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ブログ企画【繋】第97回「出会いに感謝」

毎月1日に全国各地のメンバーがひとつのテーマで文章を書くブログ企画【繋】。
12月終了予定の本企画も、今回を入れて残り4回となりました。
メンバー内で順番にテーマを回しているため、今回が最後の担当となったモリミカさんより、こちらのテーマをいただきました。

最後…ということで、妙に胸がざわつき、考えこみました。
最後のお題はこれでいきます!
「出会いに感謝」
人に限らず、出会った物や事柄など、胸にこみ上げる感謝をしたこと、教えて下さい。
テーマ発案者:モリミカさんより

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先日、人生初のマッサージに行ってきた。
これまで基本的に万事「寝れば治る」であらゆる疲労や凝りに対処してきた私は、専門的なマッサージというものを受けたことがなかったが、今回は彼氏が行きつけのマッサージ店へ行くというので興味本位でついて行ったのだった。

しかし、マッサージを受けるにあたり、ひとつだけ気がかりなことがあった。

実は私は、くすぐりにめっぽう弱いのだ。

わきやお腹はもちろん、首や足の裏もくすぐられると笑い転げてしまう。そのことを知っていた彼は、本当に予約していいのか、くすぐったさに耐えられるのかと店への電話前に何度も確認してきた。

けれど、私には勝算があった。くすぐったさへの勝算ではない。くすぐったさをどうにかすることはとうに手放し、私の興味関心はマッサージ店での様子をいかに面白く書けるかの一点だった。初体験のマッサージ店での45分間、くすぐったさに耐え続けたという切り口は、エッセイの題材として申し分なかった。足の疲労の軽減やリラックス効果を期待すべきなのは重々承知の上だが、こうして私はある種不純な動機でマッサージ店へ向かった。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

雑居ビルの4階、エレベーターを降りると茶色の制服に身を包んだ中国人らしき男性に出迎えられた。靴を脱ぎ、促されるままにソファへ座り、出された冷たいプーアール茶で道中の暑さを和らげる。落ち着いたヒーリングミージックを背景にスタッフの中国語が飛び交い、茶色を基調としたオリエンタルな雰囲気の店内は異世界を思わせた。

カーテンで仕切られたペアの個室に通され、用意されたズボンを履きリクライニングベッドに体を預けると、これから始まる体験を想像して鼓動が早まる。後に書くであろうエッセイの一文目を考えながら、張られたお湯に足をつけて温まる。5分後、お湯から上げられた足を前に、スタッフが手にクリームのようなものを手に練り込んでいるのが見える。いよいよだ。

温かな手が、足裏に触れた。自分の体にぐっと力が入るのがわかる。マッサージを開始して15秒も経過していなかっただろう、堪えきれずわずかに笑いが漏れてしまった。

中国人のスタッフは少し困ったような顔で「あ、はい」とだけ言い、その後も私の反応をうかがいながら足裏を押してくる。どうやらあまり笑っていい雰囲気ではないように感じた。横を向くと、本を片手に同じくマッサージを受ける彼と目が合う。大丈夫?と尋ねられている気がしたので、頷きを返すと再び足元のスタッフと向き合った。

面白いエッセイが書ける気がすると意気込んで体験した初めての足マッサージは、蓋を開ければくすぐったかったのは最初のほんの一瞬だけで、以降は終始痛かった。スタッフの方に痛みの加減を聞かれたが、むしろこの痛みを超えた先に何かがあるのではないかと思い、力強い刺激に対して平然を装った(おそらく真似しない方がいい)。私はいつもこうだ。先の読めない展開や未知の体験を超えた先にあるものや、出会う自分を見たさに無茶をしたがる。情熱大陸風に言えば、「“まだ誰も見たことのない景色を見たい” こいぬまはそう語る」とナレーションが入るところだろうが、要するにただのMである。

施術を受けながら、私の頭の中には「くすぐったさとは何なのか」という問いが浮上していた。以前に彼に足裏をマッサージされたときはあまりのくすぐったさに暴れまわったのに、なぜ今回はくすぐったくないのか。これがプロの力なのか。それとも、施術前に出されたプーアール茶に何らかの仕掛けが?(ない)


後日、くすぐったさの正体について、学術的にはどのような研究がなされているのか調べてみた。
くすぐったさについては、誰もが経験する非常にありふれた感覚でありながら、その心理的特性や神経機構については解明が進んでいない(Harris, 1999; Provine, 2000)とされるものの、進化論の提唱者で有名なダーウィンは著書の中で、

人がくすぐったくて笑うためには
 ①軽いタッチであること
 ②自分ではない他人がくすぐること
 ③くすぐる人と親密な関係にあること
 ④普段あまり人に触れられることのない部位をくすぐられること
 ⑤明るい雰囲気であること

の5条件が必要であると指摘した。

さらに、くすぐったい感覚の解明から慢性疼痛の除去に役立てようとした実験研究によると、くすぐったさは緊張を与えると消失する傾向がある(村山・今西・嘉川・清水, 1978)とのことだった。私の場合、初めてのマッサージ体験に緊張もしていたのかもしれない。

以前に彼に足裏をマッサージされたときはあまりのくすぐったさに暴れまわったのに、なぜ今回のマッサージはくすぐったくなかったのか。

これらを踏まえると、なんだ、意図せずただの惚気になってしまった。学術的惚気とでも言うのだろうか。けれども、くすぐられる人との関係性や雰囲気といった直接「触れる」ことに関係しない心理的要因もくすぐったさに関係があるというのは面白いなと思った。知人友人を思い浮かべても、仮にくすぐられたら素直に笑い転げるであろう人と、そうじゃない人がいる気がする。反対に、こちらがくすぐっても大丈夫そうな人とそうじゃない人がいる。そう思うと、くすぐりは関係性のバロメーターにもなり得るのかもしれない。

それまで考えなかったようなことや、自分になかった視点や発想を得たとき、そこに引き合わせた出来事や人に感謝することが多いように思う。そういういくつもの出会いによって、今の自分ができているのだろう。得た知識や経験したことが今すぐに何かの役に立たなくても、いつかその出会いが意味を持つときが来る気がしている。そのとき、きっと私は興味関心をくすぐられているに違いない。


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【引用文献】
Harris, C. R. (1999). The mystery of ticklish laughter. American Scientist, 87, 344-351.
Provine, R. R. (2000). Laughter : a scientific investigation. New York: Penguin Books.
Darwin, C. (1872). The expression of emotions in animals and man. London: John Murray.
村山 良介・今西 一寛・嘉川 智久・ 清水 紘(1978). くすぐったい感覚に対する心理的要因の研究(その1) 心身医学, 18(6)

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