読書にかかる矛盾
読書というと、2つ種類がある。
読む本に関してのはなし。
小説を読むことと、それから、ビジネス書やら自己啓発書などと言ったものを読むこと。この2つ。
この2つに対して、私はそれぞれの読み方を変えている。
しかしどうもそこに矛盾を感じてしまった。
共感する人もいれば、共感しない人もいるだろう。
小説なんかを読まない人にとっては、どうでもいい問題かもしれない。
ビジネス書を読むのには、2時間とかからないことが多い。
自分に役立つことしか読まないので、比較的短時間で読み終わる。
骨だけ抜き出して、肉は食わないといったところだと思う。
抜き出した骨は、自分の所有する大鍋に突っ込んでその髄までダシを取る。
けれども小説なんかを読む段になると、そうはいかない。
「 」の中がわずか4文字の応答の連続も、ところどころに散りばめられた情景描写も、読まねばならないと思ってしまう。
どんな些細なことだって、作者の表現のうちであり、作者が書くべくして書いたものであると思ってしまう。
一旦面白いと思ってしまうともう、その気持ちに取り憑かれてしまっていけない。
読み終わる頃になると、家族は夕食を済ませ、風呂は冷め、暗いリビングは空虚。
はっきり言って、小説を読むことで己がなにを得られるのかといえば、こうやって実験的にエッセイみたく書いてみる際の、参考くらいでしかないと思うのだ。
未知なる世界へ主人公とともに冒険をしたところで、読み終わったときのほんのりとした夢見心地は、数時間も経てば消えてしまうことのほうが多かろう。
わかる。言いたいことは。
物語を読む中で新しい、価値観、世界観、語彙、表現方法、その他いろんなこと、ときによっては豆知識のような事さえも学ぶことができる。
しかし、どこの誰のどの小説が、ビジネス書やら哲学書、自己啓発書にまさって、ピンポイントかつ十分で役に立つ知識を教えてくれる?
なにが言いたいのかといえば、役に立てようと躍起になるビジネス書等は要所だけポンポンと読んでしまって、役には立たない嗜好品である小説をじっくり読むということに、矛盾を感じたということである。
この矛盾を正してみようか。
ビジネス書の類はじっくりと、一字一句逃してはならない。
小説などは、大枠だけ掴んでしまってあとは飛ばすべし。
これでどうだろうか。
む、、、。
おそらく、役に立てようとじっくり読んでみたところで、冗長だろう。
おそらく、、、。なにがやりたいんだ?
この矛盾は、矛盾でありながらも、おそらくは本とのまっとうな向き合い方なんだろうと思う。
私はこれをそっとしておいて、これまで通りに読書を楽しもうと思う。
集中して読むときには右手にペンを握る。
まったり読むときにはコーヒーを淹れる。
普段とは全く異なる文調で書き進めてきたが、
ここまで読んでいただいたことに謝意を述べさせていただく。
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