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「コントラスト」(クロコライダーズ!①)

#1ポップス大作戦


             こい瀬 伊音

 納得できない自分を受け入れられない、のはただの子どもだ。現実と折り合いをつけてはじめて大人の顔ができる。
 何年か前に流行った緑のカーテンを、食いきれないゴーヤから今年はきゅうりに変えたっていうのに。収穫を待たずに彼女は出ていった。
 ベランダには出ず、窓だけ開けた。太い茎と大きな葉の影で、どこにもつかまれずくるくると丸まるひげをちょっとつまんで伸ばしてみる。支柱はこっちだぞ。立派に自分を支えてるやつには、迷惑な手出しかもしれないが。
 明日には育ちすぎになっていそうな一本を見つけて、キッチンばさみで収穫をした。軽く水洗いし、元気ではちきれそうなやつの棘の主張を聞き流し、薄切りにして塩揉みをした。水気と青臭さが抜けて、扱うにも食うにもいい塩梅になる。
 おやじくせー。
 ふられても、日曜の憂鬱な夕方も、傷に塩を振ってもみこんでも、おれは生きていくことができる。下手なあこがれを手放せば楽になれるのだ。
「頼みたいことがあってさ」
 学生時代からの友人、佐々の電話は突然だった。
「なに?貸せる金はないし、女の子は紹介してほしい方だけど」
 くくく、と電話の向こうで笑っている。目尻と口角が下がる独特の表情が目に浮かぶ。あ。今はヒゲも生やしてる。
「おまえさ、壁、高いのな」
 壁ってなに、プライドのこと?壁感じる、の壁が高いってこと。おれだけまだ高い壁に隠れて埋もれてるってこと。慎重になにも答えずいたら、ほらな、と笑われた。
「最近、書いてないだろ。おれんとこ、送ってこないもんな」
「全部見せてるわけじゃねえし」
「へえ。じゃあ最新作、見せてよ」
「…まだ頭のなかだよ」
 それ一番だめなやつ、と言われて思わず笑ってしまった。「目標」に取り組めてないんじゃだめな奴だが、それはもう取り下げた。わざわざ苦しむ必要はないはずだ。「夢」ならたまに取り出して、飴みたいにしゃぶっていればいい。今はまだ甘すぎて、口のなかが痛いだろうが。
「おれ、お前のつくりだす世界観好きなんだけどな」
 好き。
 上手いとか、才能あるとかより、そう言われるのがうれしかった。「そりゃどうも」と答えながら、胸がじくついた。西陽とか残暑とか、未練がましく尾を引くひかりはどうしてこうもしつこいんだ。
「今度、若手のクリエイター集めて面白いことやろうと思っててさ」
「新しいゲーム?」
「そう。VRの。大阪ですごい人気のバンドのギターに、音楽一任したとこなのよ。音から入るってまた、突拍子もないことやってんなぁ、と思うだろ?クロコダイル・ティアーズっていうんだけど。まあ聞いてみてよ」
 ワニの涙、ダセェ響き。
「うそ泣き、て意味なんだよ。しゃれこいて華やかなコード進行なんだけど、どっか泥臭くてざらざらしてんの」
 おまえの世界と、なんか似てんだよなぁ。佐々はちいさく、だけどはっきりおれの耳に流し込むようにつぶやいて、通話を切った。
 続けざまに送られてきた動画を、ほぼ自動的に再生する。
 うそ泣きなんて名乗るくせにすかしてやがる。斜に構えたおれに追い縋ってきたのは、ぎらと抜き身の刀の音。差し込まれ、引きちぎられる内臓。まわりが熱を帯びるほど、雷の直前の空みたくそいつだけ深く青くなる。
 疾走感。
 おれのじくつく胸の上を、ざらざらと這う焦燥感。
 コロナ禍で、こいつがライブを失った。佐々のやつ、でかい水槽をつくってこいつが泳げるようにしたいってことか。おれのこと、唯一無二だって言ってたくせにーー。
 いや、こいつを、おれに似てると言ってなかったか。
「頼みってなに」
 気づけばおれは電話をかけなおしていた。
 飴だ。頬の内側が痛い。

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