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『少年』RYO40…2

石田衣良のパブリッシュサロン課題
『娼年』シリーズより「40歳になったリョウくん」

 咲良が最近気に入っている20代の俳優が、7時台のバラエティー番組で大口を開けて笑い、飛んだり跳ねたりしている。
 [あの薄いからだを前にして脱ぐなんて、すっごい勇気がいりそう!]
頬を上気させてはしゃいでいる彼女に、ずいぶんしあわせな妄想だよね、と返す。
 今日、彼女は少し緊張している。

 このまえ一緒に行った映画館では、彼の繊細さと野性がいりまじった長回しのキスシーンに彼女の気持ちをさらわれた。エンドロールのあと明かりがついたばかりの座席で、二時間だって見ていたいキスだったとうっとり言った手。誰の耳にも届かないからって、そのあとすぐにぼくを挑発してかかる。
[リョウくんのキスを二時間、だとどんなだろうね]
 こんなときの彼女は最高にかわいい。それ以上余計なことをしゃべらせないように手を繋いで、ぼくたちは久しぶりにホテルへと歩いた。
 リョウくん、咲良さんと呼びあうとき。
 それは、元娼夫が娼夫ごっこをするときだ。
 ぼくはキスだけで二時間を過ごすフルコースを組み立てた。咲良さんがうれしそうに手をひらひらさせて、笑顔でキスを返してくるのは案の定最初のほうだけだった。頑固者!とか、わからず屋!とか。甘えた顔で抗議してくる咲良さんをかわして、ぼくは娼夫のキスを続けた。
「二時間だと、最後の方はどんなだろうね」
 ゆっくりと目を見ながら発音する。
 もう咲良の要望に応えてもいいんだけどな。そうはいっても、若い俳優に嫉妬している気持ちを楽しみたくもある。挑発のセリフ通りきっかり二時間、キスだけで欲望の輪郭をなぞった。後頭部でいくら手が動いたって知らんぷりして。
 夫婦としてつながって安らぎを得るのもとても素敵だけれど、たまには彼女をおもいっきり女にしてあげたい。ぼくはそう思っているけれど、彼女は彼女で咲良以外の女性をもう抱かないぼくのために、咲良さんになってくれているのかもしれない。
 永遠みたいな二時間が過ぎ、ぼくはただの領にもどって咲良と重なった。
 
 今日は梓真(あずま)の13歳の誕生日だ。 
 13年前の今日、ふたりで約束した通り、ティーンの入口に立った彼にセックスについてをきちんと話す日。ぼくはプレゼントに、コンビニでも売っているスタイリッシュなデザインの小さな箱を二個用意した。ひとつめはスムーズな装着のための自主練習に。ふたつめは恋や欲望や愛の意味をよく考えた上で必要なときに使って欲しい。
[ちょっと使用期限が短いんじゃない?]
 咲良は母親らしい心配をしているけれど、少年は大人が知らないうちに青年になってしまうものなんだ。素敵なキスで魅せるこの俳優だって、今画面ではこどもみたいにはしゃいでいる。これから、母親には絶対見せない顔が増えるんだよ、とぼく。
「ただいまー」
 玄関からかすれた声がしたので、ぼくは咲良の手をタップした。
 ビクッ。緊張が伝わる。
 廊下の足音を注意深く聞きながら、ぼくは咲良のおでこにキスをした。 
 大丈夫。
 まずはテーブルに、ごちそうを並べなくちゃ。

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