場所から目測してから走れ」と父は私に諭した。それ以来、私の玉拾いは「2時の方向、5m先!」と叫んでから走るスタイルになった。大人になっても、自分が何かを見落としたとき、自分の気持ちが落ちたとき、闇雲に走り出さずどこに落ちたのかを見極めてから動く、ということを心掛けては来た。たぶんきっと父はそんな深い意味で言ったつもりはなさそうだけど、その方がカッコいいから、そういうつもりだったことにしている。

70歳を過ぎて仕事もしてスキーもゴルフもスキューバもしてパワフルじいじだったのに、いきなり余命1か月を宣告されて、あっという間に亡くなってしまった。痛み止めの投薬を始める数日前に「何か食べたいものはない?」と聞いたとき、「そばは大好きだが、今食べても旨いと思えないからいらない」と悲しい顔をした。私も悲しい顔をしたので、「まあ、この先食べたいものがあったらお前に頼むから」と言って、バニラアイスを一口舐めて、その2日後から眠り続けて父との私の会話は途絶えた。

それから、だ。おそらく四十九日が過ぎた頃からだ。私はうどん派だったのに、突然、そば派に移ることになった。エビフライもビーフシチューもバニラアイスも味噌ラーメンも冷奴も塩辛も鍋の〆の雑炊も、父の好物をなぜか私は頻繁に食べるようになった。カニクリームコロッケが食べたいとか、塩バターラーメンが食べたいと店に入るのに、気がつくとどちらかというと苦手だったエビや味噌に引っ張られている。30年一緒に暮らす夫も、かつて自分から頼んだこともないメニューに私が引き寄せられていることに気づいている。「親父さんとは食の趣味が合わないって言ってたのにねえ」と、そばを啜る私に手を合わせる。

病床で「この先食べたいものがあったらお前に頼むから」と言っていた通り、いつの間にか私はその依頼を引き受けたようだ。今日のお昼は、サラダ、デザート、ドリンク付きのヒレカツレディースセットを食べに行ったのに、オーダーするときはエビフライの写真を指した。サービスランチではなくて、特大エビ2匹の方だ。

私の身体は父に乗っ取られることがある。いただきますと、ごちそうさまが空から降りてくるようだ。だから、美味しかったねと、私は空を見上げるのだ。