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ブログ企画【繋】第69回「ゴールデンウィーク」

毎月1日に全国各地のメンバーがひとつのテーマで文章を書くブログ企画【繋】。
今回は、山中信人さんからこちらのテーマをいただきました。

『5月の担当は私ですね。5月はやはり「ゴールデンウィーク」ですね。
テーマは「ゴールデンウィーク」でよろしくお願い致します』
テーマ発案者:山中信人さんより


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発車を知らせるアナウンスと同時に人の圧が増す。しばらくして、進行方向と逆方向に体が傾く。夏を思わせるような日差しがふりそそぐ、ゴールデンウィーク初日。わたしは荻窪行きの丸ノ内線に揺られていた。軽装に身を包んだ人々で混雑する電車内は賑やかで、きっとその多くがいつもと違う特別な目的地があるのだろう。手元の英単語帳に視線を落とす。ふせんを貼りつけた単語を目でなぞる。それまで地下を走っていた電車は、茗荷谷駅に入ると地上に出た。茗荷谷駅を過ぎるとまた地下にもぐり、しばらくするとふたたび車内に光が差す。あまり乗り慣れていない路線ゆえ、あれ、またここで外に出るんだ、と窓の外にふと目をやると、ジェットコースターが渦巻いていた。電車は速度を落としながらホームに入る。扉が開くとごそっと人が降りる。ああそうか、後楽園か。軽くなった電車はまた動き出す。窓の外には大きな観覧車が見えた。


Photo by 池田こーき


電車の窓から遊園地のジェットコースターや観覧車が見えたとき、何か見てはいけないものを見てしまったような哀しい気持ちになる。

電車の窓は、平等に景色を映し出す。オフィスビルもコンビニも居酒屋もラブホテルも看板広告も専門学校も商業施設も干された布団も洗濯物も行き交う車も踏切の前で自転車に跨るおばさんも。

しかし、その平等さは、生活感を締め出し非日常体験を提供する娯楽施設にとっては手厳しいものになる。日常が連なる電車の窓から、突如として現れるアトラクションを目にしてしまうと、遊園地もこうして日常の中の一部として消費されゆく存在なんだな、と急に淡い夢に水をかけられたような冷めた気持ちになってしまう。遊園地に足を踏み入れた瞬間の、言わば「遊園地エフェクト」がかかっていない状態で目にするジェットコースターや観覧車は、どこか寒々しく味気ない。

おさらくこれは、遊園地が提供する溢れんばかりの娯楽に肩まで浸かる状態ではなく、遠目からそれらを雑に流し見してしまったことへの罪悪感から来るものだ。

遊園地内にいれば、巨大なジェットコースターや観覧車との遭遇をもっと純粋なリアクションとともに迎えることができただろう。きっと、アトラクション側もそうやって真正面から対峙してほしかったはず。それなのにわたしときたら、あるときはLINEの返事をフリック入力しながら、あるときは窓に映る自分の崩れてきた化粧を気にしながら、あるときは英単語を赤シートで隠しながら、車窓に映ったアトラクションを日常の景色の一部として処理してしまった。
罪悪感を感じるとき、それは遊園地を目的地としていなかったときなのだ。

しかも、アトラクションの側も園内の来場者を楽しませることに必死で、電車からその姿を見ている奴がいることになんて気にもとめていない。その無防備さを盗み見てしまったことが、人気者のあいつを本人の意識と愛想とホスピタリティの及ばない背後から目にしてしまったことが、もうどうしようもなく申し訳ないのだ。このやり場のない罪悪感にいたたまれなくなり、ひとり勝手に哀しみに襲われる。


しかし、それ以上にもっと危険なのが、舞浜の某夢の国だ。開園から35年を迎えた今なおその人気は衰えることを知らない。このゴールデンウィーク中も、たくさんの人々で賑わっていることだろう。

あの場所も、園内にいるときはいい。でも、いつだったか高速を走る車内の窓からディズニーホテルを見つけたときは、それはそれはもう哀しかった。夢の国の世界を構成する建造物を裏側から見てしまったことへの罪悪感。あのホテルは園内に一日どっぷり浸かってから、日が沈んで疲れた体と満たされた心で目にするものなんだよね。お土産を手にエントランスを抜けると、ディズニーキャラをあしらった館内に手厚いお出迎え。うんうん、そうやって対峙するのが正解だ。それなのにわたしときたら、どこかへの移動中にフィットチーネグミを噛みながら間の抜けた顔で目にしてしまった。

いや、でも夢の国のことだから、360度全方位から見られても死角はなさそうだけれども。それでも、そのとき車でどこへ行ったのかはさっぱり覚えていないのに、車窓からディズニーホテルを目にしたときの罪悪感と哀しみははっきり覚えているのだから、やっぱりそういうことなのだ。


さらに「夢の国エフェクト」を帳消しにするケースとしてもっとひどいのが、ニュース映像の中に出てきたときだ。

いつだったか夜のニュースをつけていたら「千葉県浦安市の東京ディズニーランドで発生した事故について、オリエンタルランドは従業員の手順ミスが原因で〜……」とかって男性アナウンサーの声とともにヘリコプターで園内を一望した映像が流れたのを見たときは思わず、いやもうやめてさしあげろと心の中で叫んだ。

もちろん、番組側が報道する必要性のあるニュースとして判断したというのはわかってはいるんだ。逆にここで、ディズニーランドのCMのような映像を流す方がおかしい。わかってはいるよ、わかってはいるんだけどさ、もうちょっと気を遣ってはあげられなかったのだろうか。

まるで画像編集アプリでいうところの加工前のオリジナル画像を思わせるあの上空からのノーエフェクトの園内映像は、ウォルトが必死で築き上げてきた夢が一瞬にして剥げてしまったところを見せられた気持ちになった。画面の中に映るビックサンダーマウンテンやトゥーンタウンをうっかり見つけてしまったときの哀しさったらない。


ここまで長々とじめじめした文章を連ねてきたが、もしかすると、この罪悪感や哀しみを感じるのはわたしが大人になってしまったからなのかもしれない。

思えば子どものころは、電車の窓からジェットコースターや観覧車が見えたら側にいる母に逐一指差して報告していた気がするし、小学生の頃社会科見学で東京湾のゴミの埋立地に向かうバスの窓からディズニーランドの建物を見つけたときは、それだけで心躍らせていた気がする。

遊園地が娯楽を振りまけば振りまくほど、夢の国が徹底した世界観に誘えば誘うほど、それを遠巻きに眺めるわたしの心の中には、もう追い出すことなんて到底手遅れになった後ろめたさが際立つ。

もう、あの頃のわたしには戻れない。しかし、それでもわたしには進む先がある。たどり着きたい場所がある。

電車は景色を平等に後ろへ流していく。わたしはふたたび、英単語帳に視線を落とした。



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