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MN(????/01/11)

言語の有無及び形態の違いによって文化形成に差が生じることは知られている。


一般的に、言語が存在し、思考の手段である言語と思考そのものが曖昧になればなるほど、その種の文化は発展すると言われている。一方で言語が存在せず、思考が単体で存在している種では、文化の発展は望めない。ただそこに「ある」ことだけが証明され、そこから何の情報も得ることが出来ないからだ。


私の友人のMNは言語を持たない種族だ。MNという名前も私が勝手につけたものである。言語を持つ私と、言語を持たないMNは、数年前に知り合って、それなりに仲良くしている。


といっても私が一方的に喋りかけているだけなのだが。MNが私の言語を理解しているかどうかもわからないし、ただなんとなく月に1回ほど会って数時間過ごす程度の仲だ。今日は先日の通信不具合について私がダラダラと喋っていたら時間になってしまったので、シャトルまでMNを送って、それから別れた。次に会うのは2ヶ月後。


MNと別れてから、そういえばMNと同種の者を見たことがないことに気がつく。私の友人の多くは言語を持っているから、同種で集まって行動していることが多い。が、MNにはそれがない。


そもそもMNの種には繁殖という概念すらないのか? 繁殖するということは、つまり互いにコミュニケーションをとっていくことになるわけで、そこには少なからず言語は存在しているはずなのではないか。(もちろん私たちとは異なる形態の言語だとは思うが)もしくは、繁殖ではなく分裂という個体の増やし方なのだろうか。そっちの方が自然ではあるか。うーむ。


今度会ったら聞いてみるかな。いや、だからMNに聞いてもわかんないんだって。


       この現実はフィクションです日記

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