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村上春樹の短編「木野」を読んで

『女のいない男たち』より
学校の先生には見せられないバージョン①

              こい瀬 伊音


 ハルキハルキってみんないうけど。
 わたしにはとんと、よさがわからなかった。
 なんでだろう?みんなにはわかるのに、わたしにはわからない。読解力が、人並外れて足りないわけではないだろう。そうするとあとひとつ、残されている答えは。
 みんなの中に当然にある感覚器が、わたしに備わっていないのではないか。

 これでも結構悩んだのだ。
 あのハルキをどう位置付けるかについて。

 私の左手の小指の付け根は、生まれつき小さな骨がひとつ足りない。深く曲げると突起せずに、そこは陥没してしまう。でもそれは、その事を知った上で注意深く見なくては誰にもわからないような小さなことだ。アスリートでないわたしは、左手の握力がほんの少し弱くても、何不自由なく生活できる。

 それとおなじだ。
 この感覚器が足りないとしても。
 そう結論付けて、みないようにしていた。


 今日は短編の「木野」を読み、

かんたんにいえば、わたしは彼の感情を知っている、とおもった。
 悲しみに溺れずまえに進むために、悲しまなかった男の話。悲しみを空洞に変えて抱え込んだ男の話。
 数々のメタファーについて、解き明かすことは得意ではない。自分はメタファーを好んで使うくせにおかしなはなしだが、その腑分けや謎解きは積極的にかしこいひとに任せてしまおうとおもう。きっと何を聞いても、そうだね、そうだとおもう、と肯定するのだ。
 階段下の頭をぶつけそうな空間に。ウイスキーと同量の水に。
 すこしくらいはかなしかったでしょう。そう尋ねる女のかなしみに。
 転々とするビジネスホテルの部屋に。空虚な交わりに。
 猫がいなくなって蛇が来た、両義的さに。

 今日わたしは、左手の小指の付け根がほんのすこし重いように思う。
 その事を思い出せてよかった、とも。

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