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【短編小説】ドクダミの家

「日本全国に空き家は846万戸あり、その数は増えている。空き家はやがて老朽化し、廃屋となる」

驚いたな。空き家ってそんなにあるのか。スマホの検索画面を閉じる。さて、どうレポートをまとめようか。目をつぶって考える。

「現代社会の住宅課題」という大学のレポート課題に、僕が選んだテーマは「空き家問題」。自宅周辺でも、空き家が増えているような気がしていたからだ。現地を調査することがレポートの条件で、「工学は理論と実務の結晶だ」が口癖のあの教授らしい。

我ながらいいテーマを見つけたものだ。廃屋の写真も添えたら、面白いレポートになるだろう。

空き家は、いくつかすでに目星をつけていたが、最初に調べる家は決めていた。

その家は、通っていた小学校の近くにあった。なだらかな丘の斜面を切り崩した場所に建つ、地元に昔からある小学校。その先の坂を少し上がったところに、コンクリート塀に囲まれた古い木造の空き家がある。小学校高学年の頃、仲間たちと玄関をノックして、我先にと逃げ足を競ったものだ。

梅雨明けの晴れた日の昼過ぎ。調査のために訪ねる。久しぶりに見るその家は、そこだけ時間が止まったようだ。壁から窓まで蔦が幾重にもからみつく。庭にはドクダミが茂り、白い花を一面に咲かせている。

こんな場所に入っても誰もとがめはしないだろう。玄関の取っ手を引くが開かない。家の裏に回ると勝手口があった。ノブを引くとあっけなくドアが開く。

「よし」スマホのカメラを立ち上げて中に入る。家屋全体に染み込んでいるのか、ドクダミの香りが室内にも漂う。薄暗い廊下を進むと居間があった。窓から漏れ入る光のおかげで、蛍光灯がなくてもよく見える。前の住人は夜逃げでもしたのだろうか。家財道具は放置されたままだ。

もう少し中の様子を見ようと歩を進めた。そのとき、バキッと音がして、体がつんのめる。床を踏み抜いてしまった。痛みをこらながら右足を引き抜こうともがいていると、

「泥棒か!?」

襖が突然開いて、怒った形相の男が立っていた。恐怖で叫びそうになる。次の瞬間、男の背中にくっつくようにして女の人がひょこっと顔を出した。

「泥棒には見えないわ。またいつものあれかしら」

落ち着け。自分に言い聞かせながら、必死に状況を理解しようとする。目の前にいるのは、自分の親と同年齢くらいの、どこにでもいそうな中年の男女だ。男は黒いパーカーにスウェットパンツ。女の方は白いワイシャツにジーンズ。若く清潔感のある服装が、なんともこの家に不釣り合いだ。

「すいません。僕、泥棒じゃないです。大学のレポートのために、空き家の調査を・・・」

男と女は顔を見合わせると、

「そういうことか」
「アハハ、そうよね。この前は、肝試しとかいって、この家に入ってきた高校生がいたのよ」

と笑った。

「私たちは夫婦でここに住んでいるの。まさかこんなオンボロの家に人がいるなんて驚くわよね」

夫婦は、床にはまった僕を引き抜いてくれ、どこからか持ってきた座椅子をすすめると、話を続けた。

二人は三十年ほど前に結婚。親戚が所有していたこの家を譲り受けたそうだ。旦那さんは三十代中ごろに体調を崩し退職。それからは貯金を切り崩しながら、細々と暮らしてきた。ストレスのせいか人混みを怖がるようになった旦那さんに奥さんはずっと付き添い、外出しないように暮らしてきた。お金がかかるので電気は使わない。水道とガスは必要なので節約しながら使っている。

「水と火だけあれば、なんとかなるものよ。庭にドクダミが生えているのを見たでしょう。お茶にして飲めば薬なんていらないし、葉っぱを揉んで傷口に貼れば湿布にもなるの。ドクダミは生命力の強い植物。そのおかげで私たちは生活していけるの。化粧水にもなるんだから」

そう笑いながら、ドクダミ茶を入れてくれた。強い香りが立ち上がるが、苦みは少なく、意外とさわやかな味だ。

空き家という当ては外れたものの、レポートの何かの足しになるだろう。この家のことを質問する。壁や床はだいぶ痛んできたが、手先の器用な旦那さんが修理してくれるそうだ。木造家屋のメンテナンス方法をレポートに加えてみよう、そんなことを思いながら奥さんの話を聞いていると、

「お茶を飲みすぎた」

と旦那さんは用を足しに出ていった。廊下の突き当たりにトイレがあるらしい。

そうだ、旦那さんのいないこの隙に、気になっていたことをきいてみよう。人の良さそうなこの奥さんなら、気分を害さず教えてくれるだろう。

「庭のドクダミのおかげでお二人は健康なんですね。このドクダミ茶もとってもおいしいです。けど・・・買い物にも行かないで、食事はどうしているんですか?」

「ああ、それはね、簡単なことよ」

奥さんは、なんでそんなわかりきったことをきくのか、と拍子抜けした様子で、口元を緩める。その瞬間、僕の背後に目くばせしたような気がした。

反射的に振り向くと、そこに旦那さんが立っていた。突然、視界がぼやけた。ビニール袋のようなものを頭にかぶせられ、すごい力で首を締め付けられる。

「ウゥ・・・」

息ができない。ビニール越しに奥さんの顔がぼんやり見える。遠のく意識の彼方から、旦那さんと話す声が聞こえてくる。

「ねえ、服は私にちょうだい。新しいシャツが欲しかったの。そうだ、あとでドクダミをつんで葉っぱを刻んでおいてね。晩ごはんのハンバーグに添えましょう」

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