自分がなんの取り柄もないと悩んでいる大学生、新社会人へ、かつてはJKローリング、カーネルサンダースもそうだった

1, かつてはみんなそうだった
大学生、社会人になってもまだまだ自分が一番これが得意だ!と胸を張って周りに言えるものがない君へ。
周りはどんどん成長していくなかで、自分一人だけが取り残されてると感じたり、将来やっていたい夢が遥か遠く、全く届かないと悔しい気持ちになったりしていないだろうか。
僕も大学生の時、将来はFacebookを作ったマーク・ザッカーバーグのように若くして天才と言われる人物になりたかった。

これから紹介していく2人も今無力を感じている君と同じ状況だったかもしれない。
年齢に限界を感じていたり、現実と将来の夢の乖離に負けそうになった時は、遅咲きでも成功した偉人たちのエピソードをぜひ読んでもらいたい。

2, JKローリングは23歳まで秘書をやっていた

JKローリングは6歳の頃から文章を書き始め、ずっと小説家を目指していましたが、親からの期待から大学に進学し、23歳まで自身では望んでいない秘書の仕事をしていました。
子供の頃から文章を書くのが好きだったローリングは25歳までに2つの書籍を出版しますが、日の目を見ないまま終わってしまいました。
その後結構んしますが、11ヶ月でこの結婚生活は離婚して終わってしまいます。
その離婚のショックからJKローリングはうつ病になってしまいました。
そして28歳のローリングは生活保護を受給し、ボロボロの家に住みながら、子供を一人養っていたそうです。
その限界の中で生まれたのが、名作「ハリーポッター」でした。
しかしハリーポッターも3つの出版社に最初断れたそうですが、1年かけてブルームズ・ベリー出版社と契約を結べることになります。
それから4年たち、ハリーポッターはアブカバンの囚人までで、4億8000万ドルの収益を生み、35カ国の言語に翻訳されました。
当時JKローリングは35歳。
6歳の頃から思い描き続けた夢が現実となった瞬間でした。


3, カーネルサンダースがレストランを建てたのは40歳のときだった

もうひとりはマクドナルドに並ぶ知名度を有するあのケンタッキーフライドチキンを生み出したカーネルサンダースのお話です。
彼は、1890年にインディアナ州ヘンリービルに生まれました。
子供の頃から料理が上手でしたが、家が貧乏のため、サンダースは10歳から働き始めました。
路面電車の車掌、保険外交員など様々な仕事を点々とし、その数なんと40種類以上!
そしてはじめてのレストラン、「サンダーズ・カフェ」を始めたのはなんと40歳のときでした。
しかもしの「サンダーズ・カフェ」はガソリンスタンドの片隅のレストランで、サンダーズはそのガソリンスタンドの経営者であり、本業はガソリンスタンドでした。
「サンダーズ・カフェ」は、テーブルがひとつ、椅子が6つのとても小さなレストランからスタートしました。
そこからレストランの裏手にある農場で育てた鶏を使ったフライドチキンがとてもおいしいと、たちまち話題になっていきました。
すぐに「サンダーズ・カフェ」は毎日長い列ができるほど繁盛し、試行錯誤を重ねて生まれた11種の秘伝のスパイスと100%植物油を使って圧力釜で揚げる「オリジナルチキン」は、こうして1939年に誕生したのでした。
そこからケンタッキーフライドチキンというへと名を変え、フランチャイズとして1963年には600店を超えました。
現在、KFCは70ヵ国地域14,000店が存在し、KFCはまだまだ拡大しています。


結論, 頑張るのに年齢は関係ない

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