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暇に対する認識(????/02/13)

知人は、暇すぎると死んでしまう病気なのだという。何もすることがないとそわそわとしてしまうため、どんな小さなことでもいいから何かをしていないと気持ちが悪いらしい。だから、何も用事が無いという日はほとんど無く、いつも予定を無理矢理にでも入れて時間をやり過ごしている。


一方私は、暇すぎるのが普通である。用事などほとんど無く、余計な予定などいれないし、入れたくない。暇を愛しているし、人生の本質は「基本暇」であると思っている。人生の長さを限界まで伸ばせる現代の暇は、例えるなら白米のようなもので、食卓に毎回当たり前のように存在しているような、むしろそれを愛せないのは毎回つらくないですか? というような感覚なのだ。


だから、私とその知人が会って食事をするときの考え方も異なる。

知人は、「暇を無くしたいから来た」という考え方であり、

私は、「暇だから来た」という考え方だ。


どちらも、同じ時間を過ごしているにも関わらず、視点が全く異なるのが面白い。


しかしどちらも、「会いたいから来た」ではないという点は、問題なような気がするが。

この現実はフィクションです日記

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