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10年前のぼくは目を輝かせてフラワーズインザウィンドウとか聴いてた

ニュースで、高校野球の予選が始まったことが告げられると、ぼくの夏がはじまる。

10年前は高校3年生だった。万年1回戦負けの母校・都立南平高校は、奇跡的に2回勝ってちょっとしたフィーバーが起きていた。
プロ注目の選手がいる、強敵・府中工業との3回戦は平日。先生は、吹奏楽部以外は公欠にならないから授業に出なさいよと言う。
試合の日、野球部も吹奏楽部も少ない3年7組はガラガラだった。
そのとき思った「大学では胸を張って母校を応援したい」という気持ちはいまでもはっきりと覚えている。

卒業まであと半年ちょっと。耐えられるかなという不安と、もうすぐ終わりだというウキウキ。
夏休み勉強に打ち込めるかなというこれまた不安のなかで、ぼくの唯一の楽しみは、好きなひとからのメールだった。
突然送られてくるお手紙。
ラリーがつづくこともあれば、いきなりお返事がこないこともあった。
ぼくは、あのメールに生かされていた。
お姉さんからメールが来れば、友達がいない学校も、覚える気がおきない古典単語も、難しい英文読解も、夏休みの打ち合わせで楽しそうなクラスメイトも、どうでもよかった。

ある日ぼくは、「なんでそんなにやさしいんですか?」と聞いた。幼い期待を込めて。
好きなひとは、ちょっと上を見て考えて、言った。
「マスコットみたいで、やすらぐから。」
ぼくはうれしいような、かなしいような気持ちで、へへへと笑った。

おとぎ話のようなできごと。いまのぼくとつながっているとは思えない、かわいい思い出だ。
それから10年経った7月のある日、いまのぼくがとても憧れているひとからお便りがきて、ああぼくはいまこのひとに生かされている(仕事を辞めないでいられる)んだと思ったそのとき、オレンジ色の高校3年生を思い出した。

その翌日、食事に誘っていただき、いろいろなお話をきいて、わかんねえこのひとにだけはしょぼいと思われたくないわかりたいなんとかついていきたい、そう思ったとき、ぼくはまたたいせつな思い出を思い出した。
人生ではじめてデートをした岡本太郎美術館でのこと。
ガリガリとメモをとり、坐ることを拒否する椅子をなでる姿をみて、感性を磨きたいと思ったあの瞬間を、思い出した。

これは、なりたいものになれるラストチャンスなんだろう。尊敬しているひとから学び盗んで、身を立てたい。
明日から始まる2学期。それを忘れずにがんばりたいと思います。

28歳になったぼくは、高松のホテルにいて、なにげなく高校野球をみていた。
ぼくに縁のなかった地域の高校の対決。
劣勢の高校は大差をつけられた9回裏、代打が告げられる。今後どうやったってぼくと人生が交わらない高校生は雄叫びをあげてバッターボックスに入り、内野ゴロを打って一塁にヘットスライディングをした。
目頭が熱くなりながら隣をみると、横顔がルーブル美術館にだって展示できそうな女の子は、涙流していた。
人生も、ここまで来たかと思った。
忘れたい記憶も大切な思い出も、全部意味のあることだと思いたいと、その一心で生きていた昔のぼくのおかげでいまがある。
未来のぼくの周りでは、フリッパーズギターとかビートルズとか、大滝詠一が流れていてほしいから、ぼくは、、、、何か考えなきゃ。

#一歩踏みだした先に

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