地獄サンタ14 極寒地獄のおトヨ5

 やがてゆっくりと腕を緩めたおトヨは、それでも名残惜しそうに見慣れないオレの胸骨や頬骨を撫でた。
「あんまり撫で回すなって」
 手離せなくなっちまう。
 オレのあばらを見ていた目が、ゆっくりと上を向く。どこを見ているかもわからねえはずのオレの眼窩を見詰め、ぽろぽろと涙をこぼすんだ。
 ……泣くんじゃねえよ。
「あたし、おようと――」
 そうだ、願え。
「――おまえさまと三人で、極楽で暮らしたい!」
 コロリとオレの下顎が落ちた。
「ばっ、馬鹿言え! 何て欲張りだ! 呆れるぜ、この三百年、こんなごうつくばりな願いなんて聞いたことねえぞ!」
「もしもおまえさまが、本当にあたしを赦してくれるなら……それがいい。おまえさまのいない極楽は、あたしにとって極楽にならないでしょう?」
 ……やられた。ぐうの音もでねえ。
 おトヨはオレの下顎を拾い、埃を払った。
「おまえさまが骨のままでも構わない。顔がなくても、機嫌が良いのか悪いのかくらい、声だけでわかるんだから」
 探り探りオレの下顎をはめようとする。
 そのとき、カシャリと骨を鳴らしてアンジーが起き上がった。
「ロック。あげられないプレゼントがあったら、地獄サンタの名折れなんでしょう?」
 オレは内心にやりとしたが、肉のない顔は何ひとつ変わらなかっただろう。
「おまえさま、ウマが!」
 おトヨはたまげてしがみついてきた。
 オレは声をあげて笑った。こんな愉快なのはいつ振りだろう? 死んでからははじめてかも知れねえ。
「おトヨ、紹介する。オレの相棒のガイコツトナカイ、アンジーだ」
「はじめまして。あたい、アンジー。餡寿って呼んでね」
 アンジーは愛想のいい声を出した。
「は……はじめまして。トヨです……」


「アンジー、失敗したら地獄サンタの名折れだぜ。未来永劫オレを馬鹿にする権利を貴様にくれてやる」
「未来永劫ロックを馬鹿にしていい権利かあ。いいねえ。そそるねえ」
 アンジーの声は、えらく楽しそうだ。
「そのかわり、成功したら地獄サンタの英雄として語り継げよ? あとよ、セブンに事後処理を頼んでくれねえか? 報告書とかおトヨの地獄退出届とかよ。ああ、オレの退職届も」
「あたい、書類のことはわかんないよ」
「あったことをありのまま話してくれりゃ、あとはセブンが文句言いながらでもやってくれる」
 しょうがないなあ、兄ちゃんがやってやる、とか何とか言いながらよ。なんだかんだいって、アイツは面倒見がいい。オレが地獄サンタになったときだって、何から何まで段取りをつけてくれた。
「わかったよ」
「よし。やるぜ」
 オレはふたつの眼窩の間に人差し指と中指を当て、集中しはじめた。
 まずはおようだ。おようまで地獄に居るなんて、勘弁しろよ? おトヨのログからリンクさせて追う――どこにいる? ……いた! ああ、やっぱり極楽に居たんだな。蓮の花の揺り篭とは、極楽ってのはなかなかオツだな。
 よし、問題ねえ。次はおトヨだ。
 おトヨの眉間に指を当て、集中を高める。すると、おトヨの体はうっすらと光り輝き始めた。見上げれば、ぶ厚い黒い雲が垂れ込めた空に、台風の目のような小さな穴が開いた。その先は七色の光に満ちた極楽だ。雲の淵で、ひときわ大きな蓮の花に抱かれたおようが待っている。
 ……問題はここからだ。
 地獄サンタを極楽に昇らせるなんて、前代未聞だぜ。だいたいよ、ガイコツが極楽行ってどうなるよ? しかもひとつの願いで二人目だぜ? できるもんだかどうだか、さっぱりわからねえ。
 今頃になって気付いたけどよ、三百年も地獄サンタをやっていたくせに、オレはあの世のことも地獄サンタのことも、なんにもわかっちゃいねえ。その点、セブンのヤツはイロイロとよく知ってやがるよなあ。
 ああ、くそっ。よくテレビで宣伝している携帯電話とやらを、地獄も導入すべきなんじゃねえか? そしたらよ、セブンに訊けるのによ……。
 もし失敗して地獄サンタを続けることになったら、もうちったあ勉強するべきだな。
 ……失敗だと? なんだよ、弱気じゃねえか? 気合入れろよ!
 失敗なんかしてたまるか。オレの極楽行きを誰かが願ってくれるなんて、この先二度とありえねえ。
 空に空いた小さな極楽への通り道を睨みつけ、ふたつの眼窩の間に人差し指と中指を当てた。


 どれくらい時間がたったのか、よくわからねえ。オレはきっと、暫く気付かないで集中し続けていたんだと思う。
 我に返ったときには、オレの体は骨から肉と皮のある人間の姿に戻り、赤と白のサンタの衣装は懐かしくもぼろの着物に変わっていた。おトヨと同じように光を放っている。
 昇れるのか?
「ロック、お別れなんだね」
「アンジー……」
 忘れてた。地獄を出るって事は、アンジーと別れるってことだ。
「ロック、いいこと教えてあげようか?」
「なんだよ?」
 おトヨとオレの体は浮き上がり、ゆっくりと上昇をはじめた。
「あたいが東洋を好きになったのはね、ロックに逢ってからだったんだよ」
「本当かよ?」
 初耳だ。
「だってロックって、口は乱暴なのに律儀で優しいところもあるしさ、あたいにはすごく不思議でさ。なんだろう、って観察しているうちに、いつのまにか東洋が好きになってたんだ」
 そういや、アンジーが東洋かぶれだと知ったのは、出逢って何年か経ってからだったかもしれねえ。
「そりゃ、知らなかったぜ」
「えへへ」
 なんだよ? 照れてんのか?
「アンジー、ナイトとよろしくやれよ。……たぶんヤツは落ちねえだろうけどな」
「わかってるよ。落ちなくてもいいの。ときどき逢えればそれで」
「……そうかよ。セブンにもよろしくな」
「うん。……もう! なんだか調子狂うな。いつもみたいにさ『このガイコツトナカイめ』とか、そういうの言ってよ」
 だんだんとアンジーが遠ざかる。オレは腹に力を込めた。
「オレも同じことを考えてたんだけどよ、冗談でも出てこねえんだよ!」
「じゃあさ、最後に一度くらい餡寿って呼んでくれるのはどう?」
 笑っちまうぜ。この期に及んでその話かよ。
「めんどくせえから今まで黙ってたんだけどよ、あだ名をアンジュにしたいなら、杏の樹にしたほうがいいぞ!」
 宙に大きく杏樹と書いた。
「え? そうなの? 漢字ってわかんないんだよねえ!」
「次に逢ったときには呼んでやってもいいぜ!」
「次なんてないよ! 戻って来たら極楽まで蹴り飛ばすからね!」
「この……くそ小生意気なガイコツトナカイめ!」
 オレは泣いていた。
 涙が出るのが不思議だった。いつのまにか、ガイコツの体にどっぷりと慣れちまっていたようだ。
 オレの隣で、おトヨが下を覗きこんで叫んだ。
「あのっ! うちのひとが長い間お世話になって……ありがとうございました!」
 顔のないガイコツトナカイが笑ったように見えた。
 遠すぎてもうよくは聞き取れなかったが、たぶんアンジーはこう呟いた。
「ほらね、やっぱり東洋は素晴らしい」

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